朝涼

04:不変を誓うには重すぎる

2025年5月1日
「幸せすぎて怖い」

まだ安定していない、傷口ともいえる場所に利吉が慎重にピアスポストを刺していく。異物が体内を通っていく感覚は不思議で、少しだけ不快感。目を閉じてその数秒を耐えているとすぐにキャッチが耳裏に装着されて、温かな指が離れた。
「どう?」
「やっぱり三ミリより五ミリにして正解でした」
 目を開けて、目の前にいる恋人に出来を尋ねると満足そうな笑顔が返ってくる。
 それを見ながら右耳に触れると、今までにはなかった重さがそこにはある。K18の土台の上に埋め込まれるダイヤモンド一粒。たったそれだけのシンプルなピアスは、一ヶ月前にあった利吉の誕生日に、利吉から半助に贈られたものだ。彼の誕生日だというのに。
 ――半助さんがアクセサリーに興味ないことは判っています。ですけど、私へのプレゼントだと思って揃いのピアスをしてくれませんか。
 一ヶ月前そう言って差し出されたものは、明らかに安物ではないとアクセサリーに疎い半助だって判るものだった。こんな高価にしか見えないもの、例え自分の誕生日だとしても貰えない、と固辞した半助に利吉は苦く笑った。
 ――去年の半助さんの誕生日に贈ろうと思って、けれどそう言われるだろうと思ったら出来なくて、ずっと持っていたものなので。……情けないんですけれど。
 きちんとケースに鎮座している、輝かしい装飾品。いくら門外漢であっても嵌まっている宝石がダイヤモンドだということくらいは判る。石のカットの仕方と、透明だからという判断でしかないけれど、間違っていないはずだ。光の反射によって、影がカラフルに光る時があるのだから。
 利吉の誕生日に半助が貰うのはおかしいのだが、それがプレゼントになるのだと言われてしまえば、年下の恋人からもたらされる我儘に頷いてしまった。
 用意周到に準備されていたピアッサーで、互いの肌に針を立てる。
 
 その行為に利吉の執着を感じ取り、そしてそれを喜ぶ自分を見つけて最後の観念を、した。――のが、ひと月前。
 穴を安定させるためのサージカルステンレスピアスをしながらの日常は、不思議なものだった。
 同僚や生徒からは何があったのかと聞かれて返事に困ったし、毎日傷の消毒を楽しそうにする利吉は可愛いし、傷口がじくりと痛まなくとも存在を意識し続けていた。
 朝起きて鏡を見て、顔を洗う時に指先が触れ、服を着る時に腕や布が触れ、職場たる学校では毎日追求され、利吉と話をしていると同じものが彼の耳朶にも付いているのを見て、寝る時に下敷きにして痛みを感じて。
 利吉がいてもいなくても、人生で初めて異物を自らの意思で体内に刺していることへの微かな高揚感も相俟って、毎日新鮮な気持ちだった。

 一ヶ月。傷口はまだ安定していないが、そろそろサージカルステンレスでなくても良いだろうと初めてダイヤモンドのピアスに付け替えた。
 サージカルステンレスよりも、確かな重み。それは、利吉から与えられる愛情の一部。
 
「私はいま、幸せすぎて怖いです」

 半助の耳朶に触れ、うっとりと利吉が呟く。耳輪からゆっくりと表面を撫でるように指が降りてくる。ピアスそのものには触れず、その周りを指の腹で愛撫するそのことに、首筋にぞくりと悦が走った。
 お互いの肌に、針を立てる。他人を、合法的に傷付ける免罪符にもなり得る行動。
 それは、輪っかを指に嵌めるよりも確かに記憶に残ることだろう。この先何があろうとも、あの日のことは忘れない、そんな予感がある。
 恋人によって傷付けられ、恋人を傷付けて、そこに埋められるモース硬度十の輝き。
 そのことを喜ぶ利吉も、……半助も、この世界ではつまはじきもので、世間一般で言うところの普通ではない。女と結婚して子を成す、という普通を選ばなかったふたりぼっち。どこにでもある、けれど誰もが手に入れられるわけではない、そんな幸福のモデルケースをそれぞれ手放してお互いの手を取った。
 だから、石がはまっただけの輪っかよりも、体内に潜り込むK18のほうが余程お似合いなのだと、それに気付いた一ヶ月だった。
 利吉の左耳に指を伸ばして、無言でサージカルステンレスピアスを取り払う。そうして、されたことをなぞるようにもう一つのダイヤモンドを同じように、彼の体内へと埋め込み、貫通させた。

 一ヶ月前、半助自らここに針を立てた。
 ピアッサーの作業は一瞬で、けれど衝撃は強かった。それなりに強く押さなければいけなくて、押せばバチンと大きな音がして。恐る恐るピアッサーをずらしたら、しっかりと穴が開いていた。
 恋人の身体に傷を負わせた、その瞬間の高揚を半助は一生忘れないだろう。
 自分も同じように針を立てられて、異物と傷口のためか、その日は耳朶が熱くて。その熱が全身に回ったのかその日は酷く盛り上がったものだ。利吉は執拗に耳朶を舐めて、けれど最後の理性で傷口には触れなかった。半助もことある事に利吉の耳に触れた記憶がある。最後の方は、記憶が曖昧になるほどの一夜だった。
 あの時と同じくらいに、今、高揚している。利吉の瞳にも熱が篭っていて同じ気持ちなのだと判った。
 だからこそ焦らすように、首筋から耳朶につうと指を這わせて、キャッチで固定されたダイヤモンドをゆるりと撫でる。耳の凹凸を確かめるように触れて、最後に柔らかな髪の毛を彼の耳に掛けたところで、顎を掴まれ熱い舌が咥内へと潜り込んできた。
 ああ、この熱。これが自分を狂わせ離さない。
 最初から無遠慮に舌を絡ませて、唾液をかき混ぜて。口の端から、それが流れるのも気にせずに啜り合う。
「私も、……幸せすぎて、怖い」
 呼吸の合間に伝えるのは、未来のこと。
「もう、君の一部を貰ったのだから、返せない」
「返品は受け付けていませんし、私も……絶対に返さない」
 他人の身体に傷をつけるという行為。一生物の傷を、互いに負う重さ。
 執着を喜ぶ自分は歪んでいる。
 けれど、法的な保証のない関係でしかない自分たちには、その重さが必要なのだから。