朝涼

099:轍

「お前って、親に反抗してんの」
 新聞に目を落としながら、こちらを見るでもなく呟かれた言葉に、加藤は自分に話しかけられているとは思わなくて間が出来た。
「聞いてんのかよ加藤」
「聞いてるけど、独り言かと思ったんだよ」
 何故か半目を向けられるが、加藤は悪くないはずだ。唐突に、こちらを見ることもなく言われて自分宛てだと思える確率はなかなか少ないだろうに。そんなことを思いながら同じく半目を向け、しかし疑問に答えるように口を開いた。
「反抗期って意味ならしたことがない」
「まじかよ」
「松田を嫁として認めてくれないのなら人生初の反抗期になるかもな」
「俺は嫁じゃねー!」
 きゃんきゃんと騒ぐ松田はいつものことなのでスルーし、一時停止してからコントローラーを置いて横にいる松田に向き合った。
「家継ぐ気はあるんだよな……?」
 加藤が茶化す気がないと判ったのか、嫁発言よりも聞きたいことを優先したのか、松田が話を進める。それに対して頷いた後に首を傾げた。
「やってもないのに継がないって決めつけるほど浅慮じゃないつもりだから、一度は戻るよ。その時に松田も連れてくつもり」
「それはいいから」
「良くない。俺にとってはそれが一番大切」
 松田になんと言われようと、親がなんと反対しようと、加藤にとって松田と共に居られるかどうかが一番であり、唯一絶対的に譲れない条件だ。
 そこがクリア出来るのなら実家を継ぐし、無理なら姉の子にでも譲る、それだけ。
「……現実の話していいか?」
「現実の話しかしてない」
「MRは持ってんの?」
 松田は、加藤の声に被せるように、疑問を口にしてきた。
 MR――Medical Representatives医薬情報担当者は、製薬会社で働くのなら必須ではないと言われているが、必須と同義なほど取ることを推奨されている。
 戻っても最初は一営業として働くことになるだろうことを考えると、尚更に必要なものだ。売っている商品のことを説明出来ない営業より、出来る営業のほうが売上は上がるということ。
「大卒でそのまま東都に来たからまだ取ってない。戻ってから取るか、戻る前に取るか悩んでるところ」
「戻る前に取っとけ」
 いいか? と、松田が新聞を折り畳んでから加藤と向き合った。
「うちで働いてることは、てめえ自身においてはプラスになることがあっても、加藤製薬で働いてる人間にとってはマイナスにならないってだけだって自覚しろ。新卒で入ったんならまだしも、外に修行に出ていた跡取り息子が戻ってきたのに、資格どころか知識一つ勉強してきませんでした、なんてことになったら誰もお前に付いていかない」
「そんなの俺は」
 気にしない、と言いかけて松田の真剣な――仕事中にしか見られない、真っ直ぐな瞳が加藤の語尾を融けさせた。
「お前は、そう言うだろうな。けどな加藤。お前が将来トップに立った時、下にいるのはお前以外の人間なんだよ。一人でなんでも出来る、誰に何言われても気にしないなんてよがったオナニー思考してんのなら、むしろ最初から関わんな」
「――――」
 それは余りにも正論で、潔癖で、真っ直ぐな意見。ただ、同時に真理でもあるもの。しかし松田がそれを言うのかと思ってしまうのは、普段同期を馬鹿にしている姿を見ているせいだろうか。
「松田は、俺とのこと無視したらずっと東都にいるのか?」
 プロポーズをして、返事は加藤が東都銀行を出る時にという保留状態ではあるものの、松田が将来のことをどう考えているのか気になって疑問を口にすると、松田は一度嫌そうな顔をしてから視線を背けた。
「いるわけねえだろ、あんなクソ面倒なところ。ある程度技術と知識盗んだらおさらばするわ」
「俺が言うのも何だけど言葉選べよ」
「本当にてめぇが言うな。……行員ってしがらみ多すぎて面倒多いだろ。俺らみたいな立場でもそれなら、経営側に回ったら更に面倒」
「ああ」
 加藤達労働側であっても、足の引っ張り合い、虚勢の張り合い、ライバルどころか敵と敵。そのくせ数字には煩くて表面上は仲良しこよし。
 経営側に回るとそこに責任が追加され、ノルマ達成のため更に人に取り入るスキルが必要になるのに、ある程度上に行ってもそれ以上は地方に飛ばされてしまうだけ。余程上手く取り入らないとひと握りには選ばれない。
 加藤達より上の世代は殆どが辞めていて、仕事が出来すぎる人か、人に取り入るのが上手すぎる人ばかりが残っていて、それ以外の人は転職していった。
「M&Aの仲介かアドバイザリー、あとはディーラーなら今のうちに知識手に入り放題だし」
「……まさか、松田が梶さんとの繋がり切らないのって」
「あの人服のセンス死んでるし、仕事中に筋トレする変人だけど、仕事は滅茶苦茶出来て便利なんだよな」
 なんと言うか、流石松田と思ってしまうのは、惚れた欲目なのだろうか。違うか。
 ただ松田らしいなと思う一方で、今の松田の言葉は加藤にとって希望の光にもなった。
 松田が転職するつもりが未だあるということ、そして、加藤が戻った後のことを心配してくれたこと、加藤が使える人材なら、――松田から切ることはない、ということ。
 いつかの未来、松田と共にいるためにならなんでも出来るし、なんでもする。松田が必要だと言うのならMR取得のための勉強とて苦ではない。
 加藤にとって、松田は指針であり、全てなのだと、こういう時に実感する。
「松田好きだよ」
「俺は嫌いだ! 突然何だよ!」
 否定してから聞いてくる松田が面白くて、笑いながら隣の体温を抱きしめて共にソファに沈んだ。

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