2025年6月9日
◆◇◆
……退屈だったなー。
出すものは出したから多少スッキリはしたものの、あまり気持ち良くなくて自分で慰めて出したし、そのくせがっつかれて骨が当たりまくって痛かったし。
風呂入った後にもう一度、みたいな雰囲気があったけれど正直したくない。途中で寝落ちそうだ。とはいえ、それは危険だからやりたくない。そこまで危機管理能力低くないし。
となると、だ。
名乗られたけれども速攻忘れてしまった男が浴びるシャワー音を背後に、スマホを取り出してアプリを起動。上から三つ目にあるトークルームを開いて文字を入力していく。送信した後そのまま画面を見ていると、いつものようにすぐに既読がついてにんまりと笑った。彼は、自分の連絡に敏感で、それが嬉しい。夜景を見に行こうよと誘えば、どこに行けばいいのかとの質問が返ってくる。地図アプリから場所を共有して送ると今度は間をおかずに既読となった。これで良し。
もうここに用はないと濡れ髪のままベッドから起き上がり、忘れ物がないかだけをしっかりと確認してシャワー音が切れる前にそっと部屋を出た。
日付が変わる直前のメインストリートはほどよい交通量だ。あと一時間もしたらぐっと人が減るその直前の時間帯。ホテルのすぐ下だと追いかけられてこられたら面倒だと、二ブロック離れた場所にあるコンビニを指定場所にして駐車場の隅にある喫煙場所に立ってスマホを操作する。アプリで見つけた男をブロックしておかないと、後が面倒になる。ブロックせず放置した以前、それで大変なことになってからは必ずするようになった。面倒は避けるに限る。
やり取りは全てアプリ上で行っていたから、ブロックひとつで関係が切れるその気軽さが自分には合っていた。
男に抱かれているのは性欲処理だけであり、パートナーが欲しいわけではない。その枠は埋まっているわけだし、彼と別れるつもりはないのだ。彼は精神の支えになっていて、身体の処理は別でしているだけ。そんな今の生活が気に入っている。一応アプリで見つける相手は大丈夫かどうか気にしていて、今のところ酷いことにはなっていないし。
……次は相性いい相手だといいなー。お、この人結構好み。
顔はいまいちだけど、身体ががっしりしているのがいい。相手のプロフィール画面を開いていいねを送っておく。運が良ければ数日以内にはホテルに行けるだろうとそんなことを考えていると、コンビニに一台の車が入ってきた。ライトの明るさに顔を上げると待っていた車だった。背中を壁から離して近寄り、助手席に乗り込んだ。
冬の終わり、暦の上は春になっているとはいえまだコートが手放せない季節にそれなりの時間外にいたら寒さが勝つ。車内の暖かさにほっと息をついた。
「早かったね。道空いてた?」
「はい」
この時間なのにきちんとした格好をしている、年下の男の子。……子、というのは流石に失礼か。成人してすでに三年経っていて、酒も煙草も問題なく買える年齢なのだから。
「こんな時間に来てくれてありがとね、利吉くん」
「いえ、半助さんのためですから」
そう言って笑う青年の美しいこと。造形が私好みで、どれだけ見ていても飽きることがない。
その上この子は私のことが大好きで、ぞっこんなのだ。どんな時間に呼び出しても嫌な顔せずに来てくれるし、私に大好きですと顔を赤くしながらも真っ直ぐな目をして伝えてくれるし、練り物は率先して食べてくれるし、生活がズボラな私に対していちいち小言は言わないし。
「半助さんは、……酒飲んだんですね」
一度言葉に詰まって、おそらく言いたかった言葉を飲み込んで言葉を変えた利吉くんに対して、薄っすらと笑った。
狭い車内だ、この匂いに気づかないはずがない。
ラブホテルに備え付けてあるアメニティは、無駄に甘い匂いがする。この匂いに盛り上がる層もいるということなのだろうが、正直に言えば上品とは正反対の匂いだ。その出所である私がどこで何をしていたのか、利吉くんが気付かないはずがない。
傷ついた瞳をそらすその仕草をじっと見ていると、自然と笑みが浮かぶ。
――ああ、私は彼に愛されている。
自分の好きな人が……そして、付き合っている相手が、どこかの誰かに抱かれた後の姿を見て怒るのでも軽蔑するのでもなく、彼自身が傷つきこちらには一言も言わない。
「……夜景、いいところ見つけたんです」
「へえ、楽しみ。利吉くんの見つけてくるところってどこも当たりだもんね」
