朝涼

逃れる術などありはしない

2022年2月19日

 路地裏で嫉妬をぶつけられた上での一悶着のあと、しかしこの時間は実際のところ勤務中であったため、機嫌のいい上司を横に無理矢理顰め面をして車に戻った。
 本店主体の詐欺事件の捜査は、一昨日被疑者を逮捕、送検。現在は検察の取り調べの最中だが、起訴のため裏付けが足りないものの証拠揃えに警察側は奔走している。
 指揮を取っていた斉藤がわざわざ現場で裏付けに走り回る必要は全くないというのに、ほぼ事件が終結し、残務処理というのを逆手にとって職権乱用をしつつ矢島と外に出てきた。いい加減身体が鈍る、と言いながら。
 そうして外に出た矢先に片桐とのことがあり時間を無駄にしたが、被害者の証言集め、監視カメラ映像を借り受け複製するための手続き、口座情報提出のための手続き、被疑者側弁護士とのスケジュール合わせ等々、隣に指揮官がいるせいで本来矢島がやらなくても良いようなことまでやらされつつ、東京の街を斉藤と共に駆け回った。

「今日はここまでだな」
 息を吐きつつ斉藤かそう言ったのは、日付の変わる三十分前だった。
 矢島の車の後部座席は、様々な書類が散乱しており、明日これを整理しなければならないと思うとぞっとする。香川を巻き込もう、絶対に。
 暗い車内で外灯を頼りに文字を追っていたせいで、目元が重たい。狭い後部座席、それぞれドアによりかかり真ん中を開けて書類を漁っていたため、身体が固まっている。ぐ、と出来る限り伸びをして、溜まった乳酸を流す。それを見ていた反対側にいた斉藤が、矢島の方へと腕を伸ばしてきた。首の後ろを掌で覆われ、引き寄せられる。精悍な顔が近づき、体温が重なった。
 冬が近づいているとはいえ、ずっと車内にいれば寒さは感じ辛くなる。体温の違いは外の寒さではなく目の前の男の熱を思い出させるものだ。舌を差し込まれ、腔内を弄られるとかすかなコーヒーと煙草の混じった味を感じ取るが、それが不快でないなんて認めたくなくて、眉をしかめて腕で斉藤の身体を遠ざけた。
「鍵寄越せ」
「はあ?」
 言いながら、勝手にスーツのポケットに手を突っ込み鍵を持っていく男を呆然と見る。斉藤は、そんな矢島にもう一度口付けを落として、唇を触れ合わせながらひそりと言葉を発した。
「俺以外の男の名前を呼んだ罰も与えないとな」
「あんたなぁ……」
 まだ言ってんのかと口にするより先に、斉藤はさっさと後部座席から外に出て運転席へと移った。エンジンを掛け、シートベルトをしながら、
「着くまでにそこ片付けておけ」
 上司としてしっかりと命令を下したあとに、矢島の返事も聞かずに発車したのだった。

     ●

 銀座まで戻り、矢島一人ならば絶対に使わない一泊で万を超えるであろうホテルに二人で入る。こういう時斉藤は矢島に決して支払わせない。育ちと階級が違いすぎるため、そのことに劣等感すら抱かずに、矢島としても財布を出そうとも思わないのだが。
 フロントで手続きをする斉藤の後ろを通ってエレベーター前まで歩いていく。カードキーがないとそもそも稼働しない箱は、今押したところで意味がないが、座って待つほど時間がかかるわけでもないため、箱の前でぼんやりと立ち尽くした。
 静かな音楽の流れるフロントは、立ったままでも眠気を呼ぶ。部屋に入ったらそのまま寝たい。
 ふあ、と欠伸をする矢島の背後から腕が伸びてきて、ボタンを押した。すぐに扉が開くのに合わせて背中を押される。別にここまできて逃げやしないというのに。そう思いながら狭い箱の中に入る。
 扉を閉め、カードキーを翳してエレベーターを起動。階数ボタンを押せばすぐに機械は命令に従って動き出した。

 矢島よりも高い背を視界に収めながら思うのは、何故この男は矢島に執着し続けるのだろうかということだ。
 すぐに飽きられて放置されるのならばやられ損ではあるものの、納得も出来る。エリート様の気紛れ。暇潰し。口ではなんとでも言いながらそういうものだろう、と。
 職場が変われば、階級が更に離れていけば、数年もしたら姿を見ることもなくなる。自分達の間にある歴然とした差を埋めることは出来ない。
 実際はまだその暇潰しの真っ最中だと。
 旧体制が蔓延る年功序列。実力があってもどうにもならないことはいくらでもある。
 三十歳で組織内では若手の部類に入る斉藤は、まだまだ現場に派遣されやすい。矢島の存在は、そのためのストレス解消のひとつ。

