朝涼

TRIGGER前のクリスマスイブ

2022年12月24日

「あれ、課長まだ残ってたんですか」
 執務室を出たところですぐにそう声がかかる。日中とは違い、人気がなくなった生活安全課は、外気の空気を感じさせるように少しだけひんやりとしていた。
 斉藤が顔を向けると、部下が二人。そちらに足を向けると、声を出さなかったほうの部下があからさまに嫌そうな顔をしたため、むしろ足を早めた。
「伊藤と矢島か。貧乏くじだな。お疲れ」
「あとは神田と守口ですんで、課長の労い伝えておきます」
 言いながら仮眠室を指差すということは、現在休憩中ということだろう。
 今宵はクリスマスイブ。警視庁の機動隊は人員を増やして警邏を行っているが、だからといって所轄はいつもどおりで良いともいかない。
 普段は二人で回す夜番を、もう一組増やしての対応。場所柄、夜中に通報が入ることのほうが稀なため、夜中はほとんど雑談タイムなのだが、斉藤がそれを咎めることはない。だからこそ相手も斉藤に気楽に話しかけてきたのだ。

「で、課長はなんで? 何時もならもう帰宅されてますよね」
「上からの連絡待ちでな」
「それは……お疲れ様です」
 上というのは丸ノ内署のではなく更に上――つまりは警視庁側からの連絡ということで、投げ出して帰るわけにもいかない。
 同情が入る声にくくと笑いながら、伊藤を矢島と挟む形になる席に座ると、伊藤が椅子を引いて三角が描かれる。さすがに間近で無視するわけにもいかないと、嫌々な空気を出しながらも矢島が斉藤を見た。
 隣に座ったら、矢島は伊藤のほうへとあえて椅子を引く。過去にそうして逃げられたからこそ、今回はあえて遠くに座ることで逃げ場を無くした。――そんな意図を矢島は気付かないだろうけれど。
「矢島も、独身男こそ休みがほしいだろうにな」
「……いや別にあんま興味ないんで」
 斉藤の軽口に、矢島はおやと眉を跳ねながらも素直に言葉を返す。
「俺は休みほしかったのに、香川とじゃんけんして負けたんすよ!」
「ああ、だからあいついないのか」
 普段矢島と組むことの多い香川が居らず、伊藤がいる理由をやっと知る。
 シフトについて組まれたものの確認はするが、その選出については各班長に任せているため、今日のシフトについても知ってはいたが人選について何故このメンバーとなったのか、理由までは知らなかったのだ。
「課長こそ美人な彼女や許嫁の一人や二人や三人いそうなのに、仕事で大変ですね」
「どちらもいないし、そんな大人数そもそもいらん」
 階級がなければ同世代の男三人だ。緩んだ空気が、斉藤に少しだけ口を軽くさせる。
 そんな報告に、部下二人が目を見開く。まさか、という空気に息を吐いた。

「言っておくが、この顔が人生において役立ったことは一度もない」

 机に肘をかけ足を組んでそう言えば、目の前の二人は更に驚くのだから、本当にこの顔の作りは面倒くさい。
「美形であることは否定しないんすね……」
 思わずという雰囲気で、矢島がぽつりと口を開く。そちらに視線を流し、首肯する。
「それは事実だろ」
「――……っ」
「なんで怒るのか判らんが、そうであっても人生で役立たんという話だ」
 つまり、
「顔面目当てで寄ってくる奴は、スケジュールをこちらの都合に合わせるということをしない。同性からはやっかみしか受けないし、そうでなけりゃ金目当て」
「あー……」
 その、同性からのやっかみが入っていたであろう矢島が視線を逸らすのを、目を細めて楽しげに見る。自覚があるようでなにより。
「末路がどうなるかなんて、火を見るより明らかだろ」
「ってことは課長振られるほうが多いと」
「そうなるな」
 後は長兄によって――というのもあるが、思い出すだけで苛つくので頭から追い出す。
 斉藤にとって、恋愛というのはそんなものだ。夢も希望も楽しみもない。
 そして、この日本だと同性というだけで対象外となる人間が多く、今持っている感情とて本人にぶつけることも、万が一の奇跡も望めそうにない。
 斉藤を嫌っているということは、この顔面もバックグラウンドも興味がないということで。

 そんな相手を腕に囲ったらどうなるのだろうと、雲をつかむ夢想をしかけて、いつもやめる。
 ――叶わぬのなら、それは希望ではなく絶望にしかならない。

「意外な……」
「モテるイコール恋人が必ずいるってわけじゃない」
 言うと同時に胸元にいれていたスマホが振動した。取り出せばやっと届いた連絡。
 立ち上がると察した二人が執務室への道を空けた。片手で例をして思考を切り替えながら、少しだけ椅子に座る黒髪を視界に入れた。

 夢想はしない。
 希望も持たない。
 斉藤に従わない、懐くこともしない野良犬をからかって、それで十分。

 通りがけ、ディスプレイに表示されている報告書の誤字を指差し、軽くその黒髪を叩く。
 固くてさらりとしたその感触を指先に残すくらいが、ちょうどいい。