2025年2月18日
あの日、あの夜。
誓ったことは今も胸の中心に。
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冬の気配近づく忍術学園に昇る風呂釜の湯気は視覚にも温かい。
四方を山に囲まれているこの学園は、広く学園の土地のため様々な罠や仕掛けがされており、出入りが許されている商人や忍者でなければたどり着くことが出来ない。忍者を育てるため子供を集めているのだから、そこは厳重にということなのだろう。しかし逆に言えば、忍者であれば近寄れるということでもある。
不定期に変更される罠や仕掛け、そして上級生による哨戒も、プロ忍者にかかればそれを欺くことも簡単である。簡単ではあるものの、敵対する気もなければ隠れる必要もない自分は、普段ならば哨戒中の上級生を見つければ姿を現し挨拶をする。流石にあえて罠にかかるようなことはしないが。
学園全体が見下ろせる山頂付近から下を見ながら、さてどうしようかと悩む。
正面から普通に訪ねても良いのだが、そうすると忍たまたちに囲まれてしまう可能性があるのだ。いつもならば相手をするのも――変なことに巻き込まれたくはないものの――吝かではないが、今回の目的のためにはそれは避けたいのが本音。
「仕方がない」
学園の中に入るか入らないかは状況次第ではあるものの、外のほうが都合がいいのは確かだ。
うまくそちらに乗ってくれるといいなと願いつつ、木の枝を蹴って学園へと近付いていった。
夜の帳が落ちる学園内は、灯りと闇が共存する。けれど、そこかしこに下級生の楽しげな気配があるからか、恐ろしさは全く無い。心がささくれ立っているとこの空気が逆につらい時もあるのだが、今宵はそのようなこともなく、木陰を利用しながら哨戒を避け学園へと近付いていく。職員長屋は運動場の奥にあり、外から直接見える場所は少ない。その数少ない場所に立ち目当ての部屋に焦点を当てた。半里離れていると普通ならば忍者であっても詳細を知るのは難しい。夜ならば尚更だ。だが、私にとってこの距離は何の苦ではないため行動しやすい。
障子が閉められた向こう側に動く影は二つ。それを見ながら幹の上に立ち、口元に指を当てピュイと息を吹く。狐の鳴き声が夜の中、微かに響いた。この時間ならまだ活動時間だ。一鳴きあってもおかしくはない。
――さて、反応してくださるだろうか。
二人の間だけで決めている合図はいくつかあり、今回はその一つだ。忍びらしく、日常に紛れられて気付かれにくく遠くまで届くもの。梟、雀、狐、狼、鼠、猫に犬。他にもいくつか。
暫くすると、小袖姿の目当てのお人が姿を見せる。雲に隠れる月を見上げるように顔を上げ、身体の前で小さく指で丸を描き、その後掌をこちらに向ける。それに笑みを深めもう一度ぴゅいと口笛を吹いた。
学園に行けばこんな面倒なやり取りしなくても済むのだが、あそこは人の気配が多すぎる。夜中であっても平気で邪魔――いやいや、良い子のは組を邪魔だなどと言ってはいけない――中断されるし、そもそも人の気配を読むことに長けている忍びばかりの場所であれやこれや出来るはずもない。父もいるし。ただ寝るだけならばそれでも構わないのだけれど、その、ただ寝るということすらたまに出来なかったりするのがあの学園なのだ。
ということで、二人きりになりたい時にはこうして長距離で伺いを立てる。ごくたまに、直接学園に訪ねた時あちらからお誘い頂くこともあるけれど、それは稀だ。まあ別にそれで構わない。
先ほど時鐘が暮六つを告げていた。
彼の人から宵五つに合流と合図が来ていたので、今のうちに夕餉を済ませてしまおうと学園に背を向けた。
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「律儀に呼び出すよね」
「決定権は土井先生がお持ちなんですから、お嫌でしたら拒否してくださって良いのですよ」
学園が所有する山から、ひとつばかし外れた山中。忍務の途中で使う隠れ家のひとつは実家を思わせる造りで、二人で逢う時には大抵この場所だ。明六つの鐘を聞いてから出ても、十分に学園の朝餉に間に合うのが良い。
