朝涼

05:濃く咲くは 想いの強さ 八重桜

2025年5月2日
利「綺麗な桜の下には、死体が埋まっているって…よく言いますよね」

 教師の役割は学園に勤めることではあるが、それでも園外忍務が皆無なわけではない。上級生――特に六年生と手の空いている教師陣で請け負う忍務は、諜報が一番多く、次点で撹乱。
 六年生の引率をしたほうが比較的楽なのだが、今回、半助に与えられた諜報忍務は一人でのものだった。一人だと全てを自分でこなさなければならないということで、つまりはサボれないということだ。
 動けるのが自分だけだと決まっているのならばやらねばなるまい――そう決意しながら現地に飛んでみれば、そこには偶然、別の仕事終わりだという山田利吉がいた。これ幸いとばかりに勝手に彼を巻き込み、諜報活動に勤しみ。指定されていた日時よりも一日早く終わることが出来た。さすが売れっ子フリー忍者と褒めると、苦笑が返ってきたのだった。

「時間があるのなら、少しお付き合いください」
 学園の経費なのだからと、個室のある宿に泊まり、次の日。後は帰るだけという段階で、利吉がそう言いながら山へと入っていくのを半助は着いていった。
 木から木へと泳ぐように渡る青年は、もうどこからどう見ても立派な忍びで。幼い頃、手裏剣が真っ直ぐ打てないと泣いた過去が懐かしい。火縄銃は大人顔負けで、山育ちだからか木々を渡るのも上手かった。かわりに、手裏剣を打つことや、刀での斬り合いが苦手で、よく泣いていた。負けず嫌いで幾度も挑戦し、一歩ずつ確実に強くなっていく姿を見続けた一年間。
 少年は学園に通わず、外に師を求めたため、そこから暫くは時折顔を合わせるだけだった。けれど、時折だからこそ着実に強くなっているのが判ったものだ。
 元服後に独り立ちをして、少しずつ実績を重ねて。無理をしては父や半助に怒られて。数年で売れっ子にまでなった。
 前を行く背中は、とても大きい。
 ――眩しくて、愛おしくて、自慢の……。
「先生」
 前を行く大切な存在が立ち止まり、振り向いて笑う。
 朝の山は静謐で、空気も澄んでいる。陽の光の中にいる青年は、闇に溶ける忍者には見えない。眩しさに目を細めながら隣に並ぶと、利吉は視線と顔の動きで半助を誘導した。
「わ、あ……!」
 顔を向けた、その先にあったのは、桃色の洪水だった。
 その一面にだけ固まっているのは、今の時期に咲く花たち。花見に賑わうその主役。
「八重桜かぁ……こんな所にも咲いているものなんだね」
 花びらが重なり合う花弁が、色鮮やかに。
 温められた空気と、まだ濡れたままの朝露の中で咲き誇る。
「ちょうど忍務の時に見つけまして。独り占めするのは勿体ないなあと思っていたところに、土井先生とお会い出来たものですから」
「ご相伴に預かれたんだ」
「弁当も団子もありませんけれど」
「いいよいいよ、この景色だけで十分」
 この景色を、たまたま近くにいただけの半助に見せようと思ってくれた、そのこと込みで嬉しいのだが、その本音は心に隠したまま、笑う。
 大切な弟で、家族で。そして半助にとっては地獄から救いあげてくれた、たったひとつの光。大切で、大事で、幸いを願うなによりの存在。
 忍びが天職なのかもしれないが、どうか誰にも害されることがないと良いと、常に思っている。怪我をせず、元気な姿を見せて欲しい、と。
「……綺麗だね」
 一時期、半助は何を見ても心が動くことがなかった。
 花を見て、日の出を見て、輝く川を見て、しんしんと降る雪を見て美しいという感情を思い出すことが出来たのは、利吉のお陰だ。小さな手でこちらを誘いながら氷ノ山の様々な場所に赴き、あれが綺麗だ、これは美しいのだと教えてくれた。その全てを、半助は覚えている。利吉の姿と共に。
 その記憶と重ねながら目の前に広がる桃色を見ていると、横から視線を感じた。その犯人を見ると、利吉は目を細めながら半助を見ていた。
 どうしたのだろうと思っていると、利吉が口を開いた。
「綺麗な桜の下には、死体が埋まっているって……よく言いますよね」
「…………」
 確かに、そういう事はある。桜の花びらの桃色は、人間の血を吸ったからだ、と。
 しかし、何故そんなことを今言うのだろうか。この朝の静謐な空気の中には相応しくない話題で、困惑が先立った。
「一人で忍務をしていると、ふとした時に考えるんです。空想……というか、妄想というか」
 半助の困惑を感じ取っているだろうに、話題を続けながら視線を切って八重桜へとずらした利吉は、静かに口を開く。
「桜の下でわざわざ命を絶つのは……人に見付けてほしいからなのかな、と」
「――……」
「桜は、人の想いを栄養にして咲くのかな、とか。あの花びらに込められている想いは、生きている人に楽しんでもらえてやっと成仏するのかな、とか」
 それなら、と小さく呟いた利吉は、しかし続きを口にせずに笑って半助に視線を戻した。
「ってことを、この場所を見つけた時にも思いまして。先生はどう思います?」
 がらりと空気を変えて笑う利吉に、本音を隠されたということだけは判ったが、それ以上は判らない。青年は、この桜を見ながら一人でどんな想いを抱いたのだろうか。
「想いの強さが色の濃さに……表れたら、それは桜の優しさなのだろうね」
「――そう、ですね」
 もし、自分が桜の下で死んだら、最期に思うのは利吉のことだろう。
 私の光。私の救い。
 この想いは、桜の花びらを濃く咲かせるだろう。
「私が……死んだら」
「聞きたくないなあ、縁起でもない」
 自分の死は想像出来ても、利吉が死ぬ時のことなど考えたくもないと顔を顰めると、利吉は苦笑してパタリと手を振った。世間話なのだと、その表情が言う。利吉は、半助の想いを知らないのだから、温度差は仕方がない。
「私が桜の下で死んだら、土井先生がすぐに私だと判る色の花を咲かせますよ」
「はは、何それ」
「本気ですよ。だから、その時には弁当でも持って花見を楽しんでくださいね」
 すぐ判る色だなんて、大した自信だ。
 だが、それは利吉であり子供の頃からよく見る悪戯っ子のような表情だったから、利吉なりの落ちかけた空気を変えようとした結果なのだろう。そう思えば無碍にするのも悪くて、笑みを浮かべて口を開いた。
「そこまで自信満々なら、花見弁当持って探してあげるよ」
「はい、ぜひ」
 そんな日、こなければいい。
 桜の下で命を落とすということは、ひとりぼっちで死ぬということ。
 ひとりぼっちということは、忍務が失敗したということ。
 つらくて、痛くて、暗い。そんな最期など、利吉には迎えてほしくない。
 そんな本音を隠して、笑う。なんてことない軽口として、朝露に紛れさせて笑う。
 どうか、彼の命と想いで咲き誇る八重桜が現れませんようにとそう心の中で願いながら、利吉と笑いあった。