朝涼

露払い

2025年2月19日

 戦準備の内偵は、難しくはないが時間がかかる。
 人の動き、物資の流れ、農業の時期、薬売りの売上、市井の人々のちょっとした働きが繋がっていることだってある。砦を新しく作るのならばその材料に人員、陣を張るにしても位置を確定させるまでには何度も確認がある。戰場付近の詳細を知るため歩き回り、詳細を記す者もいる。川までの距離、川の流れや深さも重要だし、場合によっては新たに橋を架けることだってある。それらの仔細を調べ上げ、まとめて報告する。
 お互いに戦になると陣を敷くものよりも、今回調べているような所謂奇襲と呼ばれる戦こそ、念入りに前準備がされているものなのだ。
 勿論、こうして準備がバレている時点で奇襲は失敗しているというものなのだが、その部分について忍びが関与することではない。殿様なり官人なりが考えることだ。政治の世界というのは、草である忍びには大きく関係がない。もちろん仕事に直結することだから結果は必要だが、関与するようなことではない。情報を持ち帰るが精査し使うのは権力者がすることだ。城勤めだともう少し意識が違うものなのだろうが、フリーである利吉には関係がないと言い切れる。
「もういいだろーがよー」
「よくその体勢で落ちませんね」
 枝に器用に寝転がる、今回の相棒にちらりと視線を向けて笑えば、寝転がったままの忍びは塩にぎりを食いながらコツがあんだよ、と嘯く。こんな忍務の時、長く場所を離れるわけにはいかないから、大きめの握り飯を拠点にしている宿で作ってもらいそれを一日一食口にして飢えをしのいでいる。相棒が今その休憩中でだらけきっているのは構わないのだが、それなりに横幅のある図体でよく枝から転げ落ちないものだと、素直に感心が先立った。
「そろそろふた月ですからね。依頼人に上げる情報も固まってきましたしそろそろ終了でしょうね」
「あんたのほうが覚えがいいんだから、もういいだろって提言してくれよ」
「言えないでしょ、そんなこと……」
 この忍び、言動は適当ではあるが見るべきところは見ているし、知識があるから利吉が知らないことも教えてくれる。鍛錬を怠っているのか身体の動きが鈍いのは頂けないが、情報を取るだけならば十分逃げられるという心算なのだろう。
「だってあんたももういい加減飽きただろ」
「……」
「おれしかいねーんだから、隠さなくてもいいって」
 ケタケタと笑った男は、握り飯を口の中に放り込んでから起き上がり、利吉と場所を交代する。
 日が昇る前から今まで動き放しで情報を取っていたが、動きは固まりつつある。それは準備が終わりかけているということだ。本格的に動くのは何日後か。それさえ判ればお役御免だろう。
「あなたみたいな優秀な忍びがこんな簡単な仕事をしていていいんですか?」
「褒めてもなんもでねーぞー」
 利吉の代わりに情報を書いた帳面を開き、中身を精査しながら忍びが笑う。そんなつもりは一切ないのだが、と思いながら自分用の塩にぎりを取り出した。少し固めの米で握られており、塩がしっかり効いていて美味い。外界を木々の間から見下ろしつつの腹ごしらえ。最初の頃はそれこそ移動しながら詰め込むという形だったことを考えれば、随分と余裕が出来たものだ。
「おれは、まーなんだ。昔、忍務に失敗してな。その尻拭いが終わるまで帰れねーのよ」
「え?」
「たまにまだですって報告するだけで帰るつもりないし、向こうも戻って来るとは思ってないだろうけどなー」
 どういうことなのだろうかと疑問が頭を駆け巡る。それは、ほとんど抜け忍と変わりないではないか。
「殿様への顔が立たないし、忍隊としても見逃すことは出来ない。けど、今更生きているか死んでいるか判らん忍び一人に全力を挙げるわけにもいかない。だからおれ一人にぜーんぶ押し付けたってわけ」