「別に嫌とは言ってないけど」
学園から外出するために着替えていた私服から小袖姿に戻り、寝床へと誘導する私の手を取りながらそんな言葉を返す兄に苦笑する。この人は案外天邪鬼なところがある。
「火薬の匂いがする」
「匂いますか」
身体の下に招き入れると、こちらの首筋に鼻を寄せて無遠慮に匂いを嗅いでくる。それを好きにさせながらこちらも久しぶりの身体を抱きしめ、深く息を吸った。この人は普段から火薬の匂いがうっすらとする。それでも、この距離でないと判らないから匂いを消すことに長けているのだろう。
「珍しいねこんなに匂いさせるの」
「洗ったんですが、なかなか落ちませんね」
国境付近の小競り合い、その後方支援として空中からの遠距離支援。久しぶりに山の中を火縄銃を片手に走り回ったためか、依頼が終わる頃には鼻が馬鹿になってしまい苦労した。今日一日、湯浴みと水浴びを繰り返したのだが、まだ匂いがこびり付いているらしい。明日の夜には別の依頼が入っているため、それまでに落ちてくれることを願うばかりだ。
「土井先生は相変わらず手足が冷えすぎです」
「冬が近いからねえ」
「お一人でもちゃんと温めてくださいと何度も言っているでしょうに……」
十二で出会い、十三の頃に彼は父と共に学園の教師となった。それと時同じくして父を超えるためにも学園ではなく外に師を求めた数年間を除いて、共寝を繰り返している。
相変わらず温かいものが冷えていくことが――それが自分の体温で温まったものであってもだ――苦手だという兄のために。
始まりはただ体温を分け合うように寝ていたこの行為に、色が乗ったのは最近のこと。だから少しだけ緊張して、同時にとても喜ばしい。大切にしすぎるとくすぐったいと逃げてしまう身体に、大事に触れる時間。
「そろそろ利吉くんが来るだろうからいいかなぁって」
「明日の夜まで持たないでしょうが」
「もつもつ」
何とも適当な返事をする兄に顔を顰めると、本当だよ、と囁きながら左手でこちらの下腹部をそろりと撫でた。
「君のはずいぶんと大きいもの。平気で翌日まで引き摺るさ」
言われたことと、されたことの意味を理解するのに一拍。理解し、ぶわっと体温が上がるのを自覚すると、私の下にいる身体が楽しげに笑う。
「そういう……っ! からかわないでください!」
「からかってないさ。事実だよ」
冷たい手を握り締めながらぶつかるように唇を合わせると、残った吐息が優しく触れる。それすらも奪うように吸って、あわいを舌で撫でると隙間が出来た。舌を差し入れると迎え入れられる。
温かいものが冷えるよりは最初から冷たい方がいいと、一年のほとんどを外気で冷やそうとするためなのか、この人は口の中まで冷たい気がする。だからか、舌を差し込むとその温度差にいつも少しだけ驚くのだ。
「利吉くんの舌、あつい……」
私だけでなく彼も同じことを思うのか、そう呟く呼気までも冷たい気がして熱を分けるように重なりを深くしていく。
この人との交わりは熱を分けることが目的のため、いつも至極ゆっくりだ。忍びなんて普段生き急いでいるようなものだから、この時間はお互いにとって貴重で愛おしく、大事な時間になっている。
握っただけでは温かくならない指をこちらの首筋に誘導すると、ひやりと冷たい指先がするりと絡みつく。いつもこの瞬間は、暗器で突かれたら一瞬だなと思う。命を明け渡す信用は甘美で中毒性が高い。
例えば今この瞬間、外敵が来たら二人同時に戦闘態勢になれるだろう。けれど、この人に首を掻かれることに自分はきっと最後まで反応しない。けれど同時に、命が切れるまでの一瞬で同じように命を奪いに行く自分も想像が出来る。この人がそれを受け入れてくれるかどうかは、判らないけれど。
そんな物騒な想像をしながらも、指は彼の肌をゆっくりと撫でていく。普段は静かな心臓がこの時ばかりは早くなるのを掌で感じながら、胸から腹に触れる。性急にならないように、しかし欲は確かにあるのだという速度。
「……ふ」
