朝涼

TOX2パロ

2025年2月26日

「……また来たんですか」
 虫の声しかしない静かな夜に、苛立ちが混じった声が上がる。侵入がバレないわけがなく、とっくの昔に気付かれていたらしい。もちろん、姿を現すつもりでここに来たのだが、少しだけバツが悪い。
 気まずさを持ちながらそれでも姿を現すと、全身傷だらけの青年が縁側に腰掛けていた。
「こんばんは、土井先生。憎たらしいほどに月が綺麗な夜ですね」
「……こんばんは、利吉くん」
 君は、そんな嫌味な言い方する子ではなかっただろうと言いかけて、口をつぐんだ。それは、言っていいことじゃない。
「傷は大丈夫?」
 代わりに、昼間半助とこちらの利吉が付けた傷について問えば、彼は自分の隣を指差しながら頷いた。
「問題ありません。どうぞ、茶も何も出せませんが」
「手当しないの?」
「する必要はないでしょう」
「…………」
 隣に座れば、血の匂いが濃い。拭ってすらいないのだろう。
 それほどに彼はもう、疲れていて、諦めていて、同時にどこまでも足掻くように生き続けているのだ。
「昼間聞けなかったことがあって」
「なんでしょうか」
「こっちの私はどこに?」
 時歪の因子となっているのは、今、隣にいる彼だ。その彼の近くにこちらの自分がいないことへの違和感。どうしても気になってこうして忍び込んでしまった。
 半助の疑問に、青年はああ、と視線を月へと向けた。
「貴方が言う彼は死にました」
「……」
 回りくどい言い方が引っかかり無言を返すと、彼がそのまま言葉を続ける。その視線はどこまでも凪いでいた。
「記憶が戻らなかったんです」
「―― それ、は……あの子たち、を」
 それは、ドクタケでのことしか該当しないだろう。
 半助は子供たちを斬らず、土井半助に戻った。斬らないことを天鬼が決めあの男は消えた。
 けれど、あそこで記憶が戻らずかつ子供を斬っていたら――。ゾッと背筋を凍らせる半助を、どこまでも感情を見せない利吉が見ていた。
「斬ってません」
「え……」
「天鬼はあの子たちを斬らなかった。けれど、記憶も戻らなかったんです。
 今、子供を斬れば準備が終わらぬうちに忍術学園と事を構えることになる、それは被害を大きくする、と」
「――――」
「安心しましたか」
 うっすらと唇だけで笑いながら訊かれ、この安堵がどれだけ罪深いものなのかを自覚した。咄嗟に頭を下げる。
「すまない……!」
「構いませんよ。貴方の記憶が戻る世界があった。それは喜ぶことです」
 けれど、と無表情に戻った青年が続けた。

「貴方がここにいる、そのことが私はとても――憎らしい」

 それはあまりにも静かで、熱く、重たい殺意だった。
「記憶の有無など私にとっては些細なこと。貴方という存在が生きているその事実だけがあればよかった。タソガレドキを敵に回そうが、忍術学園を敵に回そうがどうでもよかった」
 この場所の深度は深く、偏差はあまりにも無い。それほどまでに、この彼はこちらの利吉と同じだったのだ。
「だから私は貴方の傍に居続けた。どこを敵に回そうとも、父上と敵対しようとも。かつて慕ってくれた忍たまたちを殺そうとも」
 私にとって貴方以上に大切なものなど無かったから。
「それは、そちらの私も同じだと断言出来ます」
「……そんなことは」
「あるんですよ。貴方が知らない……否、知ろうとしないだけ、ですかね」
 どちらでもいいですけれど、と唇を曲げて嗤う姿は自分の知る弟とはかけ離れていた。
 この青年は、半助が知らない青年だ。だが、そうではないのだと目の前の彼が否定する。
「貴方さえいればそれでいい、それがいい。それしか必要がない。
 兄として師として家族として恋人として、どんな関係であってもいい。隣にいられたらそれでいい。貴方を求める感情は、思慕も恋慕も愛も恋もあれば、嫌悪も憎悪も嫉妬も厭悪もある。
 私一人のものにならない貴方が憎らしい。
 私一人のものにならない貴方が誇らしい。
 貴方が持つ感情全てを私に向けて欲しいし、貴方の最期は私のものだ」
 すぐ横にいる半助ではなく、月を見上げたまま利吉が抑揚の少ない言葉を吐き続ける。
 それはまるで呪いのようで、同時にとても澄んだ告白のようでもあった。
「貴方との違いは記憶の有無だけだ。それ以外何も変わらない。だから、私は貴方が憎い。
 分岐がどこだったのか。貴方の記憶か。その後のことか。
 まあ興味はないのですけれど、貴方があまりにも貴方だから……記憶が戻るか戻らないかが分岐なのでしょうね」
 だからこそ憎いと月明かりから逃れるように、青年は瞼を落とした。
 
「どうして、ここが正史じゃないんだ」

 それは、血が滲む掠れた声だった。
 心優しい青年が出すべきではない、命を削った声音だった。
「私は、君に何も言えない」
「本当にどこまでも同じだ。……憎らしい」
 この分史世界の――今は、天鬼と名乗り続けているかもしれない男と、土井半助は別人だと伝えたくて発した言葉は、しかし青年をさらに傷付ける刃だったようだ。
「貴方が全く違ったら良かったのに。そうしたら、」
「そうしたら……?」
 不自然な場所で言葉を途切れさせた青年は、身に纏った殺気を消さぬまま半助の胸に人差し指を突きつけた。
「遠慮なく殺せるのに」
 上半身を倒して床に寝転がった彼は、こちらの胸に触れていた指をそのまま動かし、外を指した。
「明日、終わらせましょうとそちらの私に伝えてください」
「……判った」
 何も判ってなどいないけれど、そう答えるより他なくて立ち上がる。
 優しい言葉も、拒絶の言葉も、今の青年には届かないだろう。今の半助が何を言ったところで、こちらは絶対的有利者で――彼から見たら加害者なのだから。
「おやすみ、利吉くん」
 目を閉じた青年からの反応はなく、小さなため息をついてその場から立ち去った。

「本当にどこまでも残酷だな……」
 その呟きは月だけが聞いていた。