自分の中に全部押し込めて笑う姿を見ている時が、私は彼に愛されているのだと一番実感出来るのだ。私の我儘をきいて、私の行動に傷ついて、それでも笑って私のために尽くしてくれる。私を愛していないと出来ないこと。今日も利吉くんは私のことが大好きなのだ。
利吉くんが傷ついている姿を見ることが、彼からの愛を一番感じられる瞬間。
傷ついているということは、私のことが好きだという何よりの証拠。利吉くんは私を好きでいてくれる。だから優しいし、こうして迎えにきてくれるし、我儘もきいてくれる。そうやって確かめないと実感出来ないのだ。人の気持ちなんて見えないから、見えるようにしないと不安で仕方がない。利吉くんが私を好きでいてくれる限り、私は彼に捨てられない。ずっと一緒にいてくれる。
「迎えに来てくれてありがとう、利吉くん。大好きだよ」
カーナビの操作を終わらせた彼の指を捕まえて、身体を寄せて薄い唇に軽く吸い付く。静かな車内に小さなリップ音が響いた。
間近にある瞳は傷ついた心を隠そうとしながら、けれど同時に私への愛情が見て取れて、やっと私は心から安堵した。
それから山の方へと見に行った夜景は、山ということもあって星空まで堪能出来てとても素晴らしかった。流石、利吉くんともう一度キスをしてから帰路へ着く時、助手席で眠ってしまった私を利吉くんは寝かせたままにしてくれた。
私の住むアパートに着いたのは、太陽が昇る前のこと。まだ暗い公道でお礼にキスをする。
「今日はありがとね、利吉くん。またね」
「はい、また。……おやすみなさい半助さん」
優しく微笑まれて送られて。私はいい気分で外階段を登る。
古いアパートだから階段も無骨な鉄骨製で、音をさせずに登るのはコツがいる。玄関に入る前に下を見ると、まだ利吉くんはそこにいて、私の姿を見て手を振ってくれた。それに振り返してから部屋に入り、そのままベッドへ沈みこんで本格的に寝に入った。
◆◇◆
引っ掛けた男と外で遊んでいたら、突然の雨。夏真っ只中のこの時期の雨雲はいつでも気まぐれだ。上がりかけていた気温や湿度、ホコリや花粉を流すかのように空が沈む。
出てくるときに天気予報を見るなんて丁寧な生活をしていない私は、傘を持ち歩くなんて習慣はない。身支度を整えないと物陰から出られないという状況真っ只中だったため、もういいかとばかりに雨の中で最後まで致して、終わった現在は後悔している。体内には男の出したもの、上から下までびしょ濡れ。こんな状態では電車にもタクシーにも乗れやしない。歩いて帰れないこともないけれど、少々遠い。今日の相手にホテルに誘われたものの、もう一度する気分でもなかったため丁寧にお断りしてスマホでいつものように利吉くんを連絡した。
連絡をしてから三十分。やっと来た迎えの助手席を開けると、シートの上にはすでにバスタオルが敷かれていて、流石利吉くんと感心しながら乗り込んだ。その私の頭にも大きなタオルが被さる。
「風邪ひきますから拭いてください。寒くないですか?」
「大丈夫、暑いくらいだったから濡れて気持ちいいよ」
わしわしと頭を拭きながらちらりと横を見ると、運転している横顔。
顔が見たいなと思った。私の事が好きだと判る顔。運転している時にこっち見てなんて言えないから、信号を待つしかないのだけど。
「雨降るなんて思わなかったなあ。……もう少し遊べると思ったのに」
そう言いながら横を見るが、利吉くんは運転に集中しているからなのか、表情を変えることは無く前だけを見ている。いつものように傷ついた顔を見せてほしい。私はそれを見ないと君からの愛情を確かめられないのだから。
けれど利吉くんは、表情を変えることなく言葉を続けるだけ。
「今日は夜から雨だって少し前から天気予報出てましたよ」
「ええ~、見てないよ」
「だから玄関に使い捨ての傘がたくさんあるんですね」
確かに私の家の玄関には、透明なビニル傘が家主の腕と足を足しても余るほどに置いてある。出先で買って、捨てることなく置いておき次に雨が降ったらまた同じように増やすからだ。傘を持ち歩くなんて、朝出かけの時に降っていた時くらいで、それだって次に外に出た時晴れていたら、どこかに忘れてくるのだ。だからちゃんとした傘を買うことなんてないし、簡単に買えて置き忘れてもダメージのない使い捨てが都合がいい。
人間関係と一緒。
一度抱かれたら二度目は面倒くさいし、だから利吉くんに身体を許していない。大好きだけど、――大好きだからこそ、一緒にいたいからセックスはしたくない。利吉くんがそれに対してどう思っているのかは判らないけれど、付き合い始めた頃はあった誘いも今はなく、キスだけで満足しているのだろうとそう思っている。