「……城仕えしたことがないし、ひとつの忍隊に入ったことがないので判らないんですが、そんなに何年も追うものなんですか」
「言っただろ、殿様への顔が立たないって」
「ああ……そういう」
 つまり双方にとって信用問題ということだ。抜け忍を放置していると、そんな簡単なものなのかとナメられることになるし、探さないわけにはいかない。責任の先を一つにしてまだ探しているということにするのだ。どうせ、この戦乱の世頭はすぐにすげ変わるのだから、と。
「何年探しているんですか?」
「あー、どんだけだ? 五、六年?」
「死んでたら獣に食われてるでしょ、それ」
「まーけど最後に見た時は生きてたからなー」
 気の抜けた返事をする忍びから視線を逃がして、握り飯を噛みしめる。近くでメジロが鳴いているのが平和だ。
「もし見つかったらどうするんです」
「そん時は殺した上で、まだ見つかりませんって報告するなー。忍務終わったら帰らんといかんだろ。もうこうやって生きてるほうが楽だから帰りたくねーんだよなー」
「適当な……」
 どこまでも自分勝手な言い分に思わず突っ込んでしまう。忍隊の事情などまったく知らないが、探さないわけにはいかないが、見つかったり忍務が終わってしまうのもそれはそれで問題がある、ということなのだろう。しがらみとは面倒なものだ。
 フリーで良かったなあと、心から思った。幼い頃から団体行動をしたことがないため、自分に城仕えは無理だと最初から判っていたし、忍隊に入るというのも選択肢から排除した。上下関係や人間関係は単純なほうがいい。しがらみは時に身動きが取れなくなるのだから。
「売れっ子なら顔広いだろ。なんか知らない?」
「抜け忍が、自分抜け忍なんですって話すわけないでしょうが。せめて顔か名前が判ればまだしも」
 親指についた米粒を舌で拭うように取り、立ち上がる。ああ、いい天気だ。曇っていて太陽が見えず、密事に向いていて、あと数刻で雨が降る。
「ん、こんな顔」
「見ていいんですか」
「どうせ見つからないしなー」
 古びた紙を懐から取り出し、利吉に突きつける忍びから受け取るそれは人相書き。
 ボサボサの黒髪にまんまる目の若い男。背が高く顔が整っている、と文字で書いてある。
「若いですね。十代?」
「当時な」
「死んでると思いますけど。あ、帳面もらいます」
「おれもそう思う」
 男から今回の報告がまとまっている帳面を受け取り、それを人相書きと一緒に左手に持つ。この仕事が終わったら忍術学園に行こう。あの日向が暖かい場所には、大切な人がいる。あの人の笑顔が見たい。
 そんなことを考えながら、そのまま右手を男のほうに伸ばし、手首に隠している暗器を喉に突き刺した。二本目はこめかみに。驚く顔すらさせない。どこをどう突けば命を奪えるのか、利吉は知っている。殺気すらいらない。そんなもの出してしまったら気付かれてしまうではないか。殺す時に気配を出すなど、愚の骨頂。ぐらりと揺れた身体を抱きとめ、腕でその首をへし折った。
「報告に行くのがいつも私で助かりました。一人減ったところで、気付かれない」
 ただの肉の塊となった忍びの身体を背負い、幹を蹴る。ここでは人の気配が多すぎる。もう少し山奥に入り埋めておけば、そのうち獣が食うだろう。
 これを埋めて、今日の分を報告に上げれば終了日も見えてくるだろう。
 ふた月この仕事にかかりきりだったため、つまりそれだけ彼の顔を見ていない。早く会って抱きしめたい。おかえり、と日向の中で言われると利吉の中にいる鬼が大人しくなるのだ。彼の存在があるから、利吉は鬼に心を明け渡すことなく飼い慣らせる。
 忌々しくも強い鬼。
 けれど、その鬼と共闘する理由もまた、彼なのだ。

「早く会いたいな」
 どこかで土産を買って、ああいや少しでも早く駆けたほうがいいだろうか。考える時間は楽しく、心躍る。
 今はまだ遠い彼を思い、利吉は山の中へと入っていった。