朝涼

その先は巣窟

2023年2月12日

 厄介事を押し付けられた。
 じゃあ後は頼んだと一言言った上司は、広瀬の背中を叩いた後さっさと自席に戻っていて、文句のひとつも言えやしない。恨みがましくそちらを睨んだところで、この厄介事は消えてなくならないわけで。
 出そうになる溜息を必死に飲み込み、視線を戻すと無表情で立ったままの美青年が一人。
 緊張している様子はなく、かといってだらりとした印象も持たない。ただ、自然体でそこに静かに存在している。
 広瀬と上司のやり取りも聞こえていただろうに、視線を動かすこともしなかった青年。
 ……ストレート合格だろうから、二十一か二か。
 そうは見えない落ち着き具合だ。育ちが違うのだろうなと、心の内側が冷めていく。

「……初めまして、広瀬です。階級は君と同じく警部補」
「斉藤です。よろしくお願いします」
 抑揚の少ない、けれど届く声音の挨拶。しっかりと腰を曲げての一礼。
 階級として同じ警部補であっても、ゴールに近い広瀬と、スタートを切ったばかりの斉藤では、そもそもの立場が違う。それでも勤続年月の差で、現時点で言うのならば階級が同じ故に先輩後輩──もしくは世話係として体裁を保てる。それを見越しての配置。
 警視庁から一番近い所轄である丸ノ内は、こうしたエリートの受け入れに指定されやすく、今まで何人も見てきた。だが、自分が担当にされるとは思ってもいなかった。
 例え階級が同じであろうと、広瀬から見たら成人したばかりのまだまだ子供で、現場を何も知らない知識だけのひよっこだ。しかも国からの預かり物。無碍にしたら広瀬の首が飛ぶ。
 面倒くさいとは思うが、上司の命令は絶対の世界。広瀬に拒否権などない。
 青年の研修が終わるまで付き合うかと、仕方なしに覚悟を決めた。

     ●

「斉藤くん、勝手に消えない」
 自販機の横でコーヒー片手にぼんやりとしていたエリートを、探し始めて十五分後に確保し、この一週間で数えるのも馬鹿らしくなるほどに口にした小言を再び口にした。
「課長と話し込んでいたんで」
「それでもどこに行くって口にして。聞いてるから」
「そうですか」
 ブラックコーヒーを流しこみながらの言葉。全く響いている気配がない。
「次からは探す時間が無駄だから、俺のために宣言していってくれ。で、貰った報告書裏付けが足りないから情報貰いに行くよ」
「判りました」
 反抗的では決してなく、広瀬が言ったことに対して従順。ただ、どこまでもやる気がない。言われたことをこなしているだけ。
 ……それでもミスなく最善手でやるんだから、頭の作りが違いすぎる。
 嫉妬すら起きやしない。一を教えて十を知る、を素でやる人間を初めて見ている。本当に同じ人間なのだろうか。顔の造りからして、広瀬と同じ色の血が流れているようには見えない。
 斉藤がコーヒーを飲み終わったタイミングで歩き出し、そういえばと次に会う人のことを思い出し振り向く。
「斉藤くんってタバコ吸う?」
「……吸いません」
「斉藤くんたまに判りやすいね、そこが今のところの可愛げかな。けど、嘘つくなら叩き上げの刑事騙せるくらいじゃないと頭から喰われるよ。それじゃあはいこれ」
 ポケットに入りっぱなしの、隅が少し潰れたタバコの箱と、使いかけのライターを手渡す。素直に受け取った斉藤は、手の上のものと広瀬の顔を見比べた。
「広瀬さんは吸わないですよね」
「普段はね」
 促し、歩きながら続きを口にする。
「けど、何かと便利だろ。喫煙所は鍵のかからない密室だからな」
「……人脈ですか」
「そういうこと。縦でも横でも外部でも、持っているかいないかの違いは大きい。情報を制するものは場を支配出来るってことだ」
 署から外へ。日比谷線に乗るつもりだが、会話をするためあえて大手町方面へ徒歩で向かう。さすがに地下鉄に乗っている時に、下手な会話は出来ない。
「良いんですか俺に明かして」
「取っ掛りをやるだけだ。それを育てるのも枯らすのも斉藤くん次第。俺にダメージはない」
 それに、と続ける。
「現場なら事件に直結することだけど、君ら国家公務員は政治に直結するだろ。なおさら武器は多いにこしたことはないさ。持っていて邪魔にならないのなら、持っていた方がいいし、邪魔になるのなら切り捨てろ」
「────」
 手に持ったままのタバコを斉藤は一度見下ろし、納得したのかスラックスのポケットに無造作に突っ込みながら頷いた。
「協力者というのは結構いるものなんですか」
「斉藤くんが考えているような協力者はあってないようなもんだ」
「……?」
 どういうことだと、珍しく表情を変える斉藤を横目に寄っていこうかと、数少なくなったコンビニに併設されているガラス張りの喫煙所に入る。平日昼間であってもいつもなら観光客はいるのだが、珍しく誰もいない空間で、先程預けたタバコを一本貰う。
 斉藤は、取り出したソフトパッケージを上下に軽く振って、数本飛び出させてからこちらに向けるのだから、苦笑するしかない。広瀬にバレているのなら取り繕う必要はないと思ったのか、他の理由があるのか。まあ深くは聞くまい。
 ライターで順番に火を付けて、しばしの沈黙。その間に頭の中で転がした言葉を、舌に乗せた。
「ポケベル、ガラケー、スマホ。3Gから5G。WiFiもそうだし、光通信もか。ネットの発達は、同時に情報の伝達速度を上げた」
 街行く人を見遣れば、必ずと言って良いほど所有している端末。
 世界と簡単に繋がることの出来るそれは、恩恵と損害を同時にもたらすものだと、未だ判らず使っている人も多くいる。
「昔のように直接警察署に駆け込んできたり、公衆電話を探す必要が無くなったから、通報速度は段違いに上がったのは、ご存知の通り」
 ふ、と苦い息を吐き出す。
「その流れで、道行く人が情報提供者になるのは俺達からしたら有難い話ではあるけど、それは情報の上澄みでしかない」
「……」
「情報は左右の広がりと上下の深さ、それぞれ別ベクトルに処理される」
 空中に十字を切り、縦線の上をタバコで指す。ふわりと苦い匂いが広がった。
「所謂一般市民からの情報提供はここ。軽くてどこにでもあり、数日経った後でも取れるようなもの」
 人の記憶よりも、監視カメラ、足跡、物証。それらの方が下方になるのは必然。
「斉藤くんが想像したであろう、ここより少し下の情報で小遣い稼ぎしようとする連中もいないことはないけど、それは昔の話だな。今はもうほとんどいない」
 誰もが情報提供者になれるということ、技術の進化。複合的な要素により、情報の価値はレベル分けされるようになった。
 「小遣い稼ぎ」が出来るような情報には二束三文の価値もなく、価値が付くような情報はそれだけ重く。
「これから行くのはこっち側」
 先程引いた横線より下側、深度の低い方。
「こっちにいるのはマイルドな言い方をするのなら、アウトローな連中ばかり」
「マイルド……」
「まあ、とはいえ俺も一番下は知らないけどな。現場の俺が知ったところで使えるもんでもないし」
「──……」
 察して目を細める斉藤に笑いかけ、十字の真ん中あたりをくるりとタバコで撫でた。
「斉藤くんが将来どうするのかは知らないけど、深入りしすぎると雁字搦めになるよ」
 灰を落とし、更に二口。
 じわりと広がる酩酊感を楽しみながら煙を吐く。
「いいんですか、こんな新人にそんなことを教えて」
 初めて感じられる真剣な声。視線を向けるとこちらをきっちりと見ていて、少しだけ瞳孔が閉じている。緊張している証拠だ。
 ……こういう所がまだ若造で可愛いところだな。
 素直で、擦れていない。いきがっている子供。大人ぶっている、冷静なつもりなだけの未熟者。それはつまり、広瀬が擦れすぎているだけなのだが、刑事なんてそんなものだ。
 この青年は、まだ、何も知らない真っ白なのだ。
 タバコを吸う掌で口元を隠し、微かに曲がりそうになる端を隠し、ゆっくりとフィルターを焦がしてから口を離す。

