朝涼

特権内の領域によるマーキング

2022年2月1日

 片桐が彼の上司と先輩だという男に近付く気配を横目で見た後、スマホを取り出してひとつの番号を呼び出し、矢島は躊躇いなくその番号に繋いだ。
 九割の確率で繋がらないことは判っているからワンコールで切った後、今度はショートメール画面を立ち上げ、ひとつの名前だけを打ち込んで送信。奴なら、その頭の良さで勝手にある程度は察するだろう。その手の信頼はある。
 スマホを後ろポケットに入れたところで、助手席に片桐が乗り込んできた。時間差で運転席側に彼の上司が立つ。
「あの、……ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえ。大したことは出来ねースけど」
 場所を交代するために外に出て、言葉を交わす。片桐の上司という彼は、ごく普通の一般人。人の良い、善良なとも言えるくらいに常識人だ。何故こんな……言い換えれば面白味の無さそうな男に片桐はご執心なのか、いまいち理解が出来ない。
 どちらかというと股が緩くて頭の悪い女や男ばかり引っ掛けていたというのに。
「三十分経っても出てこなかったら、緊急通報して下さい」
 常識人の彼ならば、頼んでおけばその通りにしてくれるという、彼の人となりを知らなくとも信用出来るという意味では、ここにいる意味もある。
「は、はいっ! ……けど、何て、」
「知人が暴行を受けている、で。そうしたら近くの警邏が駆けつけるんで」
 夜が賑わう繁華街。当然この場所近くにPB――交番はあるし、この時間ならば必ず警邏が出ている。通報したら5分も掛からずに現場に到着出来るという立地。運がいい。
「それと」
 先程仕舞ったスマホを取り出して、彼に差し出す。
「え、と」
「電話もメールも無視していいスけど、斉藤という名前からかかってきた時だけ出て、伝言お願いしたいんです」
 スマホと矢島の顔を交互に見る彼の胸にスマホを押し付け手を離すと、落とさないようにと慌ててそれを掬いとる。
 その姿を見ながら伝言を口にしたあとに、片桐の先輩だという男と共に、店内に入った。

 煌びやかというわけでもなく、しかし廃退の空気があるわけでもない、カジュアルに入れるクラブ。大学生を中心に店に出し、大学生しか入れない紹介制クラブ。その裏にいる連中は大学生にスマホで指示を出すため姿を現さないから、中々尻尾が掴めないのだと聞いている。
 店にガサ入れをしても、それはトカゲの尻尾切りでしかなく、裏の連中の情報は乏しいのだとも。
 とはいえ今回そこまで首を突っ込むつもりはない。島を荒らされるのは誰でも不快になるため、穏便かつ早急に件の妹とやらを連れ出したい。
「……ってのになぁ」
 刃向かってきた男二人を左右の手でそれぞれ机に押さえつけながら、矢島は呟く。
「テメェ! 離せ!」
「暴れんなって。別にケンカ吹っかけにきたわけじゃねンだから」
 それぞれ別方向に男を突き飛ばして、ぐるりと店内を見渡す。大麻の匂いが微かにするが、今ここでそれを指摘しても何も出来ないため、それは無視。
「どうぞ」
 背後にいる先輩だという男に、女が固まっている場所を顎で示せば、結衣、と声を上げながら女子大生の腕を掴む。今時の女子大生という風貌。さきほどチラリと見た写真の真ん中にいた女と同じ顔だ。
「お兄ちゃん、何なの!」
「帰るぞっ」
 兄妹特有の無遠慮さで出口に向かって歩き出す。
 その後ろを着いていきながら、周りに視線を走らせて動かないように牽制した。せめてここを出るまで大人しくしておいてもらえたらそれでいい。あとは知らん。
 時間にして五分ほど。出口から離れたところで兄妹を追い抜き車に近付けば、
「やっぱ昨日の手コキじゃ足りなくて」
 下半身に脳みそがあるクソの発言に怒りのボルテージが一気に上がり、車の天井を思い切り叩いた。
「人の車でサカってんじゃねえ」
 以前、カーセックスを強行して人の車に傷付けた時も、片桐のことだ。今のように強引に下半身を先行させたのだろう。
 片桐も斉藤も、顔と頭がいい連中は何故自分の思った通りに事が進むと思えるのか、凡人の矢島には理解不能だった。

