朝涼

03

2023年2月14日
TLで盛り上がったネタから。やしまとかたぎり。

 気軽に触ることも出来ないし、かといって乱暴に扱うことも出来ない。防虫剤なんて入れたら殺されそうだが、ではどうしたらいいものか。
 数ヶ月前に唐突に連れていかれた、プライベートでは一生足を踏み入れることがないと思っていた店のドアを腕を掴まれたまま潜らされ、反論を頭ごなしに封じ込まれ、店内で騒ぐことも出来ずにあれよあれよという間に必要箇所にメジャーを当てられて。
 数ヶ月前の誕生日当日に渡されたそれを、さりとて捨てることも出来ない。確実に、この八畳間の部屋の中で一番の高級品だ。
 スーツ本体だけでなく、店で見た記憶もない白シャツ、カフスボタン、ネクタイ、タイピン、更に革靴どころか何故か下着まで揃っていて、あまりの非現実さにこれ売っぱらったらいくらになるんだろうかと真剣に考えた。

 どうしたらいいものか。
 あまりにもわからなくて、見たくないものをそうするように、クローゼットの一番端っこに固めて見えないようにした。こんなもの、矢島には扱えない。

 普段の格好は安物の黒スーツを着ている。洗濯出来るスーツを開発してくれた企業に乾杯。クリーニング代は地味に家計に響く。一人暮らしで生活が不規則、そして外食ばかりとなると金は出ていく一方だ。自分で洗濯した方が経済的だし、取りに行く面倒くささがない。
 今日も今日とて埃と泥と泥酔者の吐瀉物で汚れたスーツを持ち帰り、洗濯回してまずは寝ようと決意する矢島は、鍵の感触がいつもと違うことに気が付き、思い切り顔を顰めた。
「聡!」
 ガン、とドアを開け放ち、靴を脱いで短い廊下を大股で歩く。朝には消した電気の付いた部屋には、予想通りの男がそこにいた。
「テメェ勝手に入んなつってんだろ!」
「だったら車の合鍵渡せよ」
「自分の買えよ」
 幼馴染などとは言いたくない古くからの腐れ縁である、顔だけは無駄に整っているが中身が腐りきっている片桐聡は、家主が帰ってきたにも関わらず好き勝手様々な引き出しや扉を開け続けていた。
「探すの面倒くせぇ。どこだよ」
「貸さねえっての」
 スーツを全部脱ぎ、そのまま洗濯機に放り投げる。下着姿のままウロウロしたところで、男同士だし今更だ。
「ふーん、んな事言っていいのか?」
「あ?」
 ガツ、と足でクローゼットの扉を広げた片桐がこちらを見ながら目を細める。
「おまわりさん、ついに窃盗したのか」
「――」
 固めて置いて見えないように隠したそれら。
 家探ししていた片桐が見つけないわけもない。
「盗んでねえよ!」
「やったやつはみんなそう言うんだよな」
 訳知り顔が頷かれると、心の底から殺してえと思う。
 矢島の前に立った片桐は、両手を矢島の肩にポンと置いて、こちらの神経を逆撫でする綺麗な笑顔で口を開いた。
「どうする、自分で緊急通報するか? 俺がしてやろうか? 安心しろ、車は貰い受けてやるし、共犯疑われたくねえから弁護しねえよ」
「ひとつも安心要素がねえわ! これはだなぁ貰い物であって、なんの後ろめたさもないっての」
「はぁ?総額ウン百万だぞ? それを貰う?」
 ウン百万という言葉に鳩尾が冷える。
 計算してないが、実際そうなのだろう。現実から目を逸らそうとも、このスーツ一式を矢島に贈った人物は、そんな金をポンと出せるのだ。
「実際そうなんだから、……」
 そんな金を自分に対して出す、というのが、信じられない。現実はここにあるのに、受け入れられていない。
「……まぁ、捕まっても俺には関係ないし」
「やったこと前提に話してんじゃねえよ」
 手を払い除け、クローゼットの中からスウェットを引っ張り出して身に付けた。
 そうして片桐から目を離した隙に、男は机の上に放り投げていたいつも矢島が持ち歩く車の鍵を勝手に手に持っていた。
「てめ!」
「んじゃ、明後日の夜には返すわ」
「死ね!!」
 さっさと外に出ていく片桐の要領の良さにイラつきながら、しかし追いかけてまで取り返す気力もなく一人になった部屋の中で盛大にため息をついたのだった。