2023年6月8日
「……何それ」
「バラ」
「知ってるっつの!」
先に家に行ってて、と加藤の部屋の鍵を渡されて、何なんだと思いながらも家主のいない部屋に入って弱味でもないもんかと部屋の中を物色していた時に――ちなみに見つからなかった――家主である加藤が帰宅した。分かれる前には持っていなかった、真紅のバラの花束を持ちながら。
「梶さんの話聞いたか?」
「恋人に花買ったって話?」
本日の東都銀行は、その話題でもちきりだった。
噂されている本人はこれっぽっちも気にしていない顔でいつも通り仕事をしていて、からかいにいった松田にいつも通り軽い罵りを被せてきた。
「元々はうちの次長が奥さんに花買うって話だったみたいなんだけど、先輩と梶さんところの部下が結託して梶さんも送り出したらしい」
噂の出処を松田は知らなかったため、深く梶に突っ込んできけなかったのだが、まさか営業一部が絡んでいたとは。加藤はどうせ何も知らないだろうと、真っ先に情報先から外したのが仇となった。知っていたら梶をからかうために加藤のところに聞きに行ったのに。
「で、加藤くんはそれに触発されてこんなのを買っちゃったと」
「プロポーズするには必須だろ?」
さらっと言った加藤に対して言葉が詰まった。
同時に、いつもは外訪の時にしかきっちりと着こなさない男が、ネクタイを絞めてフロントボタンも閉めていることに気がついて、視線を逸らした。
「ダズンローズデーには半年早いけど」
言いながらソファに座る松田の前に跪く加藤を、制止することが出来ない。
いつだったか、昼間の街で同じように跪かれたことを思い出した。
その時よりも真剣な顔で、あの時持っていなかった真紅の花束を持って、加藤が口を開く。
「松田悠樹さん、僕と結婚してください」
ちゃらけた空気など一欠片もなく、心の底からの言葉なのだと、雰囲気から伝わる。だからこそ何も言えない松田を、加藤は急かすことなくじっとこちらを見ながら松田の次のアクションを待っていた。
……なにか、いわないと。
日本じゃ結婚出来ないとか、ベタすぎるとか、もっと場所考えろとか、……他に、他にも。
「……本数も、合わせてきたのかよお前」
「店員が喜んで解説してくれた」
プロポーズするなら、十二本がいいですよ、と。ヨーロッパの方では十二月十二日がダズンローズデーと言って、男性が女性に十二本のバラの花束を贈る日なのだと。贈られた女性はその花束から一番綺麗なバラを一本引き抜き、男性の胸元に飾るため贈り返すのが慣習なのだということを。
松田に花束をそっと握らせて、加藤は額同士を合わせる。間にバラの花束をおいて近い距離。
「前言った通り、答えは今じゃなくていいから。俺が辞める時聞かせて」
「……その時贈り返せって?」
「そうなったら嬉しい」
二人分の前髪の隙間から視線を合わせると、加藤が小さく笑い、花束を握る松田の掌を包み込んで逃さぬようにしながら唇を重ねてくる。
「お前、そのうちヘリに乗って夜景を下にやらかしそうだよな」
「やっていいならやるけど」
「いらねえわ」
「残念」
執着を決して隠さない加藤。それに恐怖を感じる時もあれば、拒否感が生まれない時もある。今は後者で、柔らかなそれを静かに受け入れた。
「俺としては九百九十九本ほしかったけど、時間かかるっていうから妥協した」
「んな量持ってこられたらドン引きするっての」