朝涼

008:闇

 ふと目が覚めた先は、まだ暗かった。枕元の時計を見ると、午前三時半。起きるには少々早すぎる。しかし眠気は残滓が少々残る程度で、きれいに去ってしまったため、長谷川は起き上がって息を吐いた。
 ……歳を取ると眠れなくなるってのは本当だな。
 眠るのにも体力が必要、とそういうことだ。その体力がなくなると、今度は起きていられなくなるのだろうけれど。ここからはもう下っていくばかりと思い、頭を振った。考えても仕方のないことだ。
 長谷川のベッドを半分占領して眠る