2024年4月11日
遠く聞こえる声と気配を知りたくなくて、目を閉じ膝の間に顔を埋める。大丈夫だと信じる心とは別に、やはり湧き出てしまう不安はどうしようもない。
この部屋に共に住まう男は、同じ刀工から生まれた並び立つ存在の始まりを見届けに行っている。その周りには揃いの服を着た兄弟もいることだろう。
ほんの数日前、富田江の実装が確定された時の稲葉江の表情を、笹貫は見ることが出来なかった。
喜んでいたら嬉しいけれど苦しいし、感情を抑えていたらそれは笹貫のせいだから苦しいけれど嬉しく思ってしまう。
「最っ悪な性格しすぎだろオレ」
心を砕いてもらったというのにそれでまだ足りないとばかりに、執着を深めしがみつこうとする。
自分の汚さや面倒くささにため息を付き、稲葉江が戻ってくるまでに全てを隠して笑わないとと目を閉じた。
我らが主は、繰り返される政府の催し物であっても手を抜かず、最短で報酬を手にする。だから今回の秘宝の里も昨日始まったばかりなのに、二十四時間経つ前に富田江は顕現されることとなった。この本丸の刀はみんなそんなもの。主の笑顔は嬉しいけれど同時に容赦なく、顕現したらすぐに練度上げに連れて行かれるのだけれども。曰く、弱いままだと折れるかもしれない。だからこそすぐに練度を上げて強くし安心したいのだと。
心配からくる容赦の無さは、初期刀の蜂須賀曰くこれでもマシになったほうなのだというのだから、本丸発足当初の苦労を偲ばせる。
富田江も軽く挨拶をしたら、そのまま練度上げに連れて行かれることだろう。だから、笹貫が顔を合わせる確率が高まるのは、このまま籠城してやり過ごせば明日以降となる。
……大丈夫、笑う。笑え。
稲葉江におめでとうと笑いかけ、富田江に君の話ばかりだったんだよと笑いかける。自分を隠すことは得意だ。この本丸にいる仲間たちは笹貫のことをおおらかで笑顔を絶やさない、他の平安刀よりも話が通じやすい太刀だと認識している。別にそれだって間違ってはいない。ただ隠しているだけだ。その隠し事に唯一気が付いたのが稲葉江というだけ。
「笹貫どの」
大丈夫、ともうひとつ頷いた瞬間、部屋のふすまが開き名が呼ばれた。驚き顔を上げると逆光の中、大きな影が二つ。
「……えーっと」
「……」
日が落ち始めている部屋の中にいたのに、電灯を付けずに何をしていたのか。稲葉江はきっと察したからこそ無言で明かりをつけた上で、軽くこちらを睨みつけてきた。 眉を下げてへらりと笑ってから、物珍しそうに部屋の中を眺めているもう一振りに視線を向けた。
黒尽くめの稲葉江とは真逆の、白尽くめの男。稲葉江と同じほどの身長で、――ああ黒子が彼と逆側にある。
この本丸で、初めて見る姿は間違いなくつい先程顕現した存在。
どうして、ここに連れてきたのか。そう思いながら立ち上がり、半ば無意識に頬を上げて笑った。そんな笹貫に稲葉江が声を掛ける。
「さきほど顕現した、江の一振り富田江だ。富田、こちらの御太刀が波平行安が作、笹貫どの。礼を失するな」
「そんな脅さないの稲葉くん。――はじめまして、富田江どの。貴殿のことは稲葉江より伺っている。共に双璧、天下一の江。不知代と評されたその姿を[[rb:見>まみ]]えることが出来、幸いだ」
強烈なほどまっすぐ強い視線を持つ稲葉江とは真逆に、どこか遠くを見ているようにも感じるほど表情が薄く、笹貫を見る淡黄色に熱はない。ない、のに、稲葉江と同じく心の裡を覗かれている気持ちになるのだから、殊更丁寧に言葉を重ねた。
――性質は真逆であるが故に同一。
直接対峙し理解する。この二振りは紛れもなく双璧であり、数日前稲葉江が言っていた通り真逆で同一なのだと。
稲葉江に一目で悟られた笹貫の心、それは確かに不覚で後悔がある。だからこそ、同じ轍は踏まない。
その気持ちを持って視線を合わせたままでいると、富田江は長着を緩やかに靡かせ、頭を下げながら口を開いた。
「笹貫どの、お初にお目にかかります。郷義弘作の打刀、富田江、と。北陸の海には見られぬ鮮やかな青藍に見抜かれた故、ご挨拶の拍が遅れたことを謝罪いたします」
「おお、さすがアイドル集団。そつが無い」