     ●

 クラブから出てきた大学生に少々お灸を据えたあと、帰路に着く。信号で止まった時に、すぐ後ろからあの、と声がかかった。
「スマホお返しします」
「ああ、はい。どーも」
 後ろ手でつかみ、そのままコンソールボックスに落とす。
「それで斉藤さんという方から連絡があって」
「へえ……早えーな」
 メッセージを入れてから十分も掛かっていないはずだ。随分と早い。
「伝言を伝えたら、えっと……ひ、引きちぎった鎖ごと日付変更前までに戻ってこい、と」
 物凄く言いにくそうに片桐の上司が言伝を矢島に伝えてきた。内容があまりにもアレすぎて、一度は下がった怒りがまた上がる。
「あンの野郎……」
「いぬのおまわりさん、飼い主の命令無視しちゃってるもんなぁ」
「命令なんて出てねえわ」
 助手席からのからかいの声に反射的に返す。
「ご迷惑かけているのはこちらなので、その上司さん、に謝罪しますが」
 青信号を確認してからアクセルを踏む矢島の背後からの言葉に、あー、と喉から声を出すと、隣の片桐が後ろを振り返りながらにこやかに口を開いた。
「大丈夫ですよ長谷川さん。いぬのおまわりさんは優秀だから、自分のやったことまで後処理出来るんですって」
「テメェ聡、黙ってろ」
 似たようなことを自分でも言うつもりだったが、他人――しかも片桐から言われると腹が立つ。
 面倒臭がりでもある片桐は、基本的にこちらに踏み込んでくることはない。腐れ縁ではあるものの、お互いの領分を侵入しないからこそ保たれている関係であるのだ。
「このバカが言うことに同意するのは癪ですが、こっちの問題なのでお気になさらずに」
 バックミラー越しに視線を合わせると、納得をしたのかしてないかは謎だが、引いてくれたのが判った。会社員故に、その辺りはもしかしたら矢島のような職業よりも理解が深いのかもしれない。

 その後は殆ど会話もなく、兄妹をまず家に送りその後片桐の家で残り二人を降ろした。丁寧にこちらに頭を下げる片桐の上司に会釈を返して、二人がマンションのエントランスに入っていくのを見守った。
 背中が見えなくなったところでスマホを手に取りロックを解除。メッセージの返信はなく、着信履歴は確かに斉藤からの折り返しが通話したことになっていた。
 その名前をタップして、コール音を鳴らす。今度はワン切りではなく数コール鳴らせば、プツと音がして電波が繋がった。
「戻るか駄犬」
「動きあったかコネ」
 開口一番、お互いに言いたいことをぶつけ合う。
「……」
「……」
 そしてお互いにイラッとするまでがワンターン。その数秒の無言の時間でそれぞれ精神を立て直す。
「口の利き方を身体に叩き込んでやろうか」
「ハ、今更だろ。それよりどうだった」
 車の中で送ったのは店の名前。それとワン切りで、矢島がその案件に近寄っていると斉藤が気づかないわけがない。
 いつもと違うことが起これば漣が立つ。その動きを察知するための初動が早ければ、何かしら尻尾が掴める可能性がある。
 斉藤がすぐに気付かなかったらそれまでのことだ。誰にも触れられることなく、一人の女子大生が店から家に連れ戻されたという現実だけが残る。
 この件に関して運が良い方に転がったのか、斉藤は矢島のメッセージにすぐに気が付き、伝言を受け取った。

「“犬が遊びに行っている”、自ら飼い犬自認とは成長したな、矢島」
「してねぇわ」
「お前のおかげで捜査員が近付けたらしい。まだ泳がせるだろうが、何かしら持って帰ってくるだろ。……姿は見られてないだろうな」
「そんなヘマするかよ」
 下っ端からは匿名での情報連携とするのが一番。
 面倒くさい上下やら左右の繋がりやらは、警察組織内で足の引っ張り合い騙し合いだ。矢島が現場にいたと知れたら上下左右前後までも面倒くさいことになる。
 だからこそ、矢島が持つ中で一番のコネでもある斉藤に連絡し、そこから動かしてもらった。この男なら上手く動かし、自分のコネクションに繋げるだろう。
「どこにいる」
「これから家に帰る」
「迎えに行くから待ってろ」
 それだけ言って回線が切れる。
 いや、俺寝てーんですけど。という声は車の中に消えて、斉藤には永遠に届かない。

