朝涼

物語という人生は続くのだから

2022年11月9日

 好きな人と結ばれました。 めでたしめでたし。
 と、ならずに続く日常という現実は、目を覚ました瞬間から再開する。
 緩く拘束された身体は、上にかかった布団と背後の体温のため、何時もよりも高く、暑いと感じるほどだった。 重みの幸せと昨夜の記憶が蘇ってきて、一度強く目を瞑る。いい歳してという行動。冷静な判断の上での動きだったが故に余計に居た堪れない。後悔はなくとも、気恥ずかしさはあるというものだ。

 神谷の身体の上にある重たい腕は、動き気配を見せない。
 何度か共寝をしたが、こんな風に抱きつかれたことはなかったので、背後の人間にとっても昨日は今までとは違う、一区切りであり再スタートであったのだろうことが伺えた。
 顔が見たいなと思い、腕を少し持ち上げて身体を反転させる。動いたせいで室内の冷たい空気が布団の中に入ってきた。
「悪い、起こしたな」
 深く一定だった呼気が、神谷の動きの後に乱れ。顔を見たらうっすらと瞼を開けていた。
「……」
 それでもまだ大半は夢の中なのか、動きが鈍く応えがない。
 最初に襲った時もそうだったが、梶の眠りは深いのだろう。触れても起きなかったからあそこまで出来たわけで。 神谷はどちらかというと浅い方なので、何でこんなに起きないのかと不思議に思ったことを思い出す。
「……」
「なに……?」
 梶が口を開き、吐息を落とす。 神谷の促しに梶は目を瞑り、こちらの首筋に顔を埋め息を吐いた。
「何時……」
「六時ちょっと前」
 寝起きの掠れた声が操ったいと思いながら、ベッドヘッドに埋め込まれている時計を見て答えると、唸り声で返事をされ、そのまま梶の腕が神谷を拘束した。 起きる意思はまだないらしい。
 ずしりと重くなった腕の中、 梶の顔をじっと見る。
「と、いちじか、」
「ん、おやすみ」
 あと一時間、と呟く男に返事を返すとすぐにまた寝息が深くなる。
 昨日は精神的に疲れたのだろうし、元々ワーカーホリックで常に目の下にくまを飼う男だ。寝られる時に寝たほうが良い。

 今までなら、この腕の中から抜け出して自分だけ身なりを整えて先に出ていた。 梶相手でも、それより前の相手であっても。
 ……けれど今日は。
 否、今日からは。思いながら、二人分の体温で温まった布団と梶の身体の重さを感じながら、そっと瞼を閉じた。

