朝涼

差し出された贈り物

2022年12月21日

 デスクワークとフィールドワーク、どちらか選べるのだとしたら、後者を選ぶ。
 庁内にいると腹の中が黒い狸や、毒まんじゅうを笑顔で配る狐や、二枚舌の蛇などが闊歩しており、仕事とは関係ない人間関係でストレスが溜まる。それなら現場で、物理的に頭が狂っているヤク中を相手にしたほうが気楽というものだ。話が通じなくとも力は通じる。
 目を通さなければならない書類や、下から上へと判子リレーする書類、令状の請求、それに伴う資料の最終確認と精査、上から回ってきた書類を下へトス。
 所詮はお役所仕事、ペーパーレス化が叫ばれていようとも、紙はなくならない。
 この辺りは民間のほうが進んでいるだろう。役所は制限が多すぎる。制限が多いということは面倒や無駄が多いということでもあり、ほとんどの人間が何故こんな無駄なことを、と思いながら今日も紙を動き回らせている。
 午前いっぱいを机に拘束された状態で過ごし、キリが良いことを口実に昼を食べに出ることにした。

 現在受け持っている捜査本部は一つ。先週一件片付きその事後処理もほぼ終了。となると、下手すれば今日にでも新たな捜査本部を押し付けられるだろうから、今のうちにこの安息を堪能しておきたい。つまりは外に出るのに限ると、昼を食べたらそのまま丸ノ内署に行くことを事務員に伝えた。急ぎでない限り、戻るまで仕事は増えない。
 忙しない空気の十二月。今年もあと一週間。一気に増した寒さを感じながら皇居の堀に添って歩く。昼時くらい一人がいいと共を断っての徒歩。戻りはなんとでもなる。
 皇居前の小さなPBを横目に皇居ランナーに抜かされ、観光客からの視線を受け流し早足で歩く。十分も歩けば見えてくる丸ノ内署を横切り東京駅方面へ。
 課長時代時間があれば部下と外に食べに行っていたため、この辺りならば昼を食べる知識に困らない。
 脳裏に浮かんだ一人の元部下は、あからさまに斉藤のことを避けていて、昼を一緒に食べたのは片手で数えられるほどだったなと思い出す。その内の一回は関係を持ったあとのフレンチで、あの時初めて矢島と対面で食事をした。それまで二人きりはなかったし、複数人なら絶対に対面にも隣にも座らなかった男。嫌われ、避けられていたのは自覚していたし、異動までの間手元において眺めるだけで充分なのだと、場を共に出来るだけ僥倖なのだと自分に言い聞かせたあの頃。

 その顔を脳裏に描きながらスマホでメッセージを作り、しかし送信せず仕舞う。ちょっとした運試しだ。この後丸ノ内署に行って、いるかどうか。

 赤と緑で彩られるクリスマス、そこからすぐに来る年末年始。
 警察にとってそれらはいつもより警戒が必要というお触れと共に仕事が増えるだけのイベントであり、斉藤はまだしも矢島は通常業務に加えて他部署の応援や、非番時は緊急応援要因として待機がいつも以上に厳命されていることだろう。独身男は便利に使われる運命だ。寮に入っていないだけ多少の自由がありマシだというだけだ。
 故に、次に会えるのは早くても年明けだろうと、特に約束はしていない。
 斉藤もそうなると一人部屋にいても時間を持て余すだけだと、通常通り仕事をしている。少なくとも、勤務をしていたら矢島の顔を見るチャンスが今回のように出来るわけだ。
 ……随分と健気なことだ。
 と、自分に苦笑しながら届いた定食に口をつけた。

 斉藤のアプローチを全てパワハラだと切り捨てて、眉を顰めた表情か無表情しか見せなかった男に希望を持てるほど斉藤は楽観的ではなかった。
 異動が決まり、出た賭け。
 合わなかった上司がいたという忘れられそうな記憶にとどまるより、いっそそれ以上の嫌悪を与えたほうがマシだという気持ちと、例えそれで上層部に密告され辞めることとなっても、特に困ることもないという自棄。──それと一欠片の希望。
 初手で斉藤を拒絶しなかった時点で矢島の負けが決まったことを、本人ばかりが気付いていない。このまま気付かなくても、すでに問題はない。気付いたところで手放すつもりも逃がすつもりもないからだ。