     ●

 聞こえなかった振りして部屋に帰ろうかとも思ったが、それを察知していたのか、矢島が家に着くより先に迎えが辿り着いていた。どういうことだ。片桐のマンションからと斉藤のマンションでは、位置として片桐のマンションのほうが近い。故に先に到着するのは矢島のはずだというのに。
「制限速度守っただろうな、あんた」
「警邏の目を潜れなくてどうする」
「…………」
 は、と斉藤が鼻で笑うが、それは駄目だろうが。
 助手席に乗り込むと、見える横顔が歪む。何だと思うと同時に襟元を掴まれ、斉藤の方へと無理矢理引っ張られた。
「っ、おい!」
「誰の服だ」
「あん? 聡のだけど」
 みし、と布が悲鳴をあげる。どんな握力だよと若干引きながら、ジリジリと首が締まっていくのを実感。
「他の男の服を着て俺の所に来るとは、よほどいたぶられたいらしいな、矢島」
「気色悪い言い方すんな! 判ってて言ってんだろ!」
「――ふん」
 男を運転席に押しこむ反動で助手席に戻り、手に持っていたスーツその他が入っている紙袋を後部座席に投げた。
「説明するから、とっとと出せよ」
 矢島の声と同時に再び斉藤の腕が伸びてくる。精悍な顔が近寄ってきたかと思えば、口を塞がれた。
 柔らかな感触に反射的に口を開いてしまうのは、それだけ教えこまれたからだ。くそ、と隙間で毒づいても、男の体温が離れることは無い。
「ん、ぅ」
 互いに瞼を閉じずに数センチ先の瞳にメンチを切り合う。目を逸らしたら負けだとばかりに。
 だが目線は物騒なのに、斉藤に与えられる口付けは柔らかく、ギャップに頭が混乱する。舌を、粘膜を、触れ合わせる音が車内に響き、空気が重くなる。
「……は、」
 舌を舌で押され咥内に侵入してくる。上顎を擦られてぞわりと背中が粟立つのを感じた。沁み渡らせるように混じり合う体温が不快ではなくて、反射的に助手席側の窓に掌を付く斉藤の腕に指をかけた。皺が寄るだろうことも気にせずに握り込めば、目の前の男の気配が緩んだ。
「……ンだよ」
「身体の方が素直だなと」
「はあ?」
 全く意味が判らないが、暴走行為をやらなさそうなくらいには機嫌が回復したらしい男は、上半身を戻してエンジンをかけた。静かに発車する圧を感じながら、シートベルトをしたあとにダッシュボードを開ける。この中にメモ帳とペンが入っていることは確認済み。
 一枚切り取った後にあったことを説明しながらボールペンを走らせた。
 斉藤は、報告を受ける時無駄に口を挟まない。まずはこちらに全ての情報を吐かせた後に、必要ならば質問が来る。
「中は学生ばかりで、あそこ叩いてもなんも出てこねーだろうな」
 学生のみ、しかも最初は紹介でしか入れないとなると、捜査員が内偵に行くことも難しい。かといって放置するには少々やりすぎていて、明らかに裏で糸を引いている存在の匂いが強い。
 と、いうことくらいならば管轄の違う矢島のところにも情報は入ってくる。同期の繋がりというのは別管轄であってもあるものだ。
 下手なことはしない。連れ戻すだけ。ただ、そこから見える情報を取るくらいはする、と。そしてそれを有効に使える人物に繋ぐため、斉藤に連絡をした。
 ちょうどイキった大学生が外に出てきていたため、あの後に捜査員が何かしら収穫があった、というのが斉藤からの情報。矢島は、中で見たものを話すだけだ。
 赤信号で止まった時に、メモ用紙を斉藤の太腿の上に放り投げる。矢島が見た店内の間取りを書いたものだ。斉藤はそれを一瞥した後、握り潰してから内ポケットに仕舞った。
「繋がってそうなのは」
「ほんの数人だろうな。番号ばら蒔いてもそれはそれで面倒だろ」
「うち一人が……」
「女子大生曰くの、先輩」
 運転する横顔を見ると、考え込む時の癖である眉間に皺を寄せ目を細めている。
 だか、運転にリソースを割いているためか、青信号に切り替わった際にハンドルを人差し指で一度叩いて、思考を中断したのが見て取れた。
「お前は、紙で書かせるよりも喋らせた方が判りやすい報告をするな」
「そりゃ時間の問題だっつの」
 残業した後、半分寝ながらパソコンに向かえば誤字脱字も多くなるというものだ。元々事務作業が嫌いなのだから、日中に作るよりも酷い出来となる。あわせて、文書だとオフレコのことを考えて作成しなければならないが、喋るのならばそれを考えなくても良いという利点もある。
 加えて誤字脱字漢字文法間違いをネチネチと指摘してくる元上司がいたせいで余計にやる気が削がれていた。あの頃の毎日のやり取りを思い出してイラッとしながら、窓の外に視線を移す。

