朝涼

それはきっと融けて消えない

2022年11月20日

 比較的平和な署ではあるものの、それでも毎日何かしらで出動するし、追っている事件や他地域との連携もある。平和だと言われる日本であっても、毎日事件は起こるのだ。
 テレビに出るような真面目で熱血な警官でないにしろ──彼らも、カメラがないところではそれなりに力を抜いているだろうが──自ら選んだこの仕事をそれなりに真面目に、時に上手く力を抜いている矢島だったが、今日は散々だった。
 他区との連携案件に合流するため外に出たところで、外国人観光客から財布を落としたと話しかけられ手続き。終わった頃には香川はとっくに出ていたため電車を使う羽目になり、正当な理由がある遅刻とはいえ少々気まずい入室。こちらから持ってきた資料を合わせての裏付け、その前段階の資料整理に机にかじりつき身体が軋むことになり。丸ノ内署に戻る途中で学生がゲームセンターで他の客の財布を盗んだと無線が入りその応援に行けば、反省しない子供と身元引受けで来た母親のモンペ態度にげんなりし。
「今日は肉食う」
 そう呟いて退勤したのは、定時から三時間後のこと。
 さてこの後どうするか。
 一、安い肉をスーパーで買い込み調理し食べる。
 二、一人焼肉。
 三、ただで食える高級肉を調理し食べる。ただしこの場合、面倒なオプションが付く可能性がある。
 先日会った時は忙しそうな雰囲気はなかった。とはいえ、日付が変わる前に帰宅しているほど暇でもないだろう。……と、思う。つまり誰もいない可能性があるわけで。

 ポケットからキーケースを取り出す。
 その外ポケットに居心地悪く収まるカードキーは、少し前に直接渡されたものだ。
「人生で初めて。……お前が初めてだ」
 面映ゆそうな表情でそう斉藤に言われて、むしろ矢島が恥ずかしくなったものだ。
 これの持つ意味、渡す覚悟の重さの一端に矢島は触れてしまっているから、無碍に出来ない。
 物があると厄介だからと、殺風景な部屋に住む男。
 それを言われた時よりも、後日にじわりと鈍い汗が滲んだ。あの男にとってあの場所は、自分のテリトリーであっても心休まる場所では無いのだということに。
 テリトリー故に、思わぬ弱点がそこにあるかもしれないため、男はものを減らし心を休ませず、身体だけ休める場所としていたのだろう。
 それは防衛本能。
 大事なものを作らない、持たない、置かない。──執着しない。例え今日死んで部屋に踏み込まれても、男の大事なものなど、あの部屋にはない。
 ずっとそうして生きてきた男。

 そんな場所に引っ張りこまれた事実。
 そんな場所だったはずの、その部屋の開閉許与。
 その意味が判らぬほど矢島は鈍感ではなく。
 だからこそ、このキーはまだ一度も使えていない。
 仕事終わりに斉藤の家に行くことはあるが、必ずいると判っている時にしかいかないし、休みの日ならば尚更。何より本人から使えとも言われていない。
 肉が食いたいという理由で使ってもいいものか。

 ──と、一瞬過ったものだが、良い肉を食いたい要望があまりにも強かった。

 結果、今矢島は斉藤の家でステーキ二百グラムを焼いている。
 ちゃんと、ある程度育てられている鉄のフライパンにこれまたちゃんと常備されていた牛脂を溶かして、風呂に入る間で常温に戻した肉の塊を焼く。本当はニンニクを入れたいが明日も仕事なので我慢。
 人参とインゲン、じゃが芋をそれぞれ下処理して人参インゲンを下茹で。ブロッコリーを小さな房で斬り、これも軽く茹でる。
 斉藤自身は料理を全くしないのに、ここに設置されている冷蔵庫にはある程度の食材が必ず詰まっている。
 食事はケータリングに頼りきっている男の部屋の冷蔵庫を、こんなに充実させてどうするんだと思うのだが、たまに有難く使わせて貰っている身としては何も言えない。
 使った分払うと申し出たのだがいらんと一蹴された所か、欲しいものがあるなら前日までに連絡しろとまで言われた。誰が仕入れているのかは知らないが、希望のもの以外は余り物でも詰められているのだろうか。
 そんなことを思いながら、下茹でした野菜に焦げ目をつけるように焼いて塩コショウ。更に別のフライパンでじゃが芋を揚げ焼きにする。三口コンロの便利さよ。
 じっくりと焼いた肉を返すといい焼き具合。本当はレアが好みだが、素人がやって食中毒になったら目も当てられないのでしっかりと火を通す。
 早炊で炊きあげた白米と、肉と野菜を盛り付けて完成。
 視覚からもう美味い。
「頂きます」
 丁寧に手を合わせたところで、玄関の重い扉の開閉音がした。ものすごいタイミングで帰ってきたものだ。