 ――そう、思えたら、どれだけ楽か。

 そうではないことを物理的にも心理的にも知ってしまっている。知っているのだ。ただ、認められていない。そう、だから、矢島の中だけで認めていないその感情を認めてしまえば、こんなこと考えなくなると判っていて、けれどまだ足掻いている。臆病者だと笑うことすら出来やしない。
「矢島?」
 気付けばエレベーターは止まっていて、斉藤が半身を外に出していた。
「何でもねぇよ。眠いだけだ」
 咄嗟に誤魔化して壁から背中を離し、歩き出した。怪訝な顔をしながらも何も言わずに斉藤も歩き出し、角を一つ曲がった先にある部屋に二人で入った。
 部屋の中にはキングサイズのベッドが一つ。取る部屋考えろよと思うが口には出さず、車内に放置するわけにはいかなかった資料を詰め込んだ紙袋を机の上に置いた。
 そうして空になった腕を背後から思い切り引かれ、ベッドに投げ飛ばされる。文句を言うために顔を上げると、そんな無体をした男がベッドに上がってきた。
 疲労が見え隠れする顔はそれでも整っていて、世の中不公平だ。
 そう思いながら、降りてくる体温を受け入れた。

     ●

 風呂も入らずに服を脱いで、熱を交わし合う。しつこい程に落ちてくるキスは、矢島の唇が腫れぼったくなっても止まない。声を出すことを忌避しようとするこちらを優しく許さない斉藤によって、喉を震わせるようになるまでそれは繰り返される。
 酸欠になれば息を吸う回数が増える。そのタイミングを狙って弱い所に触れられると、声が漏れる。何度も何十回もそれを繰り返されて、斉藤によって無理矢理そうさせられた、と免罪符を貰ってやっと声を出せる矢島を、斉藤は律儀に毎回許すのだから、文句も言えない。こんな男、面倒くさいだろうに。面倒くさくない相手のところにさっさと言ってしまえばいいのに。柔らかくて甘い匂いのすぐ、男を悦ばせる手管を持つ従順な女性はこの世にきっといくらでもいるだろうに。
 そんなことを思いながら、しかしそれを口に出すなんてそれこそ面倒くさいやつだという理性が働いて、口に出すことなどない。くわえて、この思考がどの感情から来るものかなんて考えたくなくて、今日もまた蓋をする。往生際が悪い、さっさと認めてしまえ――そんなどこからか聞こえてくる自分の声を無視して。

 丁寧に開かれた身体は痛みを訴えない。強烈な甘さを脳みそに伝えてくる電気信号に抗うことが出来ず、男の熱を咥えて揺さぶられる。
 酷くされたら抵抗し逃げることも出来るのに、そんな隙を斉藤は矢島に決して与えない。
 ただそれでも今日は罰だと言った通り、素直に抱くつもりはないらしく、矢島の陰茎の根本を指で抑えて達かせるつもりがないらしい。
 それなのに与えられる悦はいつもより強く、内部から広がる気持ちよさが止まらない。
「ひぅ、ぁ、」
 下腹部が震えて、意識が落ちていきながら同時にふわりとトリップする感覚に恐怖を覚え、斉藤の腕に爪を立てると、目の前の気配が緩む。
「も、離せ……っ」
 塞き止められた陰茎よりも、男を受け入れる内部の方に神経が集中していて、だからこそ指を離してほしい。出して達くのではなく、出さずに達くのは過去に何度か体験したが、その入口に立った時の恐怖が身体を固くする。
 気持ちがいいのに、気持ちがいいから怖い。
 矢島自身が触れたことのない場所を無遠慮に暴き再構築させて開放する。その主導権を斉藤が持っていて、矢島は流されるだけ。達することはゴールではなくスタートだということを学習しているからなおさらに。
 密着した腰が動き、硬い熱が内壁を削る。それを引き留めようと動く身体の反射に理性が崩れていく。
「いつもよりぐずぐずだな」
「だれ、の、……ぇ」
 指でこちらが達するのをせき止めたまま、逆の手で下腹部をゆるく撫で、下生えをかき混ぜる。その刺激も辛くて逃げを打てば、内部にある熱の角度が変わって新たな刺激となった。
「は……ッ」

