朝涼

03:定義の置き場所

2025年4月9日
土「私の命が奪えるかい?」

 投げやりな気持ちと同時に八つ当たりだと、自覚した上での言葉だった。
 くのたまたちに、村のおなごたちに、道行く男に、忍たまたちに。……山田伝蔵どのに。多くの人に、山田利吉が望まれていることがある。どんな女を妻にするのか。いつ結婚するのか、子はいつになるのか。子はどちらに似るのか。
 きっとそれは利吉本人にも届いていて、同時に決して私に伝えることはない事柄。けれど、勝手に耳に入ってくるそれら言葉の欠片は、無遠慮に私を攻撃し傷つけていく。
 その場所はお前のものではない、早く正しい道へ戻れ、戻させろ、と。そうして勝手に傷ついて、けれど彼に会えば嬉しくて傷ついた心が癒やされて。かさぶたになった傷は外に出たらまた無理矢理剥がされる。その、繰り返し。
 どれだけ本人が自分の道を行こうとも、周りは〝当たり前〟の道を指し示す。
 細かい傷だらけ。それはもう当たり前にありすぎて、少しずつ痛みに鈍感になってきていた。けれど、傷がなくなったわけではないからふとした時に痛みを伝えてくる。
 久方ぶりに二人きりの時間で、熱を分け合って、満たされて。
 だからこそ冷えていく身体と共に、痛みをふと実感してしまった。気付かないフリをしようとするのに、そうはさせまいとばかりに脳内にこだまする様々な声。きっと美人美形の子が生まれる、仕事熱心で家に帰らないかもしれない、いやいや案外子煩悩になるかも、奥様になる人は幸せね。どんな人が好みなのかしら。――ねえ、土井先生はご存知?
 ……ああ、最悪なことに、くそったれな性格をしている、自分よりも身体がデカくて可愛げとは正反対のズボラな男に夢中だよ。
 と、今脳内で言ったところで届くわけがない。
 自分の思考に自分で傷ついて、身体が冷えていくのと合わせて投げやりな気持ちになって。
 だから、思わず口から本音がこぼれ落ちた。

