朝涼

098:凪

 片桐にとって、自分に性的欲求を持って寄ってくる人間は全て十把一絡げで、正直に言うと全く印象に残らない。脳みその作りがいいため一度寝た人は覚えているけれど、記憶しているというよりは記録していると言ったほうがいいくらいに、情報でしかない。
 こちらに媚びを売ってくる連中に対して、わざわざ思考を動かすほど片桐はお人好しではなく、一晩楽しめたらそれでいいし、それ以上を望むこともなかった。一晩以上になる場合はヤらせてくれるから付き合う、その程度。
 自分の顔面を武器に男女問わず食って、けれど別にそれが楽しいわけでもないから色狂いになるわけでもなく。
 仕事をして、引っ掛けた女を抱いて、家に帰って寝て、起きて。日常はつまらなくて求める刺激は程遠い。ギャンブルは刺激が欲しくてやっているため、勝った方が嬉しいのは事実だが、負けてもそれはそれで面白いため辞められない。仕事だって金がほしいのと、ニートだとそれはそれで暇を持て余しそうなためというだけの理由で就職した。忙しければ暇も紛れるだろうと、そんな気持ちで。
 何をしても大抵こなせてしまうため、辞めていく同期もいる中で片桐は残った一人だった。老若男女、上手く片桐の味方にするのは慣れているため、他の同期や後輩のように客先で怒鳴られることも、自分起因の大きな失敗もない。
 忙しくはあるけれど面白くもない仕事を、それでも毎日ちゃんと勤務しているのは長谷川の存在が大きいだろう。
 最初は別部署の、当たりの柔らかい上司。片桐としてはトラウマでもなんでもない、入社直後の案件で長谷川を覚え、部署は違えどなんとなく目で追っていた。部署が違えば接点もなく、しかも毎日忙しく働いている長谷川とは立場の違いもあって、廊下でちょっと立ち話をなんてことにもならなかった。
 毎日真面目に働くなぁという好奇心と、片桐にはないお人好しそのものな性格。つまり、誰にでも分け隔てなく与えられる優しさ。
 トラウマにはなっていないものの、それでも当時はそれなりに苛ついたあの案件。時間が経ち仕事を覚えていけば、一度頓挫しかけたプロジェクトを再始動させることの難しさも判り、それをクローズまで持っていった長谷川に対して、尊敬の念を抱いた。だからこそ、残業中の静かなフロアで聞こえた、ちゃんとやらないと仕事じゃないという言葉も、長谷川が言うから心に留まっただけだ。そうでなければ、他人の言葉など気にもとめない。
 部署異動前の休出時に呑んだ時も多少粉をかけたが、あからさまにストレートで、恋人もいる様子の上司を本気で食う気などなくて、赤面した長谷川のその反応を確かめただけだった。思いの外可愛い反応が帰ってきて、それなりに満足。
 棚からぼたもち的にかけたアプローチで長谷川の隣を勝ち取ったのは、少し偶然と、自分の運の良さ。
 尊敬を即性欲に繋げるほど片桐は猿ではないし、最初の偶然から本気になったのは自分でも想定外なところはあったけれど、今はそれもいいかと思っている。
 つまらない日常の中で、長谷川の反応は楽しい。
「もう少しえろい方に積極的だと俺が喜ぶんですけどね」
「……突然何言い出してんだ」
「直幸さんといると退屈しないなって話です」
 ソファに寝転がりながら、暇つぶしのスマホゲー。
 ゲームに関しては殆ど思考停止状態でタップし続ける操作の傍ら、視界の隅にずっとあった、片桐の頭の横にきちんと座って本を読んでいた長谷川のことを考えていたせいで、思わず口に出してしまった。
「俺もお前の言動と行動にいつも心臓壊れそうだよ」
「そんなに俺の事好きなんですね、嬉しいなぁ」
「……ポジティブなのはいい事だ」
 長谷川がそういう意味で言っているのではないと判った上で言い切ると、飽れながらも長谷川が笑う。
 予想通りと予想外。長谷川の反応は読める時と読めない時があり、そのギャンブル性がハマるきっかけになったのも事実。
「直幸さんといると退屈しねえなぁ」
「なんだよ突然」
 退屈な日常の中で、心を揺らす存在がいるというのは、片桐にとってプラスになることなのだと知った。幼馴染をからかう楽しさとはまた別の、片桐が揺らされる方になっている。……その本人は、片桐に振り回されていると思っているし、振り回していること自体は事実なのだけど。
 スマホを放り投げて起き上がると、すぐ横に長谷川の顔。顎を引いて警戒しながらも離れていかない恋人に笑いかけて、キスするように顔を近づけながら、先に無防備になっている愛すべきプニ腹に指を這わせた。

凪いだ心 波打つ心