2025年2月28日
教科と実技を合わせた課外授業の準備があるから、と昨夜の逢瀬は短めで。更に翌日である本日は日が昇る前から起き出すこととなった。
フリーで仕事をしていると、仕事内容によって昼夜の活動時間が異なり、体内時計が狂うのはよくあることだ。放置すると体調が悪くなるため、時折時間を作ってそれを正常にする時間を設けている。この休日はもともとそれに当てるつもりだったため利吉が起きる必要はないのだが、半助を見送れないのも嫌で隣の気配に合わせるように意識を浮上させた。
「まだ寝てていいのに」
乱れた襟元を整えながら、半助が利吉を見下ろし笑う。ごろりと転がり、そんな彼の膝に頭を乗せて腰に腕を巻き付けた。
「ちょっと利吉くん、動けない」
「もう少しだけ」
二人分の体温が混ざり合っているからか、触れ合っていても違和感がなく気持ちがいい。兄の腹に顔をこすりつけると、その腹筋が笑いに揺れた。
「たまに甘えたになるなぁ」
「今日一日貴方を独り占めするつもりだったのを諦めたんですから、今の時間に堪能しておかないと」
「利吉くんは聞き分け良い子だね」
笑いながら髪を梳かれそれは気持ちが良いけれど、決して聞き分けが良いわけではないのでむっとしながら息を吸い、彼の腹に向かって思い切り息を吹きかけた。
「うひゃぁぁぁっ」
生暖かい息が気持ち悪いのか、なかなか珍しい声が半助から漏れる。それに気を良くしつつ降ってくるであろう拳から逃れるように起き上がって距離を取った。
「なんてことするんだ! 逃げるなこら!」
「油断大敵ですよお兄ちゃん」
布団の上で腕だけを伸ばし捕まえようとする半助と、その腕から逃れようとする利吉という図は、どこまでも遊びの延長だ。
子供の頃からこうして半助は遊ぶように利吉を鍛えてくれたし、それが楽しかった。だからつい仕掛けてしまう。半助も面倒くさがらずに乗ってくれるということは、利吉のすることを受け入れてくれているということだ。
「隙あり!」
腕を掴まれ、引っ張られる。大人しく腕の中に収まると、半助はそのままごろりと寝転がった。
「あー、行きたくないー……」
「珍しいですね、先生がそんなこと言うの」
胃を痛めながらも楽しそうにイキイキと先生をやっている半助は、利吉よりも良い子たちを優先するのが当然で、夜中だろうと休日だろうと子供たちのために動くことを厭わない。
それが土井半助という教員で、利吉の好きな兄だというのに。
「私だって今日を楽しみにしてたんだよ。今くらい愚痴らせて」
「……」
「なのに利吉くんはあっさり納得するし、いやそれはいいんだけど、聞き分け良いのは有り難いんだけどさあ」
でもなあとぶつぶつ口の中で独り言になっていく半助の意識をこちらに向けるため、額を合わせてから唇を重ねた。ちゅ、と音をさせて吸い離すときょとりと大きな目と視線があった。
「私だって別に納得してるわけじゃないですし、父上には文句のひとつやふたつ言いたいですけれど、子供の頃みたいにわがまま言えないでしょ」
この場所、この距離を許してくれるつよいひと。その信用を壊したくはないのだ。
頬に口付けをひとつ落とすと、ゆるりと利吉の背に腕が回った。
「このまま帰したくないって言ったら、この腕の中にずっと居てくれるんですか?」
「それは……無理だよ」
「そんな先生が好きですよ」
睦言ですら嘘がつけないことに微笑むと、生意気と額に頭突きがひとつ。
それから二人してくすくすと笑う。
「朝飯に弁当を作ってもらったんです。以前利用したあの宿の。一緒に食べましょう」
「ああ、いいね。梅干しがしょっぱくて美味しかったよね」
「きっと入ってますよ」
布が寄ってしまうのも、小袖が再び乱れてしまうのも気にせず笑いながら転がり、日が昇り切るまでの刹那を楽しむ。合間に口付け、口付けられ。ふわふわとした触れ合いは兄弟とするには重たく、恋人としては軽いけれど、今はそれだって貴重で満たされる。
「今日の利吉くんは一日ここで休息?」
「はい。明日からまた仕事です」
次の依頼はさてどれだけ時間がかかるだろう、と考えかけて慌ててやめた。今はまだ考える時ではない。
「……夜、もし時間が出来たら来ても良い?」
思考を追い出した隙間に、そんな言葉が耳に届いて思わず瞬きをひとつ。脳に意味が届くと同時に自分の腕はぎゅうと目の前の身体を抱きしめていた。
「期待はしないでねっ? いつ終わるか判らないんだから」
「ええ、はい。それでも待ってます」
喜びを隠さずに声を弾ませて返事をすると、半助の身体から力が抜けて彼の鼻先がこちらの髪に埋まった。すり、と頬が擦り付けられる。
「来られるように頑張って準備終わらせてくるよ」
「……はい」
少しだけ未来の約束は、滅多にないお誘い。
だからこそ嬉しくて、抱く腕に力が入った。