2025年1月28日
【雑渡+利吉】
ほとんど音もなく、木々の隙間を泳ぐように跳躍する青年の足取りは迷いがない。その背中を音無く追尾しながら、青年への評価を改めていく。
行き慣れた場なのだろう、右手の川向うにタソガレドキ領を置き、チャミダレアミタケ領を駆ける。同世代からしても青年の技術は高いほうだろうことが伺い知れる。
うちの子と手合わせさせたら負けそうだな、と思った。忍術学園の若き教師が時折相手になってくれて技術を磨いてはいるものの、前にいる独り立ちしている青年とは違ってどちらかと言えば温室育ちだ。現時点で勝てる要素がない。そしてそれをうちの子は気が付かなさそうだ、と顔布の下で笑った。青年は容赦がなさそうだから、教師と違って悔恨残らぬように負かせてはくれないだろう。それを若さと言うのだ。
ドクタケ領に入る直前、青年は突然技に両足を着地させ、大きく息を吐いた。忍者とて乗ることが出来るギリギリの太さの枝を揺らさないのだから、よほど空中での移動に慣れているということだ。普段からどんな生活をしているのかが伺い知れる。
少しだけ乱れた呼吸はすぐに静かになり、凛と立つ背中は歪みなく。
しかし西日のせいかどことなく寂しそうに見えた。
青年が今どんな表情をしているのかが気になり、跳躍して彼のすぐ隣に立ち顔を覗き込んだ。
「……何でしょうか」
雑渡が尾けていたことは気付いていたのだろう、驚きは無遠慮に顔を覗き込まれたことのみに見える。きちんと顔を見ると背中から感じた寂しさは微塵も感じず、首を傾げながら枝に腰掛けた。
「何を考えてたのかな、と気になってね」
「はあ……」
何を言っているんだという空気を隠さない応えを返しながら、しかし青年はこの場を去らない。忍務中でここからドクタケの何かを確認しているのだろうかとも思うが、見渡しても獣が時折草木を揺らすばかりで、人や忍の存在はどこにもなかった。
「ずっと尾けていらしたので、私に用があるのかと思ったのですが違いましたか」
「わざわざ待ってくれたの」
「このまま尾けられ続けるのも困るので。タソガレドキ忍軍組頭がフリーの忍者に何かご依頼でしょうか」
こちらを見ることなく、幹に少しだけ体重を預けて青年が問いかけてくる。
「依頼だって言ったら何でも受けるものなの」
「スケジュールと内容次第ですね。直近で受けた依頼とかち合ってしまうものは受けないようにしていますから」
普段ならばそんなことは漏らさないだろうが、青年に相対しているのが雑渡だからか付け加えられた理由。隠したところで、という感情もあるはずだ。
それは先に受けた依頼主への配慮であり、信用第一のフリー忍者として矜持なのだろう。依頼がなくなったら死活問題でもある。この歳でそこまで考え仕事の調整をしているのは目を見張るものがある。金さえ貰えればなんでもいいという忍者こそ淘汰されていくということを、青年は知っているのだ。
「近くにうちのどれだけいるか判る?」
「は? ……後ろに二人、川向こうに三人、あとは貴方」
何の繋がりもない次の疑問を口にすると、青年は戸惑う声を上げた後軽くそれぞれの方向を指さしながらタソガレドキ忍軍が忍ぶ場所を当てていった。実際はもう少しいるのだが、こちらの気配を知らぬ状態でそれだけ把握していれば十分。気配を十分に知っている尊奈門にも同じように忍ばせた隊員当てをさせているが、まだ全員当てたことがない。まだまだ発展途中の若い子だ。同条件で同じことをさせたら、さてどっちが数多く当てられるだろうか。
「優秀だね。うちのにも見習わせたい」
「……諸泉尊奈門どのはお元気ですか」
「うん、この間も土井先生に勝負挑んで返り討ちになってたよ」
雑渡の言葉に嫌そうな顔をする青年は、先の事件の始まりを聞いているからだろう。うちのがやらかし、各国巻き込んでの騒動となり。事件そのものは収束したものの、傷跡はいまだ残っている。