足の根元まで冷えていることに眉を顰め、太ももをゆっくりと撫で上げると彼の口から吐息が漏れた。温度差のせいか、少しだけ鳥肌が立っている。
どうせすぐに脱ぐのだからと小袖に着替える時に褌を取っ払っていたため、遮るものなく緩く兆し始めている熱に触れることが出来る。脱がす楽しみもあるのだけどなと思うが、仕方がない。いつかの楽しみに取っておくのも良いだろう。
「そういえば、昔の夢を見たよ」
「……?」
口の中に溜めた唾液を彼の陰茎に垂らしている真っ最中にそんなことを言われ視線だけで疑問を返すと、彼は私の頬を撫でながら目を細めた。
「意固地で強情で、優しい少年の夢。……今の私はあの子から始まったんだよなって懐かしくなっちゃった」
「――――」
感慨深く言われると、照れ隠しの悪態すら出来やしない。かといって言われぱなしというのも癪で、自分の唾液で濡れた彼の熱を握り刺激を与えながら思考を巡らせた。
「お兄ちゃんは相変わらず頑固で強情ですけど、その少年を見習ってもう少し柔軟になってくれませんかね」
「少年がいるからいいかなって思っちゃってね」
こんな時ばかりああ言えばこう言うを体現する兄は、ある意味心を許しているからだと判ってはいるものの、全く人の話を聞き入れない態度には苛立ちだって生まれるというものだ。
一生付き合うだが、それでもいい加減もう少し自分を大事にしてくれてもいいだろうに。もう六年経つのに、進歩するところか退化している気がする。……いや、まだ六年しか経っていないと考え、退化ではなく心を許してくれているからこその緩みだと思わないとならない。
「っ、ふ……」
苛立ちが手指の動きに伝わったのか、少し強く擦り付けてしまう。兄の詰めた息に我に返り、掌から力を抜いて優しく扱いた。よく出来ましたとばかりに、兄の唇が頬に口づけをひとつ。指先はこちらの首から背中を撫でていく。官能が呼び出され肌が粟立つのを感じながら、こちらも指を動かした。
先端を露出させ、指の腹で撫でるとじわりと先走りが浮いてくる。それを使いながら棒を撫で降ろし、陰嚢をやわやわと揉むと気持ちがいいのか、腰がかすかに揺れていた。それに気を良くしながら、左手で小袖に入れておいた通和散を取り出し口に含む。
「最初の頃、君は随分大人っぽい子だと思ったものだけど……今の方が子供っぽいよね」
「ん゙ん、」
この人、いらんことまで思い出している気がする。
早く反論してついでに口を封じたいのだが、今、口を塞がれているのはこちらだ。口の中を噛んで唾液を押し出すが、まだ紙が溶けきるには時間がかかる。せめてもと屹立した熱を少し強めに擦るが、兄は腹筋を震わせて笑うばかりだ。こちらが反論出来ない時を狙って言うのだから質が悪い。
「毎日律儀に包帯を替えに来て、湯で手足温めてくれて。得体のしれない男なんて怖かっただろうに、そんな雰囲気微塵も出さなくてさ」
違う。怖いと思ったことなど一度もない。殺伐とした空気を出していた時だって、怖いと思ったことは一度もないのだ。むしろ、その空気を知ったからこそ、子供だった自分は生意気で稚拙な策略を企てた。その時感じた気持ちに嘘はないし今も変わらないけれど、当時の行動は思い出すだけで恥ずかしい。
口の中で溶けた通和散を掌の上に出し、指で口内を探って粘り気を刮げ落とした。
「その頃の印象が強いから、一緒に外出するようになってからの君に結構驚いたんだよね」
「あの、もうその辺りで……」
「? 何で?」
本気でやめてほしくて懇願しつつも、開かれた足の間に指を差し込み奥に触れる。熱の籠るそこに人差し指を這わせて何度か往復させると、震えた吐息が彼の口からこぼれ落ちる。
「恥ずかしいんですよ」
「ん、ぁ……、何で」
浅く指を埋め、細かく動かしてきついそこを緩めていく。ここに来る前、あの学園の中で準備をしてくれたのか、きつくはあるけれど閉ざされているわけではない柔らかさで、そのことにぞくりと悦びが浮かぶ。抱かれるための準備をして、ここに来てくれたのだ、この人は。誰に気配を探られるか判らないあの学園の中で。その事実だけで自分の精が暴発しそうになり、深く息を吸って心を落ち着けた。
「あ……、ぁ、ん」
