2025年3月21日
プロとしてとある城に仕えていた卒業生が亡くなったと連絡があったのは、夏が盛りの頃。伝蔵も半助も担任を受け持ったことはないけれど、半助が学園に来た頃四年生として、良き先輩として下級生に慕われていた子だった。
学園に縁があると、こうした情報が入ることはよくある。教師陣の間でだけ共有され、忍たまたちには決して伝えられない情報。だから大っぴらに悲しむことは出来ないし、弔いをすることもない。ただ、個々それぞれ心の整理をつけるだけ。
いつからか、半助と伝蔵の間では雨の降る夜、共に酒を飲むというのが弔い方法となっていた。
伝蔵が酒を調達してきて、半助が肴を持ってきて。会話はないけれど二人ともいつもより少しだけ深酒をして。雨に涙を溶かすのだ。
……しばらく雨は降らなさそうだ。
山の際を見ても雨雲になりそうなものはなく、太陽に陰りは一切見当たらない。昼には蝉が、夜には蛍が求愛を繰り返すことだろう。ならばいつものあれはまだしばらく後になる。別に晴れていてもいいのだろうけれど、何となく雨の夜というのが二人の間の不文律になっているのだ。きっと伝蔵もそのつもりだろう。
「山田先生、今日の夜少し出てきます」
だからと、起きて身支度を整える伝蔵にそれだけを伝えた。
誰が生まれようと誰が死のうと、太陽は昇るし風は通って星は煌めく。忍たまたちは今日も楽しければ笑い、嫌なことがあれば逃亡するし、居眠りをしはじめてこちらは怒ることになる。それでも昨日出来なかったことが今日出来るようになることもあるし、泣き虫が涙を流す回数が一回少なくなる日だってある。
子供たちと共に笑い、怒り、泣いて、楽しむ。
何も変わらない、愛おしい日常。
「今日は随分と積極的でしたね」
世間から隠れるように立つ薄暗い小屋に二人きり。そこは俗世から隔離されているからとても静かだ。
篭った熱気が逃げず、二人して汗みずく。それでももっと深いところで触れ合っているせいか熱い肌が触れ合うのが気持ちいい。
半助の頬に口付けを落とし、機嫌よく笑う年下の情人が離れていくのを許さず背に回した腕に力を込める。足を絡めて腰を上げると、抜けかけていたものが少しだけ中へと戻ってきた。
「利吉くん、……もう一回」
「……はい」
普段ならば言わない言葉に利吉は何か言いたそうに口を開いて、けれど疑問は口にせず頷くだけ。出して少しだけ硬さを失っているものが育つように意図的にそこを締め付けると、利吉の顔が歪む。それがいい気分で腰を揺らしながら内壁で可愛がると、若さ故にすぐに取り戻す硬さ。足を抱え上げられ、育った硬さが内壁を梳る。
「――――、」
すぼまった奥に触れると苦しくて、それが気持ちいい。触れ合う皮膚が熱を伝え合う。利吉の蟀谷から顎を伝って落ちてくる汗が半助の口元を汚す。舌を伸ばして舐めれば塩辛かった。
小屋の外では虫と蛙の鳴き声。山中は地上より少しだけ季節が早く、境界線が曖昧になる。
ずる、と引き抜かれゆっくりと戻って来る熱は、触れ合う皮膚よりもなお熱い。ぐずぐずに溶けた内壁を、こちらの弱いところを的確に突いて擦っていくそれを舐るように締め付ける。
「あつい、りきちくん。あつ……」
「水飲みますか」
気遣いに首を振って、代わりに深く唇を噛み合わせて粘膜に触れる。年下の男の体温は自分よりも熱くて、気持ちがいい。夢中で腔内を探って舌を絡めて吸うと同じように彼の舌がこちらの弱いところに触れていった。
口から転び出そうな言葉を封じるため、自分で塞いで。
けれど、触れ合う身体が熱くて、じわりと身体の奥が痺れてしまう。
「だめだ、今日、私」
自制が効かない。それを優先しないと、言わないと決めた言葉が出そうになる。それはもっと駄目だと戒めると身体が乱れていく。
「ごめん利吉くん、ごめん……君を、こんな」
寄瀬はここしか思いつかないのに、その彼が自分を弱らせていく。
「せんせい」
ゆっくりと、大きな掌が半助の心臓の上を撫でる。落ち着けとそう視線で伝えられて息を吐いた。
「私は先生に頼られて嬉しいですよ。やっと少しは貴方に心を預けてもらえるようになったのですからそれを喜ばないはずがないでしょう」
違うんだ。
「私から尋ねません。だから安心して利吉を使ってください」
そうじゃないから、苦しい。
「お兄ちゃん」
……土井先生。
彼の声に被るように脳裏へ浮かんだ笑顔は、もう二度と見えない姿。
――ああ、駄目だ。
最初は君と同い年だなと思った。
あの頃は君よりも未熟だなと見守った。
時折学年を訪ねてきて後輩に囲まれて笑っていた。
その姿を君に重ねて私は、勝手に願っていた――のに。