「帰ってきてお前がいることよりも、肉焼いていたことのほうに驚いた」
「今日一日ついてなかったから肉食いたかったんだよ。おかえり」
 リビングダイニングに現れた斉藤の開口一番の言葉に理由を返すと、斉藤はスーツの上着をソファに投げた後、なるほどと唇を淡く曲げた。
 そうして身軽になった後、椅子に座る矢島を胸に抱き込む。
「……ただいま」
 芯から力を抜くように息を吐いた後、そうして挨拶を返す男の腕の中でじっとする。こうしたスキンシップは未だ気恥しい。
 わざわざ抱きつく必要などないだろうに、斉藤はこうして接触を求めてくる。
 寛いでいる最中に頬や背中を撫でられたり、膝を貸せと足の上に乗られたり。腕の中に拘束されたままうとうととしたこともある。
 最初はいちいち文句を言ったり離れたりしていたが、慣れてきたというか慣らされてきた結果、気恥ずかしくとも大人しくしているのが一番解放までが早いと学んだ。

「肉、半分食う?」
 沈黙したままよりはと口を開くと、暫く矢島を抱きしめていた斉藤は、身体を離す。そうして矢島の顔を覗き込み、親指でこちらの右目元を擦った。
「どうしたここ、赤くなってる」
「補導したガキが蹴飛ばした石が奇跡のようなタイミングと角度で、跳弾してきたのが掠った」
「それはついてないな」
 くく、と笑った後、その傷に斉藤が唇を寄せた。視界に広がる男の口元と触れる熱、されていることを理解してかっと頭に血が上る。
「おいっ」
 ちゅう、と音を立てて吸われてから離れる。すうと空気が冷たく感じた。絶対こいつ日本人じゃない。
「あんたなぁ……」
「食うが、そうすると足りなく無いか。何か取り寄せるか?」
 今やったことをしれっと流す男の脇腹に軽く拳を入れる。睨まれるがそれはこちらもだ。
「足りなかったか?」
「ちっげえっつの」
 睨み合いの後、そんなことを言い出す斉藤を一蹴してからカトラリーを取るために立ち上がりつつ斉藤の身体を押し返す。
 大人しく離れた男は、そのままリビングを横切りながら矢島に声をかけた。
「赤でいいな?」
「任せる」
 リビングの一角に置かれるグラスとワインセラー。矢島は近付き眺めることすら稀だ。酒は安くて酔えたらそれでいい。……と言ったら説教されたので、以後言わないようにしている。どうせ貧乏舌で味の違いなんてよく判らない。出されたものを有難く頂戴するのみだ。
 斉藤の分のカトラリーを片手に戻ると、グラスに赤い液体が注がれたところだった。
 ……酸化した血を思い出すって言ったら説教かな。
 毎回考えるが、流石にこっちは言わない。
 最初が──否、どちらかが組織を抜けるまでずっとだが──上司と部下という関係だったせいか、プライベートでもたまに説教される。そしてそれをついまともに受けてしまう。慣らされた反射というか、身に染みついた行動というか。所詮は現場に生きる、首輪のついた犬なのだ。その生き方を、自ら選択したのだから否やはないが。

「さて食おうぜ。いただきまーす」
 パン、と手を合わせて肉を切り、一口。少し冷めてしまったが、元がいい肉だ。口の中に広がる牛特有の甘みと焼いた香ばしさ、弾力を楽しみながら咀嚼する。
 斉藤はそんな矢島をグラスを傾けながら、目を細めて見ている。矢島の食事姿を酒のつまみにされるのも、良くあることで慣れてきた。気にしたら負けだ。
「半分いるだろ?」
「食わせろ」
 命令すんなと思いつつ、これはつまり、半分食べて渡すのでは満足しないということだ。ワガママな三男坊は、何故か時折こうして矢島からの餌付けを希望する。
「テメェで食えよ。ナイフとフォーク持ってきてやったんだから」
「それじゃつまらん」
「つまるつまらんの話じゃねーだろ……」
 ため息をつきつつ、一口分切り分けてフォークに突き刺し、美形の前に差し出すと、素直に肉に齧り付いた。
「ウェルダンか」
「加減判んねえもん。腹壊すよりは焼いちまった方がいいだろ」
「うまいな」
 上手いなのか、美味いなのかどっちだろうと考え、前者だろうと結論付ける。
 素人がただ焼いただけの肉だ。プロが調理したものを普段食っている男からしたら本来なら食えたもんでないだろう。
 ……貧乏舌で良かった。
 素材がいいだけで、美味く感じられる。

「家に帰ってきて」
 野菜は自分で食べることにした男が、フォークにじゃがいもを刺して咀嚼してから口を開く。
「……おかえりと、言われるのは面映ゆい」
「……」
 実家で言われているだろうと、口を開きかけ、言葉に出来なかった。
 きっと、そういうことじゃない。

「肉が食いたかっただけだ」
「それでいい」
 一口を差し出せば、素直に受け取っていく。
 矢島に許されたこと、その重さ。ふとした時に感じるソレによって心臓が嫌な音を立てるけれど、それを押し殺して何でもない顔をする。
 斉藤の過去も、背負うものも、何も知らない。──知らないのだから、矢島が感じるソレだって、知らないものなのだ。

