2023年7月3日
梅雨明け宣言がされていない七月。それでも、熱中症注意報が出るほどの暑さを各地で観測している。
京都の夏は暑い。盆地故、風が抜けず暑い空気が循環し続ける。そこにフェーン現象が重なったら最悪だ。べたりと重たい空気を思い出しながら、肺の中に溜まった空気を外に出した。
蝉はまだ生まれていないのか、鳴き声がしない。
けれど、肌を焼く暑さは夏そのもの。これからもっと暑くなるのだろう。
「いややなぁ……」
研究棟の裏手は、木々があって日陰が多いし人の気配は少ない。
ずっと冷房の中にいると身体が疲れるためあえて暑さの中に身を置いているのだが、口から出る言葉も思考も、全部一緒。
「あっつぅ」
早く涼しくならへんかなと思いながら、白石は持っていたペットボトルの水を呷った。まだ少しだけ冷たく感じるそれは、ゆっくりと身体に染みていく。
バイトまであと二時間ほどある。家に帰って家事をするなり、研究室に行くなり、動いた方が益になると判っていながら、一度おろした腰は根が生えて動けない。
日陰のコンクリートはひやりとしていて気持ちがよく、たまに吹く風も緑に冷やされるのか、冷たくて気持ちがいい。ただ、それ以上に気温と湿度が高く、暑い。
早く涼しくなって欲しいと、ほんの数ヶ月前の過ごしやすさを思い出し、本気で思う。一年中あれくらいならいいのに、と。
目を閉じると、遠くに人の話し声、車の走る音、鳥の鳴き声、工事の音、風で擦れる葉音。
音で溢れる世界は、目を閉じると優しく響く。
「ホッジ君」
そんな中、明確な方向性を持った音が耳に届き、ゆっくりと瞼を上げた。世界が少しだけ白くて、眩しい。
声のした方へ視線を向けると、コンビニのビニール袋を片手に持った、想い人。
「黒崎さん、どないしたんです、こんなところまで」
「前に、たまにここにいると言っていただろう」
それは、暑い日が増えてきた頃の雑談。クーラーの中にいながらする話じゃないですねと笑ったことを思い出す。
たった一度だけ。詳しい場所まで話さなかったというのに、この人は、あんな曖昧な会話からここに辿り着いたということだ。
数学以外興味無い、他人に興味は無いと言いながら、こうして白石にだけ見せる優しさにたまらなくなる。
「汗がすごい」
白石の隣にしゃがみ込んだ黒崎は、そのまま腕を伸ばしてこちらの顔を伝う汗を指で拭った。その体温は白石同様に熱い。
「動くのが面倒になって」
「……」
素直に言えば少しだけ呆れた空気を出され、いたたまれなくなる。ちょうどいい切っ掛けだとそろそろ立ち上がるのもいいだろうと思う白石の前で、黒崎は手に持っていたビニール袋を漁り出した。
取り出されたのは、赤と緑のカラフルな袋。上下を確認して袋を破り、中身を取り出した黒崎は、それを白石の口元に当てた。
冷気を唇が感じ取る。
スイカの形をした、アイス。コンビニで売っているそれは、たまに食べたくなるものではある。……けれど。
「あの、黒崎さん……?」
「水分補給をしないと熱中症になる」
「えと……ええんですか」
「また買いに行けばいいだけだ」
「あ、じゃあ俺が出します」
ご馳走になって、金も出さないというのは流石に駄目だろう。たとえ数百円の話でも。
そう宣言した白石の唇にアイスが当たる。こうなれば、もう白石が食べるしかないと、棒を受け取りシャクリと一口齧った。
一気に口の中の温度が下がる気持ちよさ。
「冷たい」
「教授に買ってこいとお使いさせられたが、タイミングが良かった」
「……えっ」
いや、つまりこれは、と口からアイスを離すが、胃の中に入ったものは取り出せない。
そんな白石を気にすることなく、黒崎は別のアイスを袋から取り出し、同じように銜えた。
「ええんですか」
「この後時間は?」
「え? あ、大丈夫です」
安さが売りの氷菓を齧った黒崎は、白石を見て目を細めアイスを左前方へ振る。
「これは証拠隠滅。新たに一緒に買いに行こうか」
いつもより少しだけ砕けた口調が珍しくて、太陽の暑さとは違った熱で顔が赤くなるのを感じながら何度も頷き、熱を冷ますようにアイスを齧った。