 情という鎖で雁字搦めに。
 欲という枷で拘束を強め。
 言葉と態度の、甘い束縛。

 大人げないと笑いたければ笑えばいい。
 警戒心の強い野良犬を逃さぬように必死に捕まえようとしている真っ最中で、こちらはそんなことを思えるような余裕は未だないのだから。

 定食を食べ終わり、煙草に火をつけ、星が描かれたパッケージを見下ろす。
 あの時矢島が買ってきた物自体はもうとっくにない。だが、今矢島に買い物を頼めばこれを迷いなく買ってくるだろう。それだけでなく、事後吸うこともあるため、プルースト効果で日中思い出しているかもしれないと考えると、とても楽しい。
 ……否、それは俺も同じか。
 意識を落としシーツに埋もれるように目を閉じる矢島を見下ろし、短い髪の毛を指で弾く感触。汗が引いていない肌に舌を這わせ、返ってきた反応に目を細めたこと。情欲に濡れた瞳に引き寄せられるようにキスを落としたこと、そして甘く啼く声が蘇り、記憶と匂いの結びつきの強さを思いながら紫煙を吐き出した。
 
 ゆっくりと一本を吸いきり、連絡が何も入っていないことを確認してから会計をして外に出る。
 時刻としては昼休憩真っ最中。とはいえ、ずれることなんて日常茶飯事で、更に言うのならば外に出ている可能性もある。さて、運はどちらを勝利に導くのか。そんなことを考えながら、勝手知ったる丸ノ内署に入り階段を上る。
 生活安全課は数人を残して席が空。しかし、目当ての席には目当ての後頭部が座っていた。運はどうやらこちらを勝利に導いたと気分が上がる。
 近寄ると、こちらを向いていた香川が気が付いた。
「あ、斉藤さん」
「──!」
 何故だか楽しそうな香川と、そんな香川の声に驚いたようにこちらを見た矢島。目線があった途端、バッと勢いよく視線を逸らされた。その態度に上がった機嫌が急降下し、足早に矢島に近寄り背後から男の顎を掴んで上を向かせた。
「いい態度だな、矢島」
「……お、つかれさま、す」
 それでもなお、視線を合わせようとしない男に苛立ちが募る。顎を掴む指に力を込めると、矢島が痛みからか呻き、それを見た香川が笑う。
「ほら先輩、やっぱり俺の言った通りじゃないですか」
「なんの話だ」
 機嫌が良い香川に視線を向けると、にこにこと人懐こく笑う男が口を開いた。
「今ちょうど斉藤さんの話をしていて」
「わーーー!! 言うな香川!!」
 斉藤の指を振り払った矢島が大声を出して遮る。うるさいと顔を顰める斉藤を見ることなく、矢島は立ち上がろうとする。それを咄嗟に両肩を押さえて阻止。驚きこちらを仰ぎ見る矢島を見下ろした。
「逃げるのは許さねえよ」
「いや、まっ……」
「俺としてはお前らどちらから聞いてもいいが、どうする?」
 逃げようとする矢島を椅子に抑え込みながら問いかけると、香川が掌をこちらに差し出し笑った。
「先輩も判ったでしょうし、ぜひ矢島先輩からきいてください」
「おい香川てめえ俺を売る気か!」
「売るだなんて人聞きが悪いなー。先輩に譲っただけですよ」
 これっぽっちも譲ったことにはなっていないのだが、こういうのは言ったもの勝ちだ。そしてそれに乗らない手はない。
「香川、どうやら矢島はここでは言えないらしいからな、空いている会議室抑えろ」
「了解です」
「何勝手なこと言って……!」
「うるさい」
 長いものには巻かれるタイプの準キャリアは、要領よく会議室を抑えにかかる。下からの抵抗を上から容赦なく抑え、逃げ出そうとする矢島を全力で阻止し、香川を待つ。
「C会議室が二時まで使えます」
「判った」