思わず呟くと、稲葉江が横目で見てきた。稲葉江とて似たようなことしてるのだが、自覚はなさそうだ。
「顕現したばっかりで稲葉くんに引っ張られて、理由もわからずここに連れてこられたんだろ。取り乱さないだけ凄いよ」
「時間を置いたほうが面倒になるだろうが」
「富田江どのはこのあとすぐに出陣だろ? 無理をする」
稲葉江の言葉をいなして逆に正論を返すと、ぐ、と息を呑むのだから自覚はあるのだろう。たまにこうして見せる脇の甘いところが可愛いのだが、今それを言ったら烈火の如く怒りそうなので心の中でだけ愛でておく。
「主にはちゃんと断ってきてるよね?」
「無論」
「ならいいけど。オレへの挨拶なんて必要ないことで富田江どのを振り回すんじゃないよ。……このあと地獄なんだから」
「それもそうか……」
思わず自分達の時を思い出し、二振揃って遠い目をしてしまう。
練度上限となるまでほとんど休むことなくロケット出陣し続けるのは新刃の恒例行事で、逃れられない。特付きになるように根兵糖を口の中に流し込まれるところから始まる一連の流れを、慰めることしか出来ないわけで。強くはなるが精神は摩耗する。練度上限となれば、しばらくの間は沙汰を待つことになり実質休暇を貰えるとし・て・も、だ。あれは地獄でしかない。主に悪気も悪意もないからこそ余計に。……あったら地獄が薄れるわけでもないけれど。
まだ何も知らない富田江が自分達を順に見て少し首を傾げる。そんな無垢さも数時間後には理解するだろう。あえてその地獄を知らせないのは意地悪ではなく、言ったところで現実は変わらないため何も知らずに放り込んだ方が諦めが早くなるからでしかない。
「凄いな」
富田江は口元に指を当て、熱の薄い淡黄色が稲葉江と笹貫を見ながら感嘆の呟きを発した。稲葉江もだが、この富田江も肌の色が白い。国宝で大事にされてきたからだろうかと、ふとそんなことを考えた。
「私の元主、号の元となった富田一白は外交交渉の使者だったと言われる。外交に必要なものは観察。相手を理解し納得を得ること。その上で時には自らを殺してでも主君のため言葉と書状で戦を行う。それに引き摺られているのかな、私もどうにも知りたいという欲求が高いようでね」
すい、と富田江が一歩こちらに歩み寄るが、笹貫は練度上限。たった今顕現したばかりの存在には寝ていても勝てる。それ故、動きに特別警戒もせずに好きにさせると、富田江は無手であってもかなり近い間合いまで入ってきた。富田江よりも遠くに在る稲葉江が気色ばむのを感じて、右手で静止する。江の二振は戦闘服、対して笹貫は内番服だが練度の差でどうにでも出来る。笹貫と稲葉江の無言のやり取りに気づかぬのか、はたまた気にせぬ豪胆なのかは不明だが、一切反応せず富田江は笹貫にひたりと視線を合わせて見下ろしてきた。
その顔の距離で、彼は稲葉江よりも少しだけ背が低いのだと知る。
本体でもある刀身の差が出ているのかもしれない。それでも、太刀である笹貫よりもデカいのだけれど。
「あの稲葉が、江のものと話す以外で心を揺らしているなんて昔では考えられなかった。同派であってもその殆どを無駄なものと流していて、一番楽しげにしていたのは私との打ち合いだけだったのに」
……これマウント取られているんだろうか。と、心の中で半目になる。自分のほうが稲葉江のことを知っているぞ、という釘刺しとも言える富田江の言葉。
知っているよ君たちが双璧と呼ばれ、大事に大事にされていることも。稲葉江にとって君は特別なのだということも。だから、同一である君にとっても稲葉江は特別なのだということなんて、とっくの昔に知っている。――知っているから、悟らせてなどなるものか。
「貴殿に稲葉の心を揺らす要素があるようには見えないのに、何故だろうか。目が離せないのは。うつくしい青藍の奥を暴き立て知りたくなるのは、何故だろうか」
「――……」
最初は熱の灯っていなかった淡黄色に、今は熱がある。
見つけたものをつぶさに観察する好奇心が確かにそこにはあった。こんなところも同一で真逆なのだと気が付いたのは笹貫だけで、本刃達はきっとそれに気が付かないだろう。