指を回転させたり、浅く抜き差しをしながら屹立を扱くと、小さく喘ぎ声が響いてくる。その声をもっと聞きたくて二本の指を中に入れて彼の泣き所に触れた。
「まって、利吉くん、……っぁ、ぁ」
「もっと声聞かせてください」
指先で撫でながら屹立と陰嚢を辿り、蟻の戸渡りをぐっと押す。外側と内側から刺激され、屹立の先端からは汁が溢れ、指がきゅうと締め付けられた。その隙間を割るように指を動かし、刺激を加えていくと彼の腰が浮いて逃げようとする。
「ひァ、あ……っ、い、く……いく、から……っ」
それを追いかけるように指を動かすと、声に涙が浮かぶ。顔を上げて頬に口づけをひとつ落とすと、彼の指がこちらの顎を掴んですぐに唇同士が触れ合った。お互いに舌を噛んで、吸って。唾液を混ぜると空気を触れ合って小さく音が鳴る。
「……んぅ、ん」
爪先でこちらの首筋をひっかく彼の癖は、達する前に見せるもの。腰が前後に揺れているから、もう限界が近いのだろう。唇を深く噛み合わせながら、内部を探る指を増やしてゆっくりと追い込んでいく。
上と下からそれぞれ別の水音が響き、鼓膜を揺らす。それと合わせて呼吸のために出来る隙間から甘やかな声がこぼれ落ちるのだから、たまらない。
「は、ァ……っ、も、――……っ」
粘膜を触れ合わせ、触れることを許されて、彼を追い込んでいくと、矢羽音にも似た掠れた声を出しながら、身体を震わせて達した。掌の中に生暖かい精を受け止めてから上半身を起こす。くたりと身体から力を抜き横たわる姿を見下ろしながら、内部から指を引き抜いた。指先が抜ける寸前、引き止めるように締まるのがたまらない。
「……誤魔化した」
「え、いやそんなつもりは」
上がってきた体温で全身うっすらと汗をかきながら、兄がじとりと睨んでくる。思わず否定すると、行儀の悪い足が私の脇腹を蹴った。
「ないなら、言えるよね。言わないならもうさせない」
「ええ!?」
すでに肘をついて起き上がりかけている身体を両手で留める。半目を向けられると叱られているようで、思わず視線をずらしてしまう。ああ、昔も無茶なことをするとこんな顔を向けられたな、と昔話という流れで思い出してしまった。
「叱られ待ちの顔しないでよ」
「……先生に叱られるのは誰だって嫌でしょう」
「優等生の君がそんなこと言うなんてね。そんなに言いたくない?」
「さっきも言いましたが、恥ずかしいんですよ」
素直に打ち明けると、ふうんと土井先生が唸る。
「でも私は聞きたいからなあ」
「でしょうね!」
ここでじゃあ言わなくていいよ、とならないのが土井半助という男だと、実によく知っている。つまり、この話題が出た時点で私の負けは確定していたのだ。
「……せめて、中に入らせてくれませんか」
「もう誤魔化さないって約束するのなら」
「しません……」
黒歴史を話せというのだから、せめて褒美は貰いたい。ため息と共に諦めを受け入れると、先生はふぅわりと笑いこちらの頬にひとつ口付けた。
子供扱いを、とも思うが喜んでしまう単純な自分がいるのも確かで、黙ったまま足を割り開き少し萎えた自分のモノを扱いてから、柔らかく解けたそこに押し付けた。
「――ん、ぅ、」
息む彼に合わせて内部に入っていく。柔らかくてきつくて、温かくて気持ちがいい。太腿が絡み合うまで深く触れ合わせてから息を吐いた。
「痛くないですか」
「大丈夫……」
瞼を閉じてゆっくりと呼吸を繰り返す彼を見下ろし、頭の中ではさてどうしようかと思考を転がす。言いたくはないがこのまま進めたら確実に逃げられるし、次が本当に無くなる。それだけは避けたいがために、重い口を開いた。
「子供のしたことなので、正直に言うと先生が気付いてなかったのが驚きではあるんですが」
きちんと約束を果たす、と意思表示のために喋り出せば、彼の指がこちらの髪を梳く。その掌に指を絡めて口付けを落とした。
出会った当初、この指も傷ついていた。掌の真ん中に貫通痕。今ならばそれが刀傷だと判る。よく後遺症無く治ったものだ。
掌側にうっすらと残るその傷に舌を這わせ、過去を思った。
「味方が、欲しかったんです」