拷問にかかったのだと言う。
その身体は無事なところがひとつもなかったのだと。
彼の全てを否定し、尊厳を傷つけるような傷が数多刻まれていたと。
それでも彼は最後までひとつも情報を漏らさなかった。
故に彼がいた城も、学園も、守られたのだと。
助けは間に合わなかったが、屍は救出部隊全員が全力をあげて奪還したという。
だから、どうか、褒めてあげてくださいと。
変色した爪のない小指の先を前に置き、彼がいた忍部隊の隊長が頭を下げたのだ。
人の死など数え切れないほど見てきた。自ら屠った数など覚えていない。味方の忍びを幾度も見送った。敵の忍びの最後の矜持に感嘆したこともある。すぐ隣に死があることなど、判っているのに。
両手で目の前にある顔に触れる。
熱があり、呼吸をしていて、こちらに笑いかけてくるその姿に。
君と同い年の若い子だった。君よりも背が低いけれど愛嬌があって、多くの人に好かれていた。
「……生きて」
彼岸を渡った忍びに涙の送りは似合わない。
だから、これは生きている君へ。
「生きて、……、」
たった一人で仕事を請け負う君の最期を、きっと自分は知ることが出来ない。突然連絡が途切れて、探しても見つからなくて、時間をかけてゆっくりと君の不在を確認していくことになる。
それが忍びであり、覚悟しているはずのことなのに。
「……こんなの、私が一番言ってはいけないのに」
そうなる未来よりも前に。
一度でも多く。一日でも長く。
「私のところに戻ってきて」
忍びとして常に死を覚悟しているし、刺客にいつ狙われるか今でも忘れることはない。唐突に今の日常が壊れる覚悟だってしている。子供たちを守るためならば命など惜しくはない。
自分の命はどこで散ろうと問題ないと思っているその横で、年下の年若い青年がどこかで死ぬことが怖い。知らせすらなく、遺体すらなく、どこかで朽ちていく可能性が高い彼の未来を受け入れられない。
「ふ、ふふ」
矛盾に絶望する半助の耳と視界に届いたのは、笑い声と目を細めて頬を染めた幸いの表情。
思わず凝視すると、利吉が半助の腰を抱え直した。忘れかけていた繋がった場所の角度がかわり、びくりと身体を震わせるが利吉はそれ以上刺激してこなかった。
「すみません、ちょっと体勢がつらかったもので。――で、ですねお兄ちゃん」
崩した正座の形で座った利吉がにこりと笑う。
それは閨には相応しくない爽やかな笑みにも、どこまでも脂下がった蕩けた笑みにも見える表情だとそう思った。
「私は、確約出来ない約束は出来ないのです。だって、果たされない寂しさを知っているから」
淋しい少年時代を過ごした青年が、だからこそ安請け合いしない事柄。
利吉の指が半助の目尻を拭い取る。
「けれど、貴方が望むのならば」
半助の両手を取り、
「私の最期をこの腕の中で迎えさせてくださるというのなら」
指先に口付けながら青年が謳った。
「必ず果たす約束事をしましょう」
あまりのも重たい言葉を軽く言う青年に、すぐに何も返事は出来なかった。
未来を貰うどころではなく、これから先全てを縛るような約束事をしようと言うのだ。それが枷になることが判らぬはずがないのに。何があって半助があんなことを言い出したのか聞くことすらせずに。
……けれど。
本来ならば年長者として、そして教職者として、叱らなければならないのに。
「……私は、本当に」
嘘でも、そんなこと言ったらいけない。それは君の寿命を逆に縮めるものだと、プロの忍びとして超えてはいけない一線だと言わなければならないのに、一欠片もその気持ちが湧いてこないのだ。
自虐すら起こらず唇から滑り落ちる本音は、彼を苦しめるものだと判っているのに止められない。
「君の最期を、私にちょうだい」
「喜んで」
人差し指を青年の口の中にいれると、根本に歯が触れそのまま、ぐ、と噛み締められる。鈍い痛みは痕が残ったことを伝えてくる。
「ばかだね」
「知らなかったんですか?」
「知ってた」
歯型のついたその場所をうっとりとした表情で舌を這わせる利吉に悪態を付けば、深められた笑みに迎えられた。
死が遠ざかったわけではなく、むしろ確実に近くなったというのに。たったひとつの痛みが半助の心を安定させるのだから、自分という人間は酷い存在だ。
彼と同い年の忍びへの追悼よりも彼の最期を欲しがるなんて、地獄というひとつの救済に辿り着くことすら許されない鬼畜の所業。
後悔すらない自分をそっと隠して、飽くことなく半助の噛み跡に口付けている青年の反対側から同じように唇を寄せた。これが消えても心に打たれた楔は消えないだろう。
だからこそ、この罪悪感を持って生きていこうとそう、誓った。