「大丈夫、嘘が混じってるから」

 灰皿に吸殻を投げ捨てて、そう笑った。

     ●

 言われたことの処理に戸惑ったのか、動きを止める斉藤を見て溜飲を下げる。若いなぁと何度目かの感想を持ちながら、頭を下げた。
「ごめんな。斉藤くんを探し回るために署内駆け回ったのが、ちょっと消化出来なくて意地悪しただけだ」
 毎日どこかに行く時には声を掛けろと言っているのに改善するつもりのない青年に、少しのお灸。
 広瀬の言葉に斉藤は息を噛み、その後にゆっくりと腰を曲げ頭を下げた。
「すみませんでした」
「うん」
 素直に非を認める青年を許し、肩を叩いた。
「斉藤くんがいつまでここにいるのか、俺は知らないけど俺なんかに巻かれてるようじゃあこれから生き残れないよ」
 もっと強かにならないと、と。笑い、もう一本貰う。斉藤は短くなった吸殻を捨ててから同じように二本目を焼いた。
「……面倒な世界ですね」
「そうだよ。知らなかっただろ」
「ええ」
 上澄みだけでは知りえない、深い部分。広瀬が見せたのはその入口だけだ。触れさせてすらいない。見せただけ。それでも、若造には響いたのだと、隣の気配でよく判る。
 とはいえ、これだけでは新人キャリアを虐めたノンキャリアとしかならない。首が飛ぶのはちょっとなぁと思うくらいに、広瀬は刑事という仕事を好いている。
「どこまでが嘘か、斉藤くん自身で調べなよ。教育係としての課題ってことで」
 伝えたことに嘘はない。
 〝嘘をついた〟と嘘を言ったのだと、彼が知るのはもっと後のこと。今はそれでいいし、それより前に居なくなるのならば、知らないままのほうが余程いい。知った後に斉藤がどうするのかは、本人次第だ。上手く使うのか、やめるのか。知る頃には擦れているだろうから、今日のようにはならないだろう。斉藤ならば上手く使えるだろうし。
「エリートってのも大変だな」
「叩き上げの方が有象無象で怖いと、今日知りました」
 無表情にフィルターを噛む青年の本音に、はは、と一つ大きく笑った。