「……?」
あの頃の自分の世界は、母と時折帰ってくる父のみだった。友と呼べる存在は今も昔も居らず、行者はあんな山奥までやってこなかった。つまりあの家には他者の存在がなかった。
「両親は当然のように私に忍びの知識と術を教えました。生活全てが修行であり、優しさはあったけれど甘えは許されなかった」
毒に触れたのか、腕の爛れた皮膚は一番治りが遅かった。変色し、異臭がしていた。そこを毎日清めて包帯を巻いたのだ。今は引き攣れた皮膚が残っているそこに指を這わせ、近くにある傷痕にも触れていく。
「遊びたいといえば火縄銃を持たされ、苦無を渡され、手裏剣を渡される。時には薬学の本を渡され、気分転換も必要だろうと、外で読んできなさいと送り出されるんです」
けれど、それに対してそうじゃないと言うことも許されなかった。言ったところでピシャリとそんなことでは強い忍びになれませんよと怒られる。
「だから正直、お兄ちゃんが家に来た当初は忍者になりたかったわけではないんですよ」
「……そうなの?」
「はい。まあ、忍者にならないから修行じゃなくて遊んで、なんて言えなかったんですけど」
厳しくはあったけれど、同時にきちんと愛されていたことも知っている。いい子ねと頭を撫でてくれたことも、よく出来ましたと抱きしめてくれたことも覚えている。
ただ、それは幼少期の自分が求めるものではなかったのだ。
そんな時に、この人は私の前に現れた。
腕から胸へ、そこから腹へと指を這わせていく。脇腹にある大きな傷痕は、二番目に治りが遅かった場所。槍で突かれ、それを無理矢理抉り出したのだろう、傷口はぐちゃぐちゃで身体の中にも血が溜まっていたはずだ。そんな状態で彼は逃げながら戦い、そうして崖から落ちてきた。
今はもうしっかりと塞がっているけれど痕は残っているだけの場所に指で触れ、少しだけ爪を立てると彼が息を詰めた。
「私の小さな世界に入ってきた、人。弱っていたけどそれでも私より強い人。……それは、文字通り空から降ってきた贈り物だと、思ったんです」
ああ恥ずかしい。けれど当時は、本当にそう思ったのだ。
「父上も母上も優しかったけれど、私の味方とは言い難い……と、当時は思っていた。だから、この人だと思ったんです」
「……味方?」
「はい。私のワガママを何でも許してくれる、助けてくれる絶対の味方にしたい、と……」
小声になってしまうのは、あまりにも傲慢で子供の独り善がりな考えだと後悔しているからだ。
「覚えていますか、風呂が許された日のこと」
「覚えてる、けど……」
「母上と話していたでしょう。出ていく、と」
驚きを見せる兄に苦笑し、自分の耳を指さした。
「父上の風呂の世話をしながらでも、あの距離なら聞こえるんですよ。流石に声を潜められた後は聞こえませんでしたが」
目と耳が良いというのは、外に修行に出てから強く実感した。師が見えない聞こえないものを、知ることが出来る。人より先に知ることが出来るというのは、生きるために――生き残るための強味になる。
「……だからあの日、強引に」
「ええ。あの日を逃したら貴方はいなくなってしまうと思ったので」
だから、風呂の中で必死に考えた。どうしたら留まってくれるだろうかと。
その方法はあまりに稚拙だったけれど、あの時はそれしか浮かばなかったのだ。
「……と、いうことです」
これ以上は話してなるものかと決意し話を畳む。代わりに、密着しているところが乾かぬうちにと少しだけ腰を揺らして内部を刺激すると、ひくりと彼の腰が揺れ収めた熱が締め付けられる。気持ちが良くて幾度か奥を突いた。
「ぁ、ん……ん」
掠れた甘い声をもっと聞いていたくて奥から腰を引き、腹の裏側を押すと彼の陰茎からとぷりと白濁が漏れ、腰が前後に揺れる。
「そこ、だめ……、ぇ」
「くぁッ」
強く締め付けられ出そうになる。息を詰めて耐え、ずるりと内部へと戻りゆるゆると擦る。
長く繋がっていたい気持ちと、もっと啼かせたいという気持ちが同時に溢れるのはこんな時だ。体温を取り戻した身体を腕に囲い、衝動を抑えながら腰を進める。