 時計を見るとあと一時間十五分。少々時間が少ないが仕方がないと諦め、右手で矢島の奥襟を捻り、左脇に腕を突っ込み強引に立たせた。足で椅子を蹴飛ばして退かし身体を回転。矢島を拘束したまま歩き出す。
「いや、おい、ちょっと!」
「香川、そっちの課長がなにか言ってきたら俺のところにいると言っておけ」
「了解しました!」
「香川てめえ助けろ!」
「行ってらっしゃい先輩」
 ひらひらと手を振る香川は、将来出世するだろう。褒められた出世方法ではないだろうが、人のこと言えないので何も言わない。
 ただ、なにかあったら手を貸すくらいはしようと、そう思うほどに斉藤は香川を評価も信用もしている。
 隠すつもりは全くないが、それをわざわざ問う愚行も犯さない。そんな状態なので実際のところ香川が自分達の関係をどこまで勘付いているのか、斉藤もよく判らない。知っている態度にも見えるし、知らないような態度にも見える。白黒を付けさせず曖昧な状態に持っていく手腕と技術。
「お前の後輩は底知れんな」
 廊下を注目されながら歩く最中、そう呟くと腕の中の抵抗が止んだ。
「……あんたの元部下だろーが」
 腕を離しても大人しく隣を歩く矢島を横目に、だからこそだと息を吐く。初めから強かさを感じていたが最近それを武器に上手く使っている様子が見られる。そしてその尻尾を掴ませない。上手く生きている。
「そういやあんた、香川相手だと他と違うよな」
 会議室に入りながら、矢島が呟く。鍵をかけたその手でそのまま矢島を引き寄せ、壁と自身の間に挟み込み後頭部に手を這わせた。
「香川に嫉妬する必要はないぞ。あれにそこまで興味はない」
「なんの話だっつの」
「可愛いな」
「頼むから会話をしてくれ……」
 腰を引き寄せ軽く口付けても抵抗はない。強い否定がない時点で、その感情があったのだと認めているも同然だ。無自覚の感情を見せるその無防備さが可愛いのだと、何度言っても通じない。それもいいかと最近は思っているが。
 戯れのように体温を同じにしていると、矢島がその合間に口を開いた。
「つか、なんであんたここにいんだよ」
「安息の時間を堪能しに」
「……はあ?」
「簡単に言えばサボりだな」
 間近にある顔に呆れが浮かぶ。
 その頬を撫でながら言葉を続けた。
「お前がこの時期忙しいことは知っているし、年が明けるまで約束もない。会いたいと思って会いに来て何が悪い」
「仕事しろよ管理官……」
 悪態を付きながらも、腕の中から逃げようとしない矢島の身体に触れ続ける。少し汗の匂いがするということは、午前中何かあったのかもしれない。
 肩に顎を乗せ、身体を密着させるとそろりと腕が斉藤の腕に触れ、ゆっくりと辿るように背中に回ってくる。勢いで回せないと何時もこうして少し戸惑いと照れを纏いながら、それでも抱き返してくるのだから、たまらない。
「暇なのかよ? 珍しい」
「暇じゃあないが、そっちと違って年末だからと仕事が増えるわけじゃないからな」
「あー……それもそうか」
 犯罪は年がら年中二十四時間いつでも起こるが、二課案件だとそもそも短期で片付く案件のほうが珍しい。
 ほとんどが長期戦案件という意味ではずっと忙しいが、時期に左右されないというメリットがあるとも言える。
「あとはちょっとした賭け」
「賭けぇ?」
「クリスマスプレゼントとしては充分だろ?」
「……はは、似合わねえ」
 甘い悪態に唇を寄せ、頬に口付ける。ふ、と矢島の身体から力が抜けたのを感じ取った後、抱きしめる腕に力を込め、矢島の足の間にこちらの左足を潜り込ませた。