身体の関係がなければ、一生一緒にいられる。他の男が使い捨て傘なら、利吉くんは立派な高級傘。捨てることのない替えの効かない大切なもの。
「……利吉くん、お盆休み暇?」
「自分で掃除する気はないんですか?」
赤信号で止まった時間を使って顔を覗き込みながら言えば、利吉くんは苦笑しながらそんな生意気なことを言う。実際そのつもりで聞いているとはいえ、もう少し会話のキャッチボールをしてほしいとばかりにむにっと頬をつねると、青年は肩を揺らして笑った。
「判りました、お伺いしますよ」
「やった! ありがと。お礼に夕飯奢るからね」
「はいはいありがとうございます。とりあえず青になるので戻ってくださいね」
運転の邪魔をしたいわけではないので体勢は戻すけれど。
「利吉くんが優しくない……」
「安全運転している運転手に向かってなんてことを」
右折するためにサイドミラーを確認する姿は、確かにいつも通り安全運転で。それは確かに同乗者を大切に思っているがための行動。事故を起こされたら困るのだから利吉くんの言うことは正しいのだけど、それでもいつもよりも優しくない気がして少しだけ不貞腐れた。
静かな車内はエンジン音と降り落ちる雨粒の音楽が微かに響くのみ。
迎えに来てもらっておいて、それ以上を望むなんてという気持ちと、もっと判りやすいいつもの姿が見たいという気持ち。
人の気持ちが判らないから、判るように可視化しないと安心出来ない。いつもそうやっている私に、利吉くんは付き合ってくれるのに。
「怒ってますか?」
ウィンカーの音が途切れたタイミングで、利吉くんがポツリと問うてくる。車は生活道路に入っていて、あと少しでアパートに着く。
雨粒は前から後ろにガラスを伝い、モザイクのように外の景色を隠している。それを見ながら無言でいると、はんすけさん、と弱く傷ついた声。ガラスに反射する姿ではどんな表情か判らなくて顔を運転席に向けると、利吉くんは顔こそ正面を向けたままだが、よく知る、あの傷ついた顔をしていた。
それを見たら、酷く安心して、その横顔に腕を伸ばした。
「ごめんね、怒ってないよ」
「……なら、いいですが」
今日も利吉くんは私のことが大好きで、その事実が判れば私は今日も安心出来る。たったこれだけのことで機嫌を直す私はなんて単純だろうか。そう思いながら、わしわしと柔らかな茶髪を掻き混ぜた。
「ほんとほんと。お盆休み楽しみだね」
「そうですね」
素直で可愛い子には今日も降りる時にキスをしようとそう考えながら、あと少しのドライブを楽しんだ。
◆◇◆
「なんで全部少しずつ残してるんですか」
「飲み終わったら洗わなきゃいけないじゃん」
「なんで靴下が冷凍庫の中から出てくるんですか」
「酔っ払ってたんじゃないかなー」
「テレビのリモコンが五個……?」
「失くしたと思って買うと出てくるんだよねえ」
指定のゴミ袋にガンガン物を放り投げていく利吉くんは容赦ない。必要そうなものは聞いてくれるけれど、明らかに不必要なものは私に訊ねることなくゴミ袋行きだ。
前回掃除してもらったのは去年の秋。そこからギリギリ一年経たずでここまで物が増えるのだから、私の生活が如何に無駄が多いかというのが判るというものだ。
半助さんはベッドの上から指示してくださいと、最初に戦力外通告を受けたが、実際に役に立たないことは判っているので大人しく整えられた――これも当然利吉くんが整えたものだ――ベッドの上でスマホと利吉くんが新しく買ってきてくれたペットボトル片手に、彼の掃除を見ている。
みるみるうちに、部屋に散らばっていた質量がゴミ袋に収まっていく。私の住む地域は面倒なゴミ分けがなくて、それを理由に部屋を決めたところがある。細々とルールで分けられていると出さなくなることが判っていたので、最初から生ゴミだろうとプラだろうと可燃で出せる金持ちな市区町を探したのだ。デカいゴミ袋に全て放り込んで捨てられるお陰で、ゴから始まるあれが大量発生することはなく――ゼロではない――汚部屋とはいえやばい匂いがすることもなく、ちょっと整理整頓が出来ていないレベルで今も生活出来ている。
借りているこの部屋も、外観の古さとは相反して中はリフォーム……利吉くん曰くリノベーションされている。正直何が違うのかよく判っていないが、風呂に追い炊きだけでなく浴室乾燥もついていて、うっかり夜中に洗濯物を干すのを忘れていたことを思い出し、慌てて干すズボラには有難いというもので。