兄の長い脚がこちらの腰に絡む。たったそれだけのことで体温を上げる自分は単純だ。
「ふふ……」
「何笑ってるんですか」
不穏な空気を感じ取ったが、聞かずにはいられなくて問いかけると、汗を浮かべたこちらの額を指で拭い、その指をぺろりと舐めながら兄が目を細める。
「必死に大人の真似事したってことなんでしょ」
「なんっ、で!」
言わなかったことを正確に当てられ、兄の上で身体を震わせる。
ああ畜生、そうだこの人は私のことをよく知っている。私だってこの人のことを知っているのだから当たり前だ。情報が与えられたらそこから推測することなど容易いのだ。判ってはいたけれど、言わなかったのだから触れずにいてほしかった。
「なるほど、恥ずかしいよね」
「もう黙ってください本当に、後生ですから」
鎖骨に額を押し付けて懇願すると、兄は笑いながらこちらの髪を梳いていく。たったそれだけで絆されそうになるから性質が悪い。
黒歴史として考えないようにしていた過去。
子供のように懇願したところでこの人は出ていってしまうと思った。舐められたら駄目だと考えた。
ならば大人の言葉なら聞くはずだ。実際、両親の言葉には従っていた姿を見ている。ならば、やることは一つだけだろう。
しかし、あの頃の自分にとって大人と言えば毎日接する母と、時折帰って来る父のみだった。山を降りることも稀で、降りたところで自分で話すこともなかった。母の影から会話を聞いていただけ。そんな状態で他の大人のことなど記憶に残らない。
――あの夜自分は必死に演じた。自分が知る大人を。つまり、母や父を。
穏やかな声で、責めず、包み込むような愛情で、有無を言わせず、けれど心を寄せる言葉を。
この人を助けられる存在なのだと知らせるように。
稚拙で、馬鹿な考えだ。
けれどあの時は必死だった。
いなくなって欲しくない。ずっとここにいて欲しい。味方になってほしい。そのためならば何でもするつもりだった。
「……誤解されたくないのでお伝えしますが」
首筋に顔を埋めながら口を開くと、髪を梳く指が先を促す。
「あの時言ったことに嘘はありません。語ったことは全て本心です」
「……うん」
「信じてくれなくてもいいですが、誤解はしないでください」
「違いが判りにくいなあ」
あははと笑う声に釣られて顔を上げると、こちらの顔を覗き込んできた兄が目を細める。
「ずっと言うよね、信じなくていいって」
「簡単に信じてもらえることだとは思っていないので」
永遠なんて、一生なんて、夢物語だと知っている。それでも、それを叶える努力を怠るつもりはないし、自分に誓っている。その誓いが私を生かすのだから。
自分の味方になってほしいと願ったことの地続きだ。差し出されていないものを勝手にそうしようと決めたのだから、私だって誓わなければあまりにも一方的だろうと子供心に考えた。
そうして迷子のような顔をした大人を見つめて、震える声で熱が失われるのが嫌だと告白した彼に、思った。
この、淋しくて孤独な魂を持つ人を決して独りにしない。
それはあの日誓った、私自身との約束事。
もういいよと、大丈夫だと言われるまで。……否、言われた後もこの人が息を引き取るその瞬間まで守り続けるのだ。
重いと言われるだろうから、これは決して何があっても悟らせないし、言わないけれど。
そんな私の気持ちなんて知らなくていい。冗談のようで構わない。信じてもらわなくても問題ない。ただ私が勝手に果たすだけのことだからだ。この人が背負う必要は欠片も無い。それだけのこと。
「うん、誤解しないよ」
こちら唇を寄せて、そう囁く彼に触れる。
彼はまだ色々なことが怖くて、けれどそれを隠せるくらいには癒やされ、強くなった。
それは私だけの功績ではないけれど、一助になっているのだと信じている。
だから、これからもこの腕の中に囲って守り、癒やしていく。一生を賭けて、私だけに許されたこの場所で。
好きだとか愛しているだとか、そんな言葉では足りない激情はなんと言えばいいのだろうか。いつも迷って今回も言えないから、代わりに口付けを深くし、繋がった場所の更に奥に入りこの情が彼を癒やしてくれるようにと願った。