朝涼

日常を少しだけ豊かに

2024年11月13日

 例年より遅い梅雨入りのせいなのか、別に理由があるのかは知らないがすでに夏のように暑い日中と、少しだけ肌寒くも感じる夜。暑がりの片桐はすでに冷房をつけっぱなしにする生活に突入しているようで、日中家主のいなかった空っぽの部屋ドアを開けると、冷気が流れてきた。
 先に靴を脱ぐ片桐の背中をなんとなく見ていると、汗でシャツが背中に張り付いていた。確かに今日は真夏日と言われるくらいに暑かったし、長谷川も汗はかいたが、片桐ほどの発汗はない。
「汗すごいな」
 背中を指先で突くと、爪先に濡れた感触。代謝がいいのは若さだろうか。そんなことを考えていると、片桐が肩越しに振り返った。
「誘ってんですか」
「何でだよ」
「えろい触り方だったんで」
「うわっ」
 身体を反転させた片桐が長谷川の腕を捕まえ、腰を引き寄せる。触れ合う場所から伝わる、じとりと熱く感じる高い体温は、肌を合わせた時を思い出させてカッと顔に血が集まった。
 顎を掴まれて唇を重ねられると反射的に目を閉じてしまう。柔く食まれ、息を飲むと間近で笑われた。瞼を上げて睨むが、片桐は長谷川とは正反対に笑っている。
「まてまてまて!」
 不埒な手が、長谷川のシャツを引っ張り出して直接肌に触れてくる。その腕を叩き出して腕を突っ張って離れた。
「こんな所で何考えてんだ」
「誘われんのかな、と」
「……何言ってんだ」
 今回は片桐も本気ではなかったようだから簡単に離れられたが、本気の時には離れるのに苦労するというもので。こんな、玄関先でなんてたまったもんじゃないというのが長谷川の常識なのだが、片桐からすると優等生らしい。スリルはスパイスですよなどという言葉に長谷川が頷く日は絶対にこない。
「お前の誕生日プレゼント、この後届くから」
「ああ、だから残業も呑みも無しで直帰だったんですね」
 昨日の夜と今日と、何度か長谷川が口にした本日残業無しの言葉に片桐は素直に頷き、大人しくこうして家まで帰ってきていた。最悪、本人がいなくても長谷川一人で受け取るつもりではあったのだけれども、二人で帰ってこられて良かった。
 片桐の誕生日は当然のように会社では知れ渡っていて、呑みに行きたいとごねる若手に、また今度と片桐に断らせるのは少しだけ良心が傷んだけれど。
「しかし通販って。情緒とロマンが足りないんじゃないですか?」
「そのふたつから一番遠い奴が何言ってんだよ」
 そもそも、会社に持っていくわけにはいかないし、前日は残業になることが判っていたからそもそも選択肢に入っていなかった。かといって次の日の土曜日は片桐に却下されたのだから、一番効率のいい方法を取っただけだ。
「ちなみに中身は?」
「酒とつまみ。今回は長野産」
「流石直幸さん」
 甘いものは食べないし、物にもさほど執着しない片桐へのプレゼントは消え物が何だかんだ反応がいい。酒とつまみならほぼハズレがないし、長谷川もこう言ってはなんだが普段なら購入しない値段帯の酒やつまみをご相伴預かることが出来る。
 先月の長谷川の誕生日は、同じように片桐チョイスの酒とつまみだった。この年齢になると祝ってもらえるだけでもありがたいというもので、二人でこの部屋で呑んだのは記憶に新しい。
 最終の配達時間を指定していたため、届くまでもう少しかかるだろうとキッチンに立つ。何だかんだ週の何度かはここで過ごすため、自炊出来るくらいの食材が入るようになっている。片桐がそれらに手をつけた形跡は一度も見られないが、文句を言われたり捨てられたりはしていないのだから好きに使っている。
 沸騰した湯をコンロから下ろし、中に卵を沈めて放置。これで勝手に温泉卵が出来る。
 ベーコンを焼いて、ついでにクルトンやバケットなんてものはないので、一枚だけ残っていた食パンを細かくして焼いてクルトン代わりにする。
 パックで売っているサラダ菜を皿に出してベーコンを散らし、一度冷蔵庫の中に。食べる寸前に食パン、温泉卵と粉チーズ、シーザーサラダドレッシングをかければいい。
 帰る途中にテイクアウトしてきた焼き鳥各種は、オーブンで温め、残っていたベーコンとほうれん草をバター醤油で味付け。あとは届くつまみで十分だろう。と、用意が出来たところでチャイムが鳴った。
 それに対応する片桐の声を聞きながら、机の上に作ったものやグラスを用意していく。
「届きました」
「開けていいぞ」
「じゃ、遠慮なく」
 カッターは使わずに、隙間に指を入れてダンボールを破壊しながら中身を取り出す片桐に苦笑する。
「地酒セットですか。いいすね」
「普段洋酒が多いからたまにはいいだろ」
 酒を机の上におき、つまみを取り出して。そうすれば机の上はいっぱいになる。
 長谷川の時も同じようになったなと思いながら、ダンボールを放り出して早速地酒セットを開け始める片桐を横目にダンボールをちゃんと解体して玄関の横に置きに行った。ダンボール置き場になっている一角はすでにかなりの潰された箱があり、これ以外にも部屋の中に空き箱が散乱している。通販で生きている片桐の部屋はすぐに箱だらけになるのだ。次の回収日いつだったかなとカレンダーを思い出しながら部屋に戻ると、片桐が判りやすくテンションが上がった表情で長谷川を手招きした。
「直幸さん、早く早く」
「はいはい」
 ソファの定位置に座って。すでに注がれているグラスを手に取る。待ちきれないなんて子供か、と笑いが漏れた。
「誕生日おめでとう、片桐」
「どうも、ありがとうございます」
 カチ、と小さくグラスを触れ合わせて二人きりの晩酌が始まった。