「これ以上首を突っ込むなよ」
「あんたに丸投げしたほうが楽なんだから、誰がンなめんどくせぇことするかよ」
「権力とコネの使い方を学んできたようで何よりだ」
「スパルタ粘着元上司殿のお陰で」
 ぎー、と耳を引っ張られるが、事実を言っただけだろうが。

     ●

 車内で服についての第二ラウンドがあったものの、無駄に広く殺風景で、矢島が買い込んだこたつだけが浮いている部屋にそれから三十分も掛からずに着いた。
 中に入ればすでに夕食のケータリングがセッティングされていて、それは時折見る光景だったが、ふとそこで気がついた。
「なあ、これ持ってくる人って、鍵持ってるってことだよな」
 ネクタイを緩めていた斉藤は、矢島のその言葉にしばし目を見開いたあと、ふと表情を崩した。
「なんだ、合鍵がほしいということか?」
「ち、げ、え、よ!」
「遠慮するな」
「してねえわ!!」
 見るからに機嫌の良くなる空気を醸し出しながら伸ばしてくる腕をぺい、と払う。
 ここに来た時にケータリングがないのに、寝室に籠もって出てきた後に登場していたりするケータリング。セキュリティがきちんとしたマンションではあるものの、毎回施錠をする斉藤の部屋に入れるということは鍵をもっていて、そして気配もなくセッティングしていく……自分たちが真っ最中に。
 もしかして聞かれているのではないかという可能性に行き着いて、内蔵が冷える感覚。
 ということをぽつぽつと話せば、斉藤は何でもないことのようにセットした髪を解くように指を通しながら首肯した。
「お前はそんなに声を出すほうでもないから聞こえんだろ」
「…………」
 斉藤のその言葉に引っかかりを覚え、先程とは別の意味で身体の芯が冷たく固くなる。
 お互いに初めての相手ではないことは承知しているが――矢島の場合、男は正真正銘目の前の男が初めてだが――何気なく口にされると感情が動く。
 動くけれど、その感情に名前をつけたくないという防衛本能も働き、結局いつものように流すのだ。
「入ってきてるのは事実かよ……」
 頭痛ぇ、とため息をつくが、性嗜好が矢島よりも奔放な斉藤はまったく気にすることなく、矢島の腕を掴んで引き寄せ腕の中に抱き込んだ。
「そんなに繊細だったとはな」
「……あんたが変態すぎるだけだろ」
 目元から頬に向かって口付けを受けながら、斉藤の軽口に言葉を返す。唇に触れ、ふと笑う男の視線から逃げるように瞼を閉じれば、抱き込まれる腕に力が籠もった。

