朝涼

100:終

 朝日が登る直前にそっと玄関を開けると、リビングからは光が漏れていた。起きているのか、寝落ちているのか。今この時点では判断出来なくて、なるべく音を立てないように扉を閉めて鍵をかけてから、ゆっくりと廊下を歩いて閉まっている引き戸を横にずらした。
「おかえり」
「……!」
 中を覗き込んだ白石に、すぐに振り向いた黒崎が声をかけながら手招きをする。
 部屋の中はいつも以上に紙だらけで、ずっと黒崎が起きていたのだということが伺いしれた。日付が変わる前に今日は大学に泊まると一言メッセージを入れて、黒崎からもわかった、と返ってきたけれど。寝ずに待っていてくれたという事実に申し訳無さと嬉しさが湧き上がる。
「あの」
「座ってて」
 ケンカのきっかけも、どちらが悪いのかもすでに曖昧なほど些細なことだったけれど、その場で解決せずに飛び出した白石に非があるのは事実だと、謝ろうと口を開いたが、黒崎が遮るようにいつものソファを指差しながら立ち上がってキッチンに向かってしまう。出鼻をくじかれて、仕方なくソファに座った。
 大学では横になるところがなくて、机につっぷして浅い眠りを繰り返していた。そのせいで身体はバキバキだし、血流が悪くなって指先まで冷えている。
 宇佐美がうちに泊まってくださいと誘ってきたけれど、それを丁寧に辞退したのは、やはり彼に甘えるのはダメだと思ったからだ。宇佐美の告白を断ったのに、その好意に付け込むようなことは誠実ではない。
「はい」
 眠さと低くなった体温のせいで、ぼうっと思考の海に漂っていた白石の目の前にマグカップが差し出された。
 なみなみと注がれた濃い茶色の液体と、上に浮かぶホイップクリーム。そして甘い匂い。受け取ると、顔に当たる湯気が柔らかい。
 ココアもクリームも、どちらも甘さ控えめだから、飲んでもくどくない。これは、黒崎と白石二人のお気に入りで、淹れるのはいつも黒崎だ。夜中、酒のかわりに飲んだり、朝食がパンの時に飲んだり。マシュマロを浮かべたこともあったけれど、二人共ホイップクリームのほうが美味しいとなって、それからはいつもホイップクリームを使っている。
 一口飲むと、温かさが胃に流れていくのが判り、ほっと息を吐いた。
「……ごめんなさい」
 するりと出た謝罪の言葉。飛び出したことも、それ以外のことも。その気持ちで。
「俺も、ごめんなさい」
 腕がくっつくすぐ隣に腰掛けた黒崎からも同じように謝罪が来て。
 どっちが悪いだとか、悪くないだとかじゃなくて。今回は譲れないことじゃなくて理由も覚えていないくらい喧嘩だから、それぞれが謝っておしまい。それが許される関係に顔を綻ばせた。
「この部屋がひとりだと広いのだと、白石君が出て行って気が付いた」
「俺は出ていったら、行く場所が大学しかないって気が付きました」
「逆でも同じことを思うのかな」
「かもしれへんですね」
 ゆっくりとココアを飲みながらの会話の中、朝日が登っていくのをカーテン越しに感じ取る。
「一人になってしまうと喧嘩を終わらせることも出来ないから、次からは出て行かないでほしい」
「……そない理由で出てかへんで言われるとは思いませんでした」
 とはいえ、たしかにそれは事実だ。スマホという繋がれる機械は持っているけれど、それで連絡して仲直りする気にはなれなかった。顔を見て、話したいとそう思ったから白石は帰ってきたのだし、黒崎も夜中こちらに連絡することもせず起きて待っていたのだろう。
 ぶつかって、仲直りをして、すり合わせて、決まっていくこと。
 喧嘩をしても仲直り出来ることが嬉しくて、くすぐったい。
「黒崎さん」
「?」
 半分ほど飲めば、身体はぽかぽかして眠気が襲ってきた。
 ふわりとした思考の中、顔を覗き込むようにしながら我ながら締まりが無いだろうと判る笑みを向け、黒崎にこちらから要求を伝えた。
「喧嘩の時、外出えへんので、仲直りしたら今日みたいにココア淹れて、キスしてください」
「――……」
 今まで誰とも出来なかったことを、黒崎としている喜び。他の人には――家族であっても言えないようなワガママは、白石の本音であり、浮かれた気分の塊だけれども、黒崎ならば許してくれるだろうという甘えもあって口に出来たこと。
 そして白石のその願いは、すぐに叶えられた。

ケンカのわりにはココア味のキスを