「土井先生の経歴って謎に満ちてるね」
その騒動の中心にいた男の名を出せば、若き忍びは気配を揺らす。若いねえとこちらはそんな気配を滲ませずに続けた。
「忍術学園に来る前に何をしていたのか見つからない。突然山田伝蔵どのの推薦であそこに赴任している。それより前を探ろうにも痕跡がない。――不自然なほど、一切合切」
山間の隙間から見える落日は、今日も燃えるような輝きを見せる。忍者にこの輝きは毒であり、同時に羨望でもある。手に届かぬ輝きは憧れるくらいの遠さが丁度よい。
それを見ながら思うのは、戦乱をギリギリ回避した先の戦い。
あれが成されていたら、多量の血が流れていた。忍びである我らは昼夜問わず戦乱を時に混乱させ、時に収束させるため働くことになっただろう。忍術学園と中立を、などと甘いことは言えなくなっていただろうし、学園自体も戦果に巻き込まれていたはずだ。軍師の目的の一つには確実に忍術学園を滅ぼすものも入っていたはずだからだ。そんなものを世に仕掛けた男は今、学園の中で子供たちに囲まれている。
「本人が消したのか、第三者が消したのか――。消さねばならぬ事情があるのだと結果が示しているというのに手がかりがない」
忍びとしての技量だけでなく、軍師としての才も持ち合わせる男の過去は秘匿に隠匿を重ね、闇に葬られている。それほどの人物なのだと知ってしまえば余計に探りたくなるというものだ。
「私を拷問しても何の情報も出てきませんよ」
「それが事実なのか今の私には判断が出来ないねェ」
「そう言われたところで、はいどうぞと拷問にかけられるわけにもいかないもので」
それはそうだ。はいどうぞと言われたらこちらも戸惑う。本人の許可が出たらそこは容赦なく実行するけれど。
とはいえ、事実必要な情報など出ないだろうことも判っている。土井半助が山田家と関わりが出来たのが最低五年前。その時この青年はまだ十三歳。両親が忍びだからこそ、情報から遠ざけられていた可能性のほうが高い。
聡明な青年は、独り立ちした後にも調べていないのだろう。
……けれど。
「知りたいと思わないの」
「何故でしょうか」
「何故? あれほど必死だった君が言う言葉じゃないな」
足止めまでは忍務と言えただろうが、その後雑渡を追いかけてきたことは明らかに逸脱した行為。雑渡の背後を取り、毒手裏剣など見えていないかのように止めた青年は、西日が目に入ったのか、目を眇めながら口を開く。
「忍びだから……」
言葉を切り、はく、と呼気を零した青年は肩を竦めて身体から力を抜いた。
何かを決意し、曲げない意志を滲ませる声は、若さも相まってとても眩しい。
「あの、用事がないのなら解放してもらってもいいですか」
「やっかいなおじさんに絡まれてうざいみたいな空気を突然出さなくても」
これ以上は話さないという意思を滲ませるように話題を切り上げた青年を追従せず、雑渡は首を左右に倒して冗談交じりに軽口を投げた。
「うざいとは思ってません」
「やっかいなおじさん部分も否定してよ」
「そーですね」
見事な棒読みでの返答にくつくつと笑う。雑渡に対して萎縮しておらず、苦手意識も持っていない。やはり優秀な忍びだ。
例えば今再戦したら雑渡が今回も勝つだろうが、その勝ちになるまでの時間は前回よりもかかるだろう。忍者の本分は戦うことではないものの、強さがないとそもそも逃げられない。生き残るために対策し、逃げおおせる。勝つことに拘るうちの子も見習ってほしい精神だ。
「山田利吉くん。うちにこない?」
頬に手を当て隣に立つ青年を見上げ本題を切り出せば、青年はこちらを見て驚いたように呼吸を一度止めた。
年齢も近いし、互いにいい刺激になるだろうことが判るからこそ、これは本気で願っていることだ。勿論、彼を餌に本命を釣り上げたいという事情はあるものの、この若き忍び本人とて十二分にタソガレドキに欲しい。
