2022年3月15日
「甘えろ」
「……何言ってんだ」
矢島の給料の半分近くを持っていきそうな家賃のマンションに住む男は、無駄に広い玄関で仁王立ちしたまま、そう言った。
万引きが癖になっている高校生を説教していた時間だけ残業となり、マンションに着いたのは二十一時を回った頃。平日ではあるものの、休日出勤が多かった斉藤は本日非番で、一日家にいたようだった。
オートロックを開けてもらいエレベーターで上がって、部屋のドアを開けた途端の言葉の意味が判らないまま言葉を返す。靴を脱いで部屋の中に入ろうとすると、腕を掴まれた。
「お前は俺に全く甘えてこない」
「何で不満そうなんだよ。必要ねえだろ」
腕を掴まれたまま歩き出せば、斉藤もそのまま着いてくる。そのまま、これまた無駄に広いリビングへと入った。
そこにはケータリングが手付かずで残っており、ワインだけが開いていた。
「空きっ腹に酒入れんなよ」
「俺に命令するな」
「へいへい」
後ろを歩いていた斉藤が、矢島の腕を引き誘導するようにソファに近付く。大人しく着いていき、柔らかな布の上に座った。
矢島の腕から掌へと指を滑らせ握った男は、不機嫌なまま口を開いた。
「何でも一人でやるし、頼ってこないし、甘えてもこない」
「……なあ、酔ってんのか?」
主張をされたところで、同意は出来ないしするつもりもない内容だ。
「可愛くおねだりをしろと言ってもしてこないし」
「……」
「つまらん」
唇を曲げて吐き捨てる男に、呆れを返す。一体何があってこんな主張をしてくるのか。
可愛い女の子が甘えておねだりなんかをするのならば可愛いのだろうが、斉藤と身長がほぼ変わらない身体も硬さしかない矢島が同じことをしても気持ち悪いだけだろうに。
それに、
「こっちとしては仕事終わりにわざわざここに寄ってることを評価してもらいてえんだけど」
さっさと帰って寝て明日に備えたいところを、こうして勤務署から離れた場所まで足を運んでいる現実を無視されるのは、それはそれで腹が立つというものだ。
「寄るでなく、帰ってこい」
「しねえって」
首の後ろに手を添えられ、顔が近づく。唇を食まれ、熱を交換する。今日はタバコを吸っていないのか、あまり苦くない代わりにアルコールの味がした。
「なあ、本当にどうしたんだよ」
体重をかけられ、受け止めながらソファに横たわる。
逆光の中見上げる男と視線を合わせれば、相変わらず眉を顰めた表情で。それでも醜くならず、顔が良い。
「何でお前は俺に甘えてこないんだ」
甘え、というテーマから話題を逸らそうとしない斉藤は、矢島を腕の中に囲いながら問うてくる。
「何でって言われてもな……」
甘える必要がないからに他ならないのだが、さっきもそれを言ったが聞き入れられていないため、同じことを言っても意味が無いだろう。
では、どうするかと悩む。
斉藤の言う甘えろというのは、くっついてこいだとか、ねだり事をしろだとか、そういうことなのだろうことは判る。が、それを矢島が行うにはハードルが高すぎるのだ。
元々の性格としても、男同士で何故という気持ちも加わって。
何かしないと解放されないのだろうが、何をすればいいのか、何を言えばいいのか判らない。
「あー……」
言葉は無理。
となると、行動のみ。その中で判りやすく示せるもの、とピックアップする。
これ、ある意味我儘を言う斉藤の甘えを矢島が受け入れているということにならないだろうか。そんなことを思いつつ、腕を上げて伸し掛る男の首と背中に掌を回し、身体を持ち上げながらくっついた。
触れ合う体温が違和感を感じなくなったあとに口を開いた。
「これでいいか?」
斉藤の右腕が矢島の腰を支えたため、腹筋に力を入れなくてもよくなり、ほっと力を抜く。代わりに密着は強くなったが、それくらいならば許容範囲内だと抵抗しない。
首筋に懐いてくる男に、少なくとも間違いではなかったと判明した。
しかし、やはりこれは矢島が甘えたというよりは斉藤が甘えたとしか思えないのだが、本当にこれでいいのか。酔っ払いの思考は判らない。突っつくと薮蛇になりかねないので何も言わないが。
暫く好きにさせたら満足するだろうとそう判断し、首筋の擽ったさを我慢しながら目を閉じた。