朝涼

097:暁

 部屋の中に響く小さな音に反応して、意識が浮上した。
 半分空けたベッド、その向こう側のクローゼットの前にしゃがみ込む背中は、久しぶりの存在。
「……かじ」
「! ……悪い、起こしたか」
 小さく呼べば振り返る姿。起き上がり、ベッドから降りてすぐ横に座った。その隣の身体は、今まで布団の中にいた神谷の状況を差し引いても冷えていると判って、小さく眉をしかめた。
 M&Aに時期はなくとも、やはり人の心理として判りやすい時期に売買を終えたいという気持ちが働くのか、半期の開始直前――特に決算月は更に多忙となる。そのせいで梶はこの一ヶ月、ほぼ職場にいるか、現地に飛ぶかのどちらかだった。営業との打ち合わせとして神谷も幾度か顔を合わせたが、見かける度に目の下のくまが濃く草臥れているのが判った。
 昨日まで欧州に居て、このあと今度は国内の現地に飛ぶため準備として戻ってきたのだろう。
 体内時計などきっともうぐちゃぐちゃのはずだ。それでも弱音など吐かずに仕事をしている梶に、神谷が出来ることは少ない。
 荷物をパッキンしていく梶の隣にじっと座り込む。少しだけ触れている体温は久しぶりのもので、すぐにまた行ってしまうものだ。
 仕事と私どっちが大事なの、などと思うことすらない。梶は、どっちも大事にしている。時間がない中神谷との時間を捻出しようと無理しているのも知っているし、今はそれが叶わなくて苛立っているのだって知っている。
 だから、こうしてわざわざ帰ってきたのも、梶が少しの期待をしてだと思うのは、神谷の勝手だ。
「神谷」
 朝方の冷たい空気、日が昇っていない夜明け前。床の冷たさに体温を奪われた神谷の足に梶が触れた。じわりと沁みる温かな体温。顔をあげるとすぐに唇が触れ合った。
 何週間ぶりかの接触だけれども、この静かな空気を壊せなくて焦れるようなほどゆっくりと触れて、離れる。それでも血液が全身を巡り、体温が上がるのを自覚した。微かに感じる足の指との体温差。簡単に熱くなる自分に苦く笑うことすら出来ないのは、触れたい思いが一方通行ではないからだ。
「……時間あるのか?」
「始発の新幹線」
 それならば、まだ二時間ほどはあるとベッドを見るが、梶は違う気持ちだったようで立ち上がり寝室を出るように神谷を誘導した。
「梶?」
「際限なくなるから……一緒に風呂までにさせてくれ」
 濃い目の下のくまと深い眉間のシワ。これはまた、色んな人を怖がらせているんだろうなと思いつつ、そんな思いしたことがない神谷は肩を震わせて笑うばかりだ。
「それに」
 神谷の笑う姿をちらりと見た後、脱衣所に入りながら梶が言葉を続ける。
「抱かれた直後のお前を人前に出したくない」
「――……」
 独占欲の見えるその言葉に今度は息を呑む神谷を、シャツを脱いだ梶が引き寄せて噛みつくように唇を合わせてきた。
 恥ずかしいやつ、という言葉は神谷の腹の中に落ちたまま、声にはならなかった。

暁方