「若く実力のある子がうちに来てくれると嬉しいんだよねえ」
「タソガレドキ忍軍組頭に買って頂いたのは有り難いですね」
でも、と続きそうな終わりはその通りで、青年は視線を前へと戻しながらすぐに続けた。
「お断りいたします。フリーでいることを辞めるつもりはありませんので」
「それは土井どののために?」
「いいえ」
あの必死な姿は、どう見ても土井半助に対して特別な念を抱いているだろうに、青年はその否定が当然かのようにきっぱりと言いきった。
ふと気がつくと、西日はもうほとんど山間に消えて忍びの時間が整い始めていた。そんな逢魔が時の中、若き忍びは少しだけ笑った。
「貴方のように強かったらどれだけ生きやすいか。 武士 と忍者は違うとはいえ、弱ければ様々なものを取りこぼしてしまう。今回はそのことを突きつけられました」
……ああ、この青年はきちんと理解しているのだ。土井が土井半助として今も生きられているのは偶然と運だったのだと。青年はやれることをやった。ただ実力が足りなかった。四半刻でも雑渡を足止め出来ていたら違ったのだろうが、実際は彼らの妨害は用をなさなかった。
青年は、ひとつも関わっていなければ思わなかったであろう責めを自分自身に課して、しかしその責めを糧にも出来る強さも持っている。
「その様々なものの中に土井どのは入っていないの?」
「入れられません」
言い方を変える青年を見ながら、ふうんと呟いた。その線引きは少々以外で、思っていたことが口から転び出でた。
「なんだ、土井どのの若衆かと思ったのに」
「わか……まあどう取ってもらってもかまいませんが。私にとってあの人は、そういう型にハマるものではありませんので」
あれ、これもっと重たいものだな? と思わず半眼になる。激情の一端に触れた気がする。
見かけよりも衝動性の強さがあると知っていたが、雑渡が考えているよりも凄いのだろうか。土井に対しての感情は隠さないのに、その底が知れない。冷静さと激情が同居しているのは、さて若さで片付けてもいいものか。
そんなことを考える雑渡の横で、青年が木の幹から身体を離した。
「私は情報の 強 さを知っています。だから――……」
背中側に倒れ、空中に身を投げながら独り言よりもなお小さな声で、青年が言葉を結ぶ。
「あの人の弱点にならない」
掌を下に向け、一度振る。追おうとしていた部下たちをその場に留め、青年の気配が消えるのを待った。
まだあの青年を見誤っていたらしい。元服してからずっと様々な場所で力をつけながら、フリーとして名を挙げ続けている忍びは、あの年齢にしてはあまりにも考えが完成されすぎている。
何があったのか、誰の手ほどきがあったのか。思考の行き着く先には、激情を向ける男の存在がちらつく。
天鬼と名乗っていた頃の土井の割り切った思考と作戦は、称賛に値する。彼がいるだけで、国盗りは簡単になるだろう。だからこそ天鬼の正体を探り、弱体化させるか殺害するか、あわよくば自軍に引き込むかと近隣諸国が動いたのだ。
「うーん、間違えたか」
山田利吉は土井半助に師事していた可能性がある、そのことに思い至らなかった。気付いていたらもう少しやり方を変えたというのに。
「気は済みましたか」
「遊んでたみたいに言わなくてもいいでしょ」
「あんな若造に組頭が出る必要なかった」
隣の太技に現れた椎良はそう言いながら顔をしかめている。若造と言ってもお前そんなに年齢離れてないでしょ、と思ったが口にしたら炎が噴出しそうだとやめておく。
「収穫はあった。夜は本命だな」
「仕事してくださいよ……」
「してるしてる。人事も大切なお仕事」
何か言いたげな椎良を無視して立ち上がり、引き上げの合図を送りタソガレドキ領へと足を向ける。
燃えるような太陽はすでに無く、忍びの時間が始まっていた。