 男が動かなければ物足りない。
 男が動くと耐えられない。

 腹の裏側を刺激され、目の前の火花が散る。じわじわと侵食しせり上がってくる入口が迫ってくる恐怖から逃れたくて身体は逃げようとするのに、斉藤がそれを許さない。
「お前が強情なのが悪い」
「――っ」
 濁った水音をさせながら穿たれ、喉を晒す。そこに噛み付く男が言う言葉は染み付いた習慣できちんと脳みそに届くのが憎たらしい。上官の言葉は一言一句足りとも聞き逃さない、というもの。
「呼べば達かせてやる、とあと何回言えば良い?」
 当初から何度も言われた台詞に首を振る。
 昔なじみである片桐を下の名前で呼ぶのに、自分のことは名字であっても呼ぶことはないということに不満を抱く男が執拗に下の名前を呼ばせようとしている。
 元々が上司と部下という関係。役職名で呼べば事足りたため、直属の上司でなくなった後はどう呼べばいいのか迷ったあげく“呼ばない”という選択肢をとった矢島に対して怒っていたらしい。呼ばないことが癖になってしまったあとに不満を言うなと、こちらとしては言いたい。

 精を出して達くことを禁じて、しかし精を出さずに達くことは禁じていないと。
 指では触れられない奥を硬い陰茎で刺激し、斉藤が笑い、
「……く、ァ、――~~ッ」
 その刺激に背を押されるように終わりの始まりに突き落とされた。
 熱を受け入れる内部が収縮し、悦を一つも逃さないかのように密着する。それを割るように動かされると、それだけで波打つ下腹部。
 肌を噛まれ、内壁を刺激され、強い欲を叩きつけられて、幾度も達し続ける。
「は、……っ、あ、あっ」
 登ってくる悦は際限なく、矢島の理性を溶かしていく。細胞全てが矢島を抱く男の一挙手一投足を敏感に感じ取り、余すこと無く受け入れようと身体が開くのだ。
 崩れる理性がそれに恐怖し、首を振り、縋り付いた背中に爪を立てた。
「も、っい、きたく、っ……、ァ、あ」
 達しいきたくないのか、
 落ちいきたくないのか。
 自分でもどちらか判らぬまま、目の前の身体に縋り付くと、体温の上がった掌が矢島の頭からこめかみを撫で、耳朶を噛むように顔が寄せられた。
 同時に、下半身を男の足の上へと持ち上げられ、更に密着が深くなり、その先端が柔らかな場所に、触れ、て、

「――千紘」

 どこまでも優しく、容赦なく、暴力的な快楽が身体の中を巡り、本能がむき出しにされた。

 更に奥があるなんて思ってもおらず、気持ちがいいと思うより先に身体はその悦を受け止めていた。
「っ、ッ――!」
 声もなく達し続ける矢島を刺激を途切れさせることなく見下ろす斉藤は、親指の腹でゆるりと矢島の唇を撫でた。
「言えるな?」
 命令形ではなく、それは確認だった。斉藤の中で、矢島が言葉にすることは確定していて、あとはそのタイミングだけなのだと。
 論外にそう伝えられ、理性が消え本能だけでその言葉を聞く矢島は、唇に触れる親指を口に含んだ。
「怖がる必要はない」
 だから、と。
「……来い、ここまで」
 そこに先にいるのだと男が言う。その言葉に導かれるように、本能が喉を震わせる、言葉を形にしようとする。
「……っ、は、ぁ、」
 一番強い衝撃が去り、けれど連続する悦に振り回されながら、目の前にある斉藤の顔を両手で挟んだ。
「、……ま、」
 躊躇いに震える声に斉藤が矢島の指を握り、掌に口付ける。強い視線を向けられ、もう一度口を開いた。
「ほま、れ」
 初めて声帯を通したその事実に、身体が熱くなる。必死に守っていた壁を剥がされてまたひとつ、防御力が落ちて行く。

 それでも、
「もう一度」
 目を細め、柔らかく笑いながら斉藤が腰を引き、慣れた刺激に切り替えながら催促する。
 ずっとせき止められていた陰茎からやっと指が離れて、代わりに二人の腹に挟まれるように男の身体がのしかかってきた。
 その背中に腕を回し、先程と同じ音を繰り返す。
「――っ、ほ、まれ、ぇっ」
「心地良いな」
 精を出しているのか、中で達っているのかもう判らない。ただ、脳みその奥まで気持ちが良い、ただそれだけで、男を悦ばせ、同じものを返されながら本能に溺れていった。