「さて、では先程の説明をしてもらおうか」

「────てめッ」
 動きを封じられた、と気付いたところでもう遅い。
 矢島の右足を封じるように潜り込ませた左足で掬い上げると、斉藤の奥襟を掴んで矢島が抵抗する。
「離せ!」
「素直に言うのならな」
 スラックスからシャツを抜き、背中に触れるとびくりと背がしなった。下から上へ、背骨を辿り爪先で軽く皮膚をひっかくだけで敏感な身体は熱を帯びる。
「やめろサル!」
「言えば止めてやる」
「──……!」
 吐息を噛み、耐えながら震える男の身体を暴いていく。
 襟ぐりを噛み布をどかし首筋に噛みつき、舌を這わせると矢島の体臭と微かな塩味。体温を上げる皮膚に触れているだけで気持ちは高ぶる。
 ベルトを緩めると、矢島の身体がびくりと震えた。
「ほらどうする?」
「やめ……っ」
「言わないということはしてほしいということだろう?」
「ちげぇっ」
 手を突っ込み、下着の上から緩く握ると腰が逃げる。
 それを許さぬように追いかけ強く擦った。
「言うからやめろ!」
 手首を強く掴まれたため一度動きを止め矢島の顔を覗き込むと、こちらを睨みつける顔。
 視線を受け無言で促せば、ため息と共に口を開いた。
「距離が近い」
「……どういうことだ?」
「香川が、あんたは普段人と一定の距離があるのに俺との距離は近いって」
 言いながら段々と視線が外れていくが、言われたことを反芻する時間がほしいため今は追いかけない。
 確かに、二人きりの時は意図的に近いのは事実だし、触れているのも事実。だが、第三者がいる時はそれほど近かっただろうか。
「いう話をしてた時にあんたが来て、動揺したんだよ」
 視線が外れ、さらに身体を離そうとするそれは許さず、腰を引き寄せる。動揺する身体を壁に押し付け、唇に齧りついた。
 熱くなっている腔内に舌を差し込み、逃げようとする矢島の舌を捕まえ絡ませる。
 空気を含ませ音を立て、吸って噛むと同じように応えられ。
 混ざりあった唾液を飲み込み、唇を離した。
「お前も気付いていなかったってことか」
「てめえがしつこく近いせいだろ……」
「そうだな」
 それに馴染むほど、矢島が斉藤の気配に警戒していないという現実。斉藤が気付かぬ内に預けられていた信用。それを喜ばずにいられるはずもない。
 体温を馴染ませるように抱きしめ、肩に顔を埋める。ゆっくりと動けば矢島からの抵抗はなく素直にこちらを受け入れた。

 壁にかかる時計の秒針と、部屋の外から聞こえる喧騒の音。
 故に、腕の中の存在を濃く感じることが出来る。

 ……手放せないな。そう、改めて思う。身体だけでなく心も欲しがって、けれど元々他人に対して心を見せることを良しとしない男は、本心をなかなか語らない。
 時間をかけて行動の裏を読み、囲い込んで離さず。
 不安が束縛に直結していると自覚していて、けれどこちらとて必死なのだから決して悪いことをしているとは思わない。

「今日、終わったら連絡しろ」
「……明日も仕事なんだけど」
「手加減する」
「……」
 すぐに拒否の言葉が来ないということは、連絡は来るだろう。そういう男だ。
 それに満足して身体を離し、目元を染める可愛さを目に焼き付けてから、思考を切り替える。
 まだ連絡はないが、机の前にいない時間が長いほど処理するものは溜まっていく現実は変わらない。戻らないと斉藤自身が午前様になりかねない。

「矢島」
「んだよ」
 雑に服装を整える矢島を待ち、窓の外を親指で指さした。
「運転手」
「…………歩いて帰れ!」
 血管を浮かせて怒鳴る男に笑う。
「少しでも一緒にいたいという意図を汲み取ればか」
「知るか、こっちは忙しいんだよ」
 上下関係しかなかった頃には、こんなやり取りが出来る未来を夢想することもなかったなと思いながら、会議室の外に出た。
 自ら手繰り寄せたプレゼントとしては最上級。それに気分を良くしながら。