そうして住み始めてそろそろ二年。当然更新するつもりでいる。立地も良くて夜は静かで、外階段が鉄骨である以外文句などないのだから。
「利吉くん、夕飯どうする? どっか食べに行く?」
「……半助さんが行きたいところにお付き合いしますよ」
冷房を付けながらも換気のために窓を開けるという、どこかの団体に怒られそうなことをしながらの掃除はまだ終わりそうにない。さすがにあまり遅くまでやってもらうのも忍びないので、ある程度綺麗になったら切り上げてもらうつもりでそう声をかけると、ゴミ袋を縛っていた利吉くんが奢りがいのない返答を寄越してきた。
「そこは若者らしく、肉食べたいですって言いなよ」
「肉食べたいです」
「棒読み!」
ダンボールを潰して畳んでいく背中に空になったペットボトルを投げつけると、利吉くんは床に落ちたそれを拾ってそのままゴミ袋へと放り込んだ。
全くもうと怒りながらスマホを手に取り、近くの焼肉店を検索する。安くて美味しいところだと、いっそチェーン店のほうが……いやいやこの個人店もなかなか、と探している最中に、アプリから通知が届いた。上部に出てきたバナーをタップすると、少し前から連絡を取っていた男から、今日この後のお誘いだった。
身体が好みだからと連絡を取っていた相手だ。機会を逃したら次はいつになるか判らない。とはいえ、利吉くんに部屋の掃除だけさせておいてじゃあまた! はいくらなんでも酷すぎる。しかし最近、仕事が忙しくてご無沙汰気味。正直、スッキリしたい気持ちがある。利吉くんと焼肉食べた後に……というのは、胃の中身が全部出そうで勿体ない。
悩み、利吉くんの背中を眺め、メッセージをもう一度確認し、一度天井を見てから口を開いた。
「利吉くん、あの、野暮用出来ちゃった」
「――――…………」
ふと、掃除していた手を止めて、利吉くんがこちらを振り返る。表情が抜け落ちていて、同時に傷つく心を隠そうとするいつもの顔。
私のことが大好きだから傷ついている顔。
「それは、今からじゃないと……駄目なものですか」
「え、うーん……」
いつもならば判りましたとすぐに言う利吉くんが、今日はそんな問いかけをしてくる。掃除だけして約束していた焼肉すら無くなりそうなのだから、言いたくなる気持ちは判る。けれども、私は既に欲を発散することへ心が動いているため、言葉は濁しながらもベッドから立ち上がっていた。
「ごめんね、掃除は適当なところでやめてもらっていいから。今度埋め合わせするよ」
財布をポケットに突っ込み、すれ違いざまに座っている利吉くんの肩に手を置いて、ちゅうと唇にキスをひとつ。
「またね」
そう軽く言って鍵を手に取り、外に出る。
利吉くんからの返事は、扉が閉まる音で聞こえなかった。
――そうして遊びに行った先では、まさかの三人の男が待ち構えていて。いやいやちょっとと思ったものの、ご無沙汰だったからそれなりに楽しんで。ただ、二度目はないなと心に誓った。最初からそのつもりで行くのと、騙し討ちされるのとでは意味が違うというものだ。
フラフラになりながら外階段を登る。流石に三人相手はどう考えても無茶しすぎた。欲を発散どころか、空っぽにされた気分だ。時間は日付が変わった直後。いつもならば利吉くんに送って貰うのだが、掃除してもらって夕飯を奢らずに出てきて少々気まずいため連絡しなかった。身体は疲れきっているから、我慢せずに呼べばよかったなぁと思いつつ鍵を差し込むと、感触がない。疑問に思いながらドアノブを捻るとそこは簡単に開き、その奥から明かりを漏らしていた。
「利吉くんいるの」
靴を脱いで短い廊下兼キッチンを横切り、部屋に入れば、とても綺麗になった部屋の真ん中で小さくなって座っている利吉くんがいた。
「……おかえりなさい」
「ただいまー。……疲れた」
顔を上げた利吉くんの横を通ってベッドに倒れ込む。風呂、は起きた後でいいか。今は寝たい。最後の気力で身体の下にあるタオルケットを引っ張り出して腹の上に乗せた。
「話したいことがあります」
「……んぅ」
利吉くんが何か言っていると、反射的に返事をするが、正直に言うと耳に届いているだけで脳みそには届いていない。
聞かないとと思うけれども、引っ付いた瞼は開きそうにないし、呼吸は深くなるばかり。もう一欠片も動きたくない。今はただ寝たい。
「……鍵、かけておきますね」
「んー……」
頭は殆ど寝ていて、だから何故今まで帰らずに利吉くんがこの部屋にいたのかも、綺麗に整理整頓された部屋の中からいくつかの荷物が消えていることも、消された電気と共に意識を落とした私は、何も気付かなかった。