 肉は最後の一口。
 斉藤がそれをフォークに刺して、こちらに差し出す。
「抱きたい」
「……」
 こちらの唇に、もうほとんど温い肉を付けて。
「矢島」
 促しに口を開き、斉藤と視線を合わせながら肉の表面に舌を這わせる。
 肉の塊を舌に乗せ唇で挟み、ゆっくりと引き抜くと、斉藤の瞳の奥に欲が揺れた。それを見て、笑う。
「どこで覚えてきた」
「さて、な」
 嘯き、グラスに残った液体を飲み干すと同時。椅子から立ち上がった斉藤に襟首を掴まれ、強引に唇を塞がれた。
「んぅ、っ」
 無理矢理入り込んでくる舌を噛んでやろうと考えつくより先に、それは矢島の咥内を好きに蹂躙していく。
 アルコールと酸欠、柔い場所を他人に好き勝手される、少しの恐怖。上顎や歯の裏側を舌でなぞられ、溢れる唾液を飲み込み。絡みつく舌を吸って、吸われて。
「……はぁ」
 唇が離れた時には空気が冷たく感じた。
「ソファとベッドどっちがいい」
 選ばせてやると、顎に伝った唾液を拭いながら斉藤が言う。
 ベタベタの口元、上がった呼気。身体の奥で灯った炎を感じながら、口を開く。
「……片付け」
「このままここでか」
「歪曲すんな。逃げねえから、先に片付けさせろって」
「……」
 不満そうな顔をしながらも椅子に戻る男の素直さに笑いが込み上げつつ、机の上を片していく。
 持てないものは斉藤に押し付けると素直に後ろを着いてきて。流しに置いて水を出したところで長い腕に拘束された。
「おい、」
「もういいだろ」
 出したばかりの水を止められ、片腕で拘束されたまま引っ張られる。行先は寝室で、なるほどそちらを取ったのかと考えながら、色々と諦める溜息をひとつついた。

     ●

 二度、中に出されてなお終わらない。
 首を振って腕を突っぱねるが、それはシーツに逆戻り。
「……も、明日、ッしごっ」
「奇遇だな、俺もだ」
「っぁ、あ、あ──!」
 ぐぷ、と串刺され、敏感になった内壁がその熱を締め付ける。
「だから、ここはまた今度、な」
 下腹部を撫でられ、同時にその狭まった場所を硬い先端で突かれ。拒絶か期待か、ぎゅうと内部が蠢いた。
 恐怖と同時に、頭が真っ白になるほどの悦を与えられる場所。自分が自分で無くなるのではないかと思うほどの狂乱は、しかし斉藤に言わせると可愛い、の一言なのだから、脳みそが腐っているとしか思えない。
 その場所を意識だけさせて、しかし宣言通り入り込むことはせず引いていく。
「──~~あ、ッ」
 水音をさせながら膨れた前立腺を擦られ、身体が震える。
「いっ、く……イ──ッ!」
 矢島を蹂躙する男の熱を締め付けながら内部で達し、それを割るように更に斉藤が腰を押し付けてくる。
 ガクガクと震える身体を制御することが出来ず、耳を塞ぎたくなるような声を上げて。けれど、プライドよりも快楽が勝っているせいで、自分のその声にすら感じて、どうしようもない。
 肌の上を滑るのは、斉藤の指か、舌か。判らぬまま甘受し、ただ登り詰める。
「……っ、終わりたく、ない、な」
 斉藤が言いながら、それでも終わりに向けて抽挿を激しくする。
 揺れる視界の中、男を見上げ、ほとんど残っていない理性と、剥き出しの本能が矢島に言葉を零させた。
「食って、やっから……っ、全部出せよ」
 中の熱が一層膨れ。背中をかき抱かれて隙間が少なくなる。
「──」
 二人分の熱と呼吸だけの世界で、斉藤が何か言ったような気がしたけれど、それは脳みそに届かないまま、熱い楔を受け止め、矢島は真っ白な世界へと旅立った。

     ●

 は、と自分の意識で呼吸が出来るようになったのは、それから暫く後のこと。重たい身体は矢島の上で同じように呼吸を繰り返すだけだ。
「なぁ、」
 まだ男が中にいるままだと気がついたが、意識するとやばいことになるため、逸らすために口を開く。
「さっき、なんか言っただろ。聞こえなかった」
「……たいしたことじゃない」
 あからさまな嘘を堂々とつかれると、問いにくくなるというもので。そんな矢島の動揺をどう見たのか、斉藤が身体を起こして矢島の頬を撫でる。
「いつも思ってることを、口にしただけだ」
「……いつも?」
 落ちてくる唇を受け止めて。
 柔らかく食まれる感触に目を閉じると、秘め事を世界に溶け込ませるように、斉藤が囁いた。