朝涼

寝起き

2023年1月23日

 普段寝起きがいい矢島が、珍しく寝ぼけているようだ。
 ぼうと少しだけ定まらない視線を見返すと、矢島の指が斉藤の顎に触れた。
「どうした?」
 空気を壊さぬように問えば、返事は返ってこないかわりにその指が斉藤の顎をゆるゆると撫でていく。性的なものは何も感じない、動物が興味を持って対象物を触るかのような純粋な接触。
「……あんたにも生えるんだよな」
「そうだな」
 おとがいから下顎へ、もみあげまで辿って戻り、鼻の下。うっすらと肌から露出する髭を辿る指を好きにさせる。
「嫌か」
「さいしょは」
「ん……?」
 力のない腕が斉藤の首に巻き付いてくる。そんな矢島の身体を引き寄せると、矢島の鼻先が斉藤の頬をゆっくりと擦っていく。
「ざけんなきしょいって、思って」
「……まあ、そうだろうな」
 女としか付き合ったことがなければ、生えかけの髭を触るというのは、なかなか起こり得ないシチュエーションだ。友人同士で巫山戯てということはあるのかもしれないが、残念ながら斉藤の友人間でそのようなシチュエーションは起こり得ないので、実際にあるかどうかは知らない。
「なら、……今は?」
 同じようにうっすらと生える矢島の髭を指の背で擽るように触れると、猫のように指に懐いてくる。普段なら、絶対にあり得ない行動に驚きと幸いが同時に訪れる感覚。
 いつもは起きたらさっさと腕の中から抜け出し、夜の匂いなど一切感じさせずに朝の空気を取り込む男が。
 日常の中でも、ベッドの中でも、甘えるようなことをしない男が。
「いまは、嫌じゃない……」
「そこは好きって言えよ」
「すきじゃねえ」
 素直でない口は何時も通りで、それに苦笑しながら唇を触れ合わせる。ちゅ、ちゅ、と小さく音を立てながら体温を移していくと、力の入っていなかった矢島の身体が唐突に震え、斉藤を引き剥がし起き上がった。
「俺、い、いま……っ」
「どうした?」
 つい今しがたまであって寝ぼけの雰囲気は霧散し、何時も通りの矢島がそこにいる。だが、耳どころか首まで赤くなっているのは、自分の行いを覚えている証拠だろう。
 ベッドに寝転がったまま、そんな矢島を見上げにやにやと笑えば、枕で強くひっぱたかれた。
「見んなくそったれ!」
 そのまま床に降りようとする男の腕を掴み、自分の下に組み敷く。驚く矢島に体重をかけ、囲い込む。
 まだ顔は赤いままで、逃げようともがく姿は。
「かわいいな」
「目腐ってんだろ眼科行け」
 先程までの自分の所業が記憶にあるからか、悪態は何時もの勢いはなく。それが可愛らしいのだと、言ったところで本人には通じないだろうがそれでいい。斉藤だけが知っていたらいいことだ。
 頬を合わせると、髭同士が触れ合ってざらりと擽ったい。逃げようとしない矢島に気分を良くして口を開いた。
「仕事に行きたくないな」
「珍しいな、管理官」
「お前と一日ベッドの上に過ごしたい」
「ぜってーお断り」
 半ば本気の本音に、視線を外しながら拒絶する矢島。とはいえお互い、簡単に休めるような職業でも立場でもない。いい加減動かないと遅刻しなねない。
 そう思いながらももう少しだけと唇を合わせ、舌も触れ合わせた。絡めた舌を吸い、擦り合わせ。矢島の咥内に侵入して上顎を刺激すると、腕の中の身体がひくりと跳ねる。朝に行うには少しだけ夜の匂いが強い接触。これ以上はというギリギリで唇を離すと、名残惜しげに矢島の舌が無意識に追いかけてくるのは、斉藤だけの秘密だ。
「おはよう」
「……はよ」
 空気を変えるように挨拶を口にして。最後に矢島の頬を一撫でしてから起き上がる。
 いつもはただ淡々と過ごす朝に付いた彩りに幸いを感じ、身体が軽い。そんな現金な自分も嫌いではないなと思いながら、朝の支度に取り掛かった。

 ──今日は良い一日になるだろう。