     ●

 次に目が覚めた時には太陽は昇りきっており、カーテンの向こう側が明るかった。 時計を見ると七時過ぎ。 二度寝というのは何故こうも深く眠れるのだろうかと考えていると、神谷を拘束する男も瞼を上げた。
「おはよ」
「……」
「おはよう。まだ寝ぼけてんのか?」
 呆けた顔をする梶にそう言えば、腕に力が入り、 梶の肩に埋まるように少しの距離を引き寄せられた。
「起きた時お前がいんのが不思議だった。はよ」
「動けなくさせといて何言ってんだ」
 笑いながら顔を上げ、髭の伸びた顎に口付けるとすぐに梶の顔がずれて唇同士が触れ合う。足も絡めて密着して、戯れのようなキスを繰り返す。
「今日午後から仕事か?」
「研修終わった後戻るつもりだったからそうだな」
 キスの触れ合いの間に会話をする。 それでも九時頃の新幹線に乗れば間に合うため、まだもう少しゆっくり出来る。 そう伝えると梶の空気が柔らかくなる。そんな梶が可愛くて神谷からキスを仕掛けたところで、空気を割るようにバイブ音が部屋に響いた。
 思わず顔を見合わせてから同時に起き上がった。
 音の発信源を確認すると、ベッド脇に置いたままの神谷の靴の中からだった。 そういえば新幹線でマナーモードにしてから一度も取出していない。
 鳴り続けるバイブ音は電話の証拠。 営業として刷り込まれた反射が鞄からスマホを取り出させ、しかしその発信者を見て緊張がとけた。
「おはようございます宮川次長」
 神谷の一言目に梶が眉をあげた。
 宮川の声がきこえるようにと、梶の膝に乗り上げて耳にスマホをつける。スピーカーモードにせずそんな神谷の行動を引き剥がすことなく受け入れる梶は、一体何を考えているのか判らないが、拒否がないのをいいことにくっついた。
 梶の足の間に入り込むと、腕が神谷の背中を支えてくれる。それに視線で礼を言う間に向こうからも言葉が返ってくる。
「おはようございます不良次長」
「酷い言い草だな」
「心当たりは」
「ある」
 面倒を押し付けて出てきたのだから、多少の嫌味は仕方がない。 声から怒っているわけでもないというのも判るしこれくらいは軽口の範囲だ。
「もう新幹線に乗ったのか?」
「いや、まだ新潟にいる」
 昨日新幹線の中から宮川に後の処理を依頼しておいた。
 宮川が朝から電話をしてくるということはその事の擦り合せだ。 本当に感謝しかない。
「では神谷次長、お前は昨日の夜、宴会途中に発熱したため家に帰っているので、今日は休むように。有給は俺が出しておくから」
「なるほど……」
 そうしたか、という納得。
 そこに宮川の優しさを見て有り難さと申し訳無さを感じた。自分達の関係を否定せず、過剰に反応するわけでもなく。けれどこうしてフォローしてくれる同期の存在。
「梶は元々今日も休みにしてるみたいだけど、明日はどうするか訊いてくれるか」
 端末から社内システムを見ているような口ぶり。 神谷も梶も持っているのだから自分で申請を出すことも出来るが、ここは宮川に任せたほうが色々とスムーズにいくだろうと、託すことにして梶に向かって視線で促すと、 梶がそのまま口を開く。
「明日も休みで頼む」
「うお、びっくりした。あー、了解。 じゃあついでに出しておく」
 電話故、神谷だけが聞いていると思ったらしい宮川の声に少し笑った。
 そして、なんというか。
 文句を言いながらも動いてくれることが有り難く申し訳なさも感じながら、思ってしまう。
「ありがとう、母さん」
 の、ようだと。いや、実母はこうではないけれども。 神谷の言葉に梶が笑いをこらえるようにぐっと息を詰める。
「研修抜け出して朝帰りするような不良息子いらん」
「朝帰りどころか休みにしてくれる優しい母さんで、息子は嬉しくて泣きそうだ」
 神谷と宮川のやり取りに肩を震わせる梶を見て、昨日夕方の電話で感じた固く弱い空気が全くないことにほっとする。 少しでもこうして笑えてリラックス出来るのなら、それがいい。
「ちゃんと明日は仕事にこいよ不良息子」
「約束する、母さん」
 そう言って通話を切った。嫌がりながらものってくるのだから付き合いがいい。
「さて、今日一日時間が出来た」
 スマホをベッドに放り出して改めて梶に言うと、真剣な目をした男が口を開く。
「朝飯食って…… 一緒に親父の見舞いにいくか?」
 言われるだろうなと、予感が的中したため静かに首を横に振る。
「やめとくよ。──ああけど、見舞い品は俺に買わせてくれ」
「判った」
 梶も恐らく神谷が首を振ると判っていてきいてきた。だからすぐに引いて代わりに唇が落ちてくる。 体温を合わせて、息をついた。
 覚悟は決めた。けれどまだ、長年染み付いた恐怖があるのだ。 全部がすぐに動けるほ神谷は楽観的ではなくて。無理強いしない梶に感謝しかない。
「朝飯、美味い米食いたいな」
「美味いところ連れてってやる」
 今はまだ、この幸せで手一杯。
 この幸いを受け止める余裕が出来たその時に、先のことを考えようとそう、思った。