 湯気で息がし辛いと訴えても、斉藤は指を離してはくれない。
 いつまで他の男の匂いをつけているつもりだと破られそうな勢いで服を脱がされ――実際ビリと音がしたが、この服が破れようとぶっちゃけどうでもいい――風呂場に連行、シャワーを頭からかけられた。いつぞやとは違って服がなく手足が縛られていないものの、強制的に濡れるというのは気分のいいものではない。浴室のタイルはシャワーで温められて不快ではないものの、硬さのせいで背中が痛い。風呂から出てやれば良いものの、斉藤はそれを許さない。風呂に入りたかったんだろうと笑われて、寧ろ怒りが沸いた。
 機嫌を悪くしたところで、傍若無人なワガママ三男坊である斉藤が矢島のそんな姿を見て気にするわけもなく、むしろ斉藤によって感情を動かしたという現実のみ喜び、マイナスに取ることなどほぼありえない。
「……ん、ぅ」
 反響する声が自分の声ではないようで、いつもよりも唇を噛む回数が多い。腫れぼったく感じる唇を指で感じながら二重で封をする矢島の手首を掴み、そこを開放しようとする斉藤を睨みつけた。
 噛む唇の上に舌を這わせ、けれど無理にこじ開けれることはなく首筋へと降りていく。何度するなと言っても斉藤は矢島の首筋を噛むことをやめない。今日もまた無遠慮に歯を立てしっかりと歯型をつけながら、同時に指を肌の上に滑らせた。
「あんたのことだから、無理矢理指突っ込んでくるかと思った」
 呼吸の合間に口を開けば、斉藤が視線を上げる。
「判ってないな、矢島」
「え、ちょ……っ」
 下半身の熱を通り過ぎ、更に奥まった場所を指で触れ、爪先を潜り込ませた斉藤が、動揺する矢島を見下ろしながら笑う。
「無理矢理啼かせることに何の意味がある。俺の手管で崩したほうが気分が良いだろう」
「――ッ、あ……、!」
 内部に入る指が腹の裏側を無遠慮に擦る。身体を丸めて衝撃を逃がそうとするが、中の指は止まることなくそこを甚振り続けた。
 斉藤の指が触れ、内部を拡げる動きによって、骨でも筋肉でも皮膚でもない“何か”が溶かされていくようで、恐怖を感じる。
「ひ、ぅぁ、あ」
 傍若無人な男は、しかし矢島を抱く時決して暴力的ではない。そこに至るまでに容赦なく殴る蹴るという過程を通ることはあるが――ちなみにお互い様だ――、コトに入った後には流血沙汰になるような痛みも、暴力的な無理矢理もない。それが時には憎たらしいのだけれども。
 斉藤の背中に腕を回し、皮膚に爪を立てる。その行動に特別な感情を持たなくなるくらいには斉藤の下で啼いている現実から、目をそらして。
「ンく……」
「相変わらず敏感なことだ」
「るせえ、よ」
 斉藤の使うボディソープやシャンプーの匂いが浴室を満たし、肺の中まで犯される。片桐の服の匂いなどとっくに無く、お互いに同じ匂いを纏わせている。そんなことで機嫌を良くする男は、殊更丁寧に矢島の身体を開いていった。
 いっそ乱暴にしてくれたほうがどんなに良いか。
 ぐずぐずに溶けた“何か”に攫われないようにすがりつく腕を掬い取られ、密着が強くなる。
 指の代わりに入ってくる質量は暴力的なのに、矢島を傷つけないのだから、たちが悪い。
 吐き出したいのか受け入れたいのか、拒絶したいのか甘受したいのか。判らないまま、男の肌を傷つける。
「は……」
 額を合わせ、間近で射抜かれる。
「俺のスーツに皺をつけるのも、……破くのも、背中の引っかき傷も」
 奥を無遠慮に擦られ、下腹部が震える。覚え込まされた硬さと長さと重さは、過去の記憶すらも呼び起こして矢島を翻弄する。
 何よりすぐ近くにある男の声と体温、気配によって、
 ――脳みその中から、犯される。
「お前にしか与えていない特権だと、無意識の理解で行使されるのは悪くない」
「ッ、ぁ――!」
 体内から込み上げる悦に抗うことなど出来ず、内部が収縮して精が弾ける。
 痙攣する身体を斉藤が慰めるように撫でながら、しかし出していない彼の欲はゆるりと中を刺激し続けた。
 まだこれは、序盤なのだと矢島に教えるように。

     ●

 ゆだっているのは頭か身体か。
 柔だなとからかわれるが、警察官としての体力は十分にある。煙草を吸う斉藤よりも、あるはずだ。だがセックスに関して矢島が息も絶え絶えになるのは、偏に斉藤が無駄にねちっこいせいだと思っている。
 咥え煙草のまま、斉藤が矢島に水を差し出す。それを受け取らずにじっと顔を見ていると、暫し思考の間があった後に、煙草を口から外して、ふ、と笑われた。
「随分とかわいらしいことを」
「動くのが面倒なだけだ」
 斉藤が水を煽り、矢島に口移しで流し込む。人の体温が移った、それでも冷たさを感じる水と、ニコチンの苦さが混ざりあい、更に鼻腔からもセブンスターの匂いが入り込んできて、副流煙で頭がクラクラする。
 与えられるだけ貰い、気紛れに斉藤の咥内を弄ると、目の前の瞳が緩む。いたたまれなくて瞼を閉じれば、矢島の髪の生え際を指で撫でながら、斉藤が舌を絡めてきた。
 事後に交わすには少々濃厚な口付けは、しかし、お互いの味が混ざりあって気にならなくなった頃には離された。
「灰落ちんぞ」
「灰皿差し出すくらいの優しさを見せろ」
「誰が」
 伸びた灰を落とすことなく灰皿に捨て、今しがたまで矢島の唇に触れていたそこで、今度はフィルターを噛んだ。苦い匂いが部屋の中に充満する。
 匂いは厄介だ。忘れられないから。
 これも一種のマーキングなのだろうかと、そんなことを考えながら、瞼を閉じた。