富田江は、見つけた観察物をもっとよく見ようとするように笹貫の頬に手を当てた。
――瞬間。
「稲葉江!」
反応出来たのは笹貫だけだ。初期練度である富田江にそれは無理で、だからこそ笹貫は目の前の青年に警戒を促すためにも叫んだ。
青年が目を見開き、自覚した時にはその首元に同派の刃がひたりと、当たっていた。薄皮一枚とはよく言ったものだ。首元に布がなければ、彼の皮膚には薄皮一枚分稲葉江の本体が食い込んでいただろう。
「警告は一度だ」
「だめだよ、稲葉くん。言ったでしょ、主と初期刀どのに怒られるよって」
つい、と彼の本体に指を這わせてゆっくりと離す。抵抗することなく離れていく、実戦で幾度使われようとも損なわれることのないうつくしい刀。それを収めるところまで視線で確認した。眉間に渓谷が生まれていて、笹貫と視線が合うと更に深くなる。だめだよ稲葉くん、そんな可愛い顔をしても。主と初期刀どのに怒られるなんてゴメンだ。
「稲葉、この御仁に何がある?」
「笹貫どのの隣に坐すのは我のみだ」
明確に、なんの衒いもなく口に出された欲を含む稲葉江の発言に驚いたのは富田江だけでなく笹貫も同じで。自分達の関係を隠さずに並び立つ存在に知らしめる稲葉江は、富田江と笹貫の間に強引に身体を割り込ませた。
黒と白が対峙する。
片や白を睨みつけ、片や黒を楽しげに見る。
「稲葉の行いは常に私の指針となる。つまり、私も笹貫どのと心を重ねることが出来るということだね」
「警告は一度という言を違えるつもりはない」
「私は知りたいだけさ」
「富田」
稲葉江が再び左腕を動かそうとしたため、背後から柄頭を抑える。こちらに視線を流してくる稲葉江の背中から顔を出し、富田江にひらりと手を振った。
「富田江どのは練度差考えてね。ここで打ち合いされたらオレとばっちりだから。あと、流石にそろそろ行かないと怒られるよ。一人で戻れる?」
「失礼いたしました」
素直に頭を下げる富田江の姿と顔を背ける稲葉江それぞれを見て、稲葉江は本当に頑固一徹だなと内心苦笑し――こういう時、彼は自分に非を認めない限り謝らない――部屋を出ようとする真白い江を見送る。部屋から出る寸前、こちらを軽く振り返り笹貫だけに視線を向けて薄い唇を開いた。
「後日、また」
……しっかりと爆弾を置いていくのはやめてほしかった。
「簡単に抜きすぎ」
「――……」
「頑固一徹」
唇を曲げて黙り込む稲葉江に笑いを含ませながら言い置き、回り込み真正面に立つとその両腕にすぐに拘束された。
いつもよりも強い拘束は、彼の無言の抗議であり心の表れだ。それを嬉しく思いながら同じように背中に腕を回す。
「ねえ稲葉くん。オレ嬉しいんだ。富田くんが来たらもっと、オレ自身が酷いことになると思っていたのにそうならなかったことが」
「……」
「それに、稲葉くんが一目で見抜いたオレを、富田くんは見抜けなかった。やっぱりオレの偶然は、稲葉くんに向かうんだよ」
過去と同じことにならぬよう、自分の全てをかけて隠し通した。だからこそ、と言えるけれども稲葉江はそんな笹貫に気付いていた。月日だけではない、そこにある絆を、笹貫は信じたい。
後ろ向きで負の感情を拾いやすい笹貫がそう信じられるのは、今ここにいる稲葉江が最初から最後まで笹貫を信じていたからに他ならない。それが嬉しくて稲葉江に身体を預けると、稲葉江の腕から力が抜けながらももっとしっかりと抱き込まれた。
「笹貫どのに言いたいことはあるのに、言葉にならぬ」
「纏まったら教えて」
「承知した」
言葉の代わりにとばかりに与えられる体温は、馴染むもの。目を伏せ、甘受しながら湧き出る感情のまま口を開く。
「ね、今日……抱いて」
うなじを覆う白い髪をゆるりと弄び、耳に唇を近付けて囁けば、同じように笹貫の髪を梳る稲葉江が吐息で笑った。
「貴殿の時間を貰い受ける」
「……ありがと」
彼の対なる存在が練度上げをしている中での行為は、背徳感と独占欲でたまらなくなるだろう。けれど稲葉江の全てを感じたい気持ちに、嘘などつけないのだから仕方がない。
後悔と罪悪感はきっと襲ってくる。その予感にうっそりと笑いながら、指通りの良い髪を掻き混ぜた。