2025年1月28日
【雑渡+土井】
灯火の少ない職員室にただ一人の教員が机に向かっている。
周りは半紙と教本が雑多に積まれており、よく燃えそうだなぁと思った。数週間前、自分が使っていた時に一度整理したのだが、今はその面影はどこにもない。見かけによらず細かいところが苦手なようだ。
「何を仰りたいんですか」
こちらを向くことなく、机に向かったまま教員が声を出す。その方向は忍び込んだ雑渡へと向かっていて、まあ当然見つかっていることをこちらも前提としているのだから驚きもしない。
「こんばんは、土井先生」
天井裏から顔を出し、音もなく土井半助の背後に降り立つ。それでも土井は手を止めることなく、テスト作りに精を出していた。背後から覗けば、雑渡が担当した範囲とそれ以降が混ざった問題。机の上においてある採点済みの用紙を勝手に手にとってめくると、まあ酷い。一番高い点数はクラス委員長である黒木庄左ヱ門が七十二点。一番低いのが福富しんべヱで三点。雑渡が担当した場所は正解率が高く、土井が担当したところは間違いが多い。
「……土井先生は教えるのが下手なの?」
「喧嘩売ってるのならば帰れ」
思わず呟けば、いつもの優しい口調を忘れた言葉が帰ってきた。
「まさかまさか。――人や情勢を動かすのは得意なのにねェ、と思っただけですよ」
「――……」
たった半月で、準備から開戦まで持っていき国内外を見事に引っ掻き回した。その余波は収まっておらず、混乱に生じて漁夫の利を狙うのはこの戦乱の世では当たり前のこと。タソガレドキも同じく、表だけでなく裏も使って走り回っている。少々領土を頂いたのは、当事者に担ぎ上げられた慰謝料としては安いものだろう。
「ねえ土井先生、うちに来ない? 給料と待遇は保証するよ」
「行きません。用件がそれだけならお帰りはあちらです」
「東がきな臭くなってきてるでしょ、だから優秀な人材が欲しくてね。部下が全国走り回っているから私が代わりにスカウトに来たってわけですよ」
「卒業生の就職先の相談なら日中に事務方へお願いします」
背後にいる雑渡を仰ぎ見ることなく手元の半紙に問題を書いていく土井の声は、日中良い子たちを相手にしているときとは正反対の冷たさを持っていた。――まるで、あの時を思い出させるような。
「それ以上気配を漏らすと小松田くんが飛んできますがいいんですか」
「おっと危ない」
思わず漏れた喜の感情を咎めるように、土井が雑渡を見上げる。
今回は正式な訪問ではないため、あの青年に見つかるのはご法度。意識を切り替えてから教師の隣に座った。それを見届けることなく、土井はまた机に視線を戻している。徹底的に無視はされていないが、本格的にこちらに構うこともしないという半放置。つまりは、ここにいても問題はないと判断されているわけで。
「忍たまたちは可能性の塊。青田買いするのもいいものだけど、私の侵入に気付かないからまだ早いかな」
両足を横に投げて座り肘をついて土井を覗き込むが、視線は一切こちらを向かない。書き終えた半紙を乾かすために床に置き、また新しい半紙を手に取り筆を乗せる。その行動に淀みはなく、こちらを意識しすぎていない自然体。タソガレドキに欲しいのは、そうこんな存在。
「土井先生転職しようよ」
「何度誘われようと私はこの学園の教師を退くつもりはありません」
さらさらと筆が動き、少しだけ癖のあるけれど良い子たちが読みやすい文字が半紙に刻まれていく。
この学園は、大人たちの愛情が溢れている場所だ。忍者のたまごを育て、送り出す。その全員が卒業するわけでなく命を落とす子供もいるが、大半はそんな離脱ではなく、途中の学年でこの場所を去り家業を継ぐ。そうして忍者としての基礎知識、技術、繋がりを持ち帰り、各地で生きる子供たちの糧となり、大人へと導く。
――数十年後、その芽が開くのだ。
大人となり家業をついた卒業生たちは、その知識と繋がりでこの国を裏から支え、操ることすら出来るようになる。
忍者とは戦場にいるだけではない。日常に溶け込み、超々長期期間それこそ生涯を賭して目標を達成することだってある。
長期計画とも言える壮大な仕掛け。中立を謳いながら、しかし確実に忍術学園という勢力は根を張り始めている。どこまでが学園長の掌の上なのか――各国がこの学園を無視出来ないのは、これに気付いているからだ。
「今欲しいのは即戦力」
情勢が動く。それを察している国は今どれだけあるのだろうか。
……否、察し乗ることが出来なければ滅びゆくだけのこと。タソガレドキ忍者隊組頭として、勿論今ある戦力を弱いなどとは一切思わないが、強化できるものならば外部から招き入れても良いと思っている。忠義がついていれば勿論良いが、様々なもので縛るのも悪くはない。
「私よりも身体が空いていて優秀な忍はいくらでもいるでしょう」
「例えば、山田利吉」
土井の言葉尻を掬うように言葉をつなげると、手は止めないまでも目元に少しだけ皺が寄った。その反応に満足しながら更に口を開く。
「あの年齢でフリー忍者として名を馳せ食っていけるほどの実力は、流石山田伝蔵どののご子息。それでいて学園出身ではないからここに大きな義理はない。……まあ肩入れはしているようですが」