「ねえ、君は。……私の命が奪えるかい?」

 言った端から後悔する。ああ、死んでしまいたい。

 ●

 手拭いを絞っていた青年は、こちらに一度視線を振った後微かに首を傾げる。そしてせっかく絞った布を桶に戻して、無手のまま躙り寄ってきた。
「死にたいんですか?」
「言わんでもいいことを言ってやらかした感があるから、死んでしまいたい気持ちではある」
 何もかもが面倒になって本音を隠すことなく口にすると、青年の掌が腹に触れた。互いの汗でぺたりと張り付く感触は、しかし体温のお陰で不快さが少ない。その掌は、私の腹筋を往復し臍を擽る。くすぐったくて身を捩ると素直にそこから離れていった。
「何故死にたいのか聞いても?」
 ふざけた返答に取り合わず、利吉が重ねて問いかけてくる。それにすぐに答えず、腕を床について上半身だけを起こし、青年の姿を視界に収めた。私よりは線が細いけれど、忍びらしくしなやかな筋肉を纏う身体。長い手足。見かけよりも力持ちで、体力がある。何せ一貫もある火縄銃を担いで動き回り、その動線をぶれずに撃つことの出来る名手なのだ。筋肉や体幹がなければならない。母親似の造形、父親似の目元。誰もが羨む美丈夫。ああ、傷が痛い。痛いから考えるのも誤魔化すのも億劫で、素直に口を開いた。
「結婚しろって言われるでしょ」
「言われますね」
 否定し、嘘をつかれないことに微かに笑う。それは青年の誠意であり、バカ真面目なところでもある。誤魔化したところで意味などないからだろうと判っているのに、心がささくれ立っているせいで何もかもが気に入らない。
「利吉くんの好みは知っているのか、好いている相手はいるのか、子供は欲しがっているのか、結婚はいつかなのか。私はそんな言葉に毎回毎回嘘をついて、そのたびに嫌になる。君に抱かれた跡を隠して何も知らないふりをして、現実を突きつけられるたびに……」
「死にたくなる」
 言葉を継いだ青年に頷き、腕から力を抜いて床に逆戻り。月明かりに沈む木目は、ほとんど見えない。あれをぼんやり見ていると頭が空っぽになって好きなのになと考えていたら、突然両足を抱え上げられた。
「何してんの」
「この奥」
 まだ熱の残滓が残っているあわいに指が這う。指が奥へと潜り込み、閉じている口に触れそのまま中へと入ってきた。水分の少ない指は、しかし先程までもっと太いものを咥えこんでいたためか、中の潤いを手助けにほとんど抵抗なく奥まで潜り込んでくる。ゆっくりと指が前後するたび、小さな水音がするのは、中に青年が吐き出したものが入っているからだ。どこにも吸収されない、掻き出される運命の液体は、持ち主の指によってかき混ぜられる。
「無駄撃ちとはよく言ったものですよね」
「……ぅ、ぁ」
 この指に、もっと太い陰茎に擦られることで得られる快楽を教え込まされた隘路が、その指によって割り開かれ指の腹で擦られる。それだけで腹が震え、湧き上がってくる悦を逃がすことが出来ず、身を捩った。けれど今度は先程と違って指は離れていかず、むしろ更に奥を探られる。
 どろりと落ちて壁を伝う液体の感触に目を見開いた。
「私も貴方も、お互いを殺して、毎回死んでるようなものだ」
 女の膣の奥に出して子を成すそのためのものを、男の不浄穴に突っ込んで出して。新たな生命を生み出すための行為を無駄にしているのだから、確かにひとつの殺人とも言える。
「不安に思っているのは先生だけじゃないですよ」
「え? ……ァ、あ、だめ、つよ……ッ」
 ぽつりと呟かれた言葉に疑問を返すが、利吉はそれに答えず、前立腺の前後を強く押して内部をかき混ぜる。つい先程まで使っていたそこは簡単に再熱され、身体が気持ちよさに支配されていった。話を聞きたいのに、まるで聞くなと言われているような利吉の態度に混乱し、歯を食いしばり悦に流されないように抵抗するが、私の弱いところなど知り尽くしているとばかりに、気持ちがいいところばかり指が触れる。前立腺、口の淵、会陰部分。与えられる刺激に立ち上がる陰茎を、利吉の指が包み込みゆっくりと上下に擦られた。
「先生は子供好きですから、いつか女と結婚して子が欲しいと言い出すのではないかと」
「だめ、だ、……きもち、い、ぁ……あ、ん」
「だから私は、毎回、貴方の未来を殺している」
「あ、ァ――」
 男として精を出す快楽と、精を出さずに感覚だけで達する快楽と。同時に与えられると頭が真っ白になり、怖くなる。腕を伸ばして利吉の手首を握りしめ爪を立てて、そうしてやっと現実を知るのだ。そんな私に対して、青年はふと笑う。
 吐き出される白濁と、身体の中から脳みそまで支配され爆発する気持ちよさ。震える呼吸を吐き出しながら、青年の腕を伝うように腕を伸ばし、その背中を捕まえて引き寄せた。両手を空けた利吉も、同じようにこちらの背を抱きしめた。
 強く、背骨が軋むほど強く抱きしめあっても、このふたつの身体は綺麗に重ならない。
「好きです」
 ぐしゃりと髪の毛を掴まれ、その指先がもどかしく私の背中を引っ掻く。癇癪を起こす子供のように。
「貴方が好きで、好きでどうしたらいいのか判らない。誰にも、貴方が将来抱く女にも、貴方の血が入っている子にも、渡したくない」
 それが無理だと判っているけれど、と青年が言う。
「ごめんなさい、手放せないのは私の方だ。……先生が傷ついていると知って喜んでいる。今も、貴方の未来をひとつ殺したことを楽しんでいる」
「わざと放置した?」
「…………」
 無言は肯定。この子は本当に、どこまでも私に嘘が付けない。そこが可愛くて憎たらしい。
 息を吐き彼と同じように片手で髪ごと背中を抱きしめ、利き手は外して彼の顔の前に。青年のきれいな額に、親指で人差し指と中指を弾いて思い切りぶつけた。
「い――ッ!」
 ビシ、と音がして利吉の額に赤く跡が残る。痛みで逃げようとする身体を左腕で引き寄せ、逃さない。逃がすものか。
 腕の中で痛みに身悶える青年を見て溜飲を下げた。
「二度とするなよ」
「はい……」
 かなり痛かったのだろう、目尻に浮かんだ涙を拭ってやりながら釘を差せば、素直に頷きが返ってくる。だから赤くなった場所を撫でてやった。
「互いに不安に思う関係なら離れたほうが楽になるよね」
 ぽつりと呟けば、私を抱く腕に力が入り、無言で幾度も首が振られる。それだけは嫌だと、気配が言う。
「なら、ねえ利吉くん。今後どうしていくのかちゃんと話そう。私を使って自分勝手なことしないで。そんな不安から来る行動、つらくなるだけでしょう」
 恋人にそんな風に勝手に不安の先に押し込められて、本来ならもっと怒るべきだろうに。けれど、所詮歪んだもの同士なのだ。されたことの意味を知って怒りはあれど、愛されていることを知っているから嫌いになれないし、こちらだって、他人の言葉に傷つくくらいにこの青年のことが好きなのだから。
 重ならない身体を抱きしめて。
 溶けない不安を口付けで薄めて。
 好きだと口にすることが間違っているとは思いたくない。
 だから、と。
「君が私の未来を殺すことで不安が薄れるのならば、私にも何か、方法を」
 冷えて死んでいく未来の形は、彼にとって安心の材料。
 ならば、私が安心する形はなんだろうと考えながらも、身体はすでに動いていた。
 人の急所である首。喉仏の少し横。顔を寄せ口を開く。
「……いい?」
「どうぞ」
 促しと共に私の後頭部に彼の掌が広がり、軽く押される。
 その了承の合図を持って、薄い皮膚だけを歯に引っ掛けて思い切り食い破った。
「――――ッ」
 ぶちりと音がして溢れる血を舐め取って。これは暫く目立つ傷になるだろうと、そう冷静に判断した。
 刃物傷ではなく、明らかに誰かに噛みつかれたとわかる傷口は、彼の近くに寄れる人間の存在を知らしめる。
 言わずともこれで知れ渡るだろうと、そう思えば満足があった。
「隠しちゃ駄目だよ」
「はい。……治ったらまた噛んでくれますか」
「やだよ面倒くさい。一度だけでいいだろ」
 効果が広がり、かつ利吉がこの問題を放置しなければ私に届く噂も、直接届けられる善意も減るだろう。こちらとしてはそれで十分だろうと拒否すると、あからさまにいじける青年。とはいえ、何度もすることでもないし。
「次からは別の方法考えておくから」
 本来私が慰められるようなことだったはずなのに、何故逆になっているんだろうと思いながらも、機嫌取りに目の前の唇に熱を重ねた。