朝涼

アイスの奪い合い

2022年7月3日

 斉藤の住まうマンションの部屋の冷凍庫に氷以外のものが入るようになって、今年で三回目になる。赤や青、ピンクに黄色。色とりどりのパッケージはコンビニやスーパーで見るものであって、自分の家で見るものではなかったというのに。
 見慣れたような、見慣れないような。しかししっくりと馴染んでいるような感覚があるのは、これを九割消費する人間の空気がこの部屋に濃いからだろうか。
 そんなことを考えながら斉藤は一番上にあった、バニラとチョコ二層が絡み合うソフトクリームを手に取った。
 部屋全体に空調が効いているとはいえ、今の時期風呂上がりは暑い。風呂に入ってさっぱりしたのに、その風呂のせいでまた汗が出てくるのだから面倒この上ないが、それを体内からアイスで冷やすのもいいもんだろ、と笑う男を思い出す。
 猫のように懐ききらないのに離れてもいかない、こちらを無自覚に翻弄する男を捕まえて手放さないように囲って。
 けれど逃げ道を強引に塞ごうとするとその隙間からするりと逃げ切ってしまうため、ゆっくりと、確実に包囲を狭めて。
 野良犬のようにじっと斉藤を観察して信用を預けようとしないまま、それでもすぐに逃げるほど信頼されなかったわけでもなく。
 じっくりと時間をかけて、やっとここまで。
 最近になってそう思えるようになってきたのは事実。
 斉藤のテリトリーを荒らすことなく、きっかりと線引きされていた当初は、ネクタイ一本すら斉藤の家に置くことがなかった。
 泊まることすら最初は拒絶されていて、帰らせぬように強く抱き潰したこともあったが、その結果しばらく見事に捕まらなくなるという逃げをされたこともあった。追いかけて捕まえて喧嘩をして、結果、最終的には泊まることを選択肢の中に入れることが出来たのだが。
 最初は出張のように自分で服を用意して全部持ち帰っていたけれど、斉藤の部屋に慣れていくと同時に少しずつであっても心を解いていく気配も感じて。時間とタイミングを図って私物を置かせていった。
 私物から始まり、新しく購入したものまで。年単位でかかった斉藤の目論見は意図が相手にばれていると判っているけれど、許容するかどうかの選択肢を渡しておいたのだから文句は受け付けない。面倒くせえと思われながらも諦めなかったこちらの勝ちだ。

 柔らかなプラスチックを潰さぬように、けれど隙間が出来るように少しだけ変形させながら回転させまずは下側を外す。コーン部分を持って返し、残りを取る。最初はこれが出来なくて上下のアイスを分離させてしまい大いに笑われた。
 斉藤にとって、アイスとはガラスの器に盛られたものを指していた。コンビニなどで売られているものを見ることはあっても、買って食べるということとは縁がないままこの歳。
 手の中の冷たい塊にかじりつき、一息。
 耳はリビングの向こう側、先程まで斉藤もいた風呂場の気配を無意識に探ってしまう。
 一緒に入って少しだけ触れ合って、出る時は別々。
 長風呂を好まない男が先に出ていろと言うその言葉の意味などひとつしかなく、浮かれるなと言う方が無理だろう。流されて身体を重ねるのではなく、自らそのための準備をすること。
 誰も見ていないが、緩みそうになる口元を隠すようにソフトクリームを齧る。咥内の熱で融解していくそれを、液体になりきる前に甘いそれを喉奥に流し込んだ。
 耳に届いていたシャワー音が無くなり、少し遅れて扉の開閉音。あと五分もしないうちに熱気を纏ってここに戻ってくる男のために、設定温度を下げた。
 ゆっくりと二口、三口とソフトクリームを齧っていた斉藤の耳に、廊下を歩く音が届く。
「あっちぃっ」
 上半身はタオル、下半身はハーフパンツ。油断しきった姿は、そろそろ見慣れてきたもの。
「良いもん食ってんな」
 ソファを跨いで隣に座った矢島は、そのまま斉藤の手首を掴んで自分の方に引き寄せ、ソフトクリームを齧っていった。
「ふへたひ」
 その一口が大きすぎたらしく、クリームの塊を口の中で転がす矢島から手首を取り返しながら顔を近付けた。
「返せ」
 矢島の顎を掴み、唇を合わせる。冷たい塊と冷えながらも体温を感じる舌。一気に液体へと戻っていくクリームをそれぞれ嚥下しながら、舌を絡ませる。
 アイスの冷たさと風呂上がりの熱気のアンバランスさ。肌の表面を冷やす人口の風を受けながら、咥内の温度を等しくしていく。
「けちくせぇ」
「勝手に持っていくな」
 呼吸の間のやり取りは甘味さを感じないのに、ないと物足りない。
「それ溶けんじゃねえの」
「うるさい」
 人工的な甘味よりも中毒性のある熱い咥内に触れ、舌を吸う。逃げようとするそれを追いかけ上顎を啄くと、抗議のように押し返された。
 そのくせ少し引けば甘噛みで誘惑してくるのだから、堪らない。
 くち、と唾液と空気の絡まる音を響かせながら顎から手を離し、代わりに矢島の首筋から項に指を這わせた。
「ん、」
 敏感な肌はそれだけで斉藤の指に反応し粟立つ。短く刈り上げた後ろ頭を撫でながら噛み合わせを深くし、隙間を消していく。
 何度味わおうとも足りなくて、必要な呼吸すらも煩わしい。
 項から肩甲骨の間に指を這わせると、矢島の指が斉藤の服を掴む。それを合図に体重を寄せて本格的に伸し掛ろうとしたところで、熱くなった思考を冷やすように手に持っていたものが斉藤の指を濡らした。
 このまま床に捨てると目の前の男が怒るため、仕方なく引くと、絡み合っていた舌が離れた瞬間に物足りなくなる。
 薬物依存者はこんな気持ちなのだろうか。そんなことを考えながら、溶けたソフトクリームを矢島の口の中に入れた。無言の抗議を無視して立ち上がり、手を洗いに行く。
 斉藤にとって人口の甘味料よりも味わいたいものがあるのだから、代わりはもう要らない。
 リビングに戻れば、柔らかくなったソフトクリームを流し込むように食べ終わった矢島がいて。指についたクリームを舐める行儀の悪さを注意するよりも、斉藤にとって中毒性の高い甘さにもう一度口付けた。