動けないよう、追いつけないように、あの密林の中顎と腹を狙った。脳が揺れたら復活には時間がかかるし、跳躍には身体の中心への力が必要。足を折ったほうが確実ではあったものの、そこまですると少々遺恨が残りすぎる。
その侮りが結果ほぼ時間差無しで雑渡の背後につけ、毒手裏剣を止められた。あれだけの怪我をして気配なく手首を掴んできたのは流石だ。室内に集中していた一瞬の隙を突かれたとはいえ、全く気が付かなかった。それほどまでに必死だったということだ。――この、今目の前でテスト問題を作る男を助けることに。
「あの怪我で私に追いついたことは称賛に値する。――彼を教えたことがありますね、土井先生」
「……」
「動きに先生の癖が入っていました」
「昔遊びの延長で少しだけ教えたことはありましたが、残っているわけないでしょう」
「正面からの攻撃を避ける時、右下を一瞬見るところ」
「……あんたほんと」
本人たちが気付いていなかった癖を指摘すると、土井が頭を抱えた。どうやら身に覚えがあるようで何より。
「そんな小さな癖を覚えるほどが、少しだけとは思えないねェ」
二度目の揺さぶりに土井は一切応えないが、それは構わない。山田利吉は土井に師事していたという事実が重要なのだ。体術だけでなく、戦術も教わっている可能性が高い。たった半月で国の勢力図を塗り替えかけた土井の軍師としてのその知識を。
土井半助の技術を直接継ぐものが存在する――それは、雑渡の希望する条件にとても好都合。
まだ若く実力はこれから伸びていく将来性を買いつつ、同時に実力がある即戦力でもあるのだ、山田利吉は。
懸念があるとすれば。
「学園への肩入れは少々不安が残るところではあるが」
父と師が学園にいるのだから、フリーといいつつも学園の手足のひとつと考えたほうがいいのだろう。実際、直近の仕事場所を調べても学園に敵対する勢力にいたことはない。
タソガレドキにおいては現時点では学園と事を構えるつもりはなく、中立。取り込むのならば今のうちである。山田利吉も、土井半助も。
中立時に取り込み、実際戦となった時には逃げられぬように。
「契約でガチガチに縛り付ければいいこと。一挙手一投足、自分のふとした行いが学園を――否、貴方を殺していく契約を」
揺れた灯火。
音はなく、ただ室内にいた男二人の座相だけが一瞬前より変わっていた。
「ね」
雑渡最後の音を吐き出すと同時に、風は収まり影が静けさを戻す。
土井が右手に握る筆の尻が雑渡の喉元にあり、雑渡の右指が土井の喉元にある。視線を少し動かすと、土井の左手にはチョークが握られており、その二本は正確に天井裏にいる部下たちへと向けられていた。――警告だ。
薄っすらと漂う殺気はお互い様。それでもここで暴れるつもりはないと示すため、左手を動かし部下たちを下げさせた。それを見た後、土井が口を開いた。
「利吉くんは、学園お抱えではありませんよ」
「それは無理があるんじゃない?」
「調べが足りないだけでしょう。彼はあくまで自分の利で動く忍です。時に学園の情報を流し敵対したこともあります」
日常的に出入りし、学園内部を把握しようとする貴方たちと同じく、と呟く。
「あくまで利害が一致した時だけ、と?」
「ええ。ただ、自分の実力も客観視して判っているから学園やタソガレドキに本格的に敵対しない。それぞれ美味しいところだけはしっかりと持っていきますが……フリーのプロ忍者としてそれは当然の行いでしょう」
なるほど、聞けば聞くほどあの若き忍は自分というものを冷静に知っている。だからこそ雑渡を止めたあの一瞬が異質でもあるのだろうが――それをこの本人に言うのは惜しい。情報は安売りしないものだ。
「彼が自ら決めたのならば私も山田先生も何も言いません。それで敵対し、命のやり取りをすることになったとて互いに容赦も後悔もしない。それが忍なのだと、彼が独り立ちする時納得させています。だが――」
すう、と土井の視線に冷たさが増す。筆の尻がほんの少し雑渡の喉に押し込まれた。
「それを歪めるのならば、こちらも容赦はない」
「へえ、どうするの」
ほとんどただの好奇心で問えば、土井はなんてこと無い口調で続けた。
「歪められる前に彼を殺します」
「――――」
流石にその応えは予想外だったため目を瞠ると、土井はふと口元を緩めた。
「タソガレドキに戦争を仕掛けるとでも思いましたか?」
「いやそこまでは。土井どのと山田どのの二人を相手にするのは骨が折れるな、くらいで」
「高く買って頂いているようで」
「だから勧誘しているんだけどねえ」
苦笑とため息を同時に吐き出し、お互いの喉から手を引く。今回はここまでだろうと屋根裏に登った。待機していた二人からじっとりと批判の視線を向けられたがそれを無視して、隙間から部屋の中に顔を出した。
「土井先生、また誘いますね」
「ご存知でしょうが、本日は勧誘ではなく脅迫でしたからね」
「そこは二度と来るなって言わないと」
「言ったところで来るでしょうが」
軽口の最後は視線を合わせず、闇に溶かして。
立ち去ろうとしてしかしこれだけは言っておかないと誤解を生むと、闇の中から部屋の中に声を向けた。
「ちなみに山田利吉くんには今日の夕刻に振られてますのでご心配なく。熱烈な惚気をありがとうございました」
「――あんたなぁ!」
ガ、と天井にチョークが当たって砕ける音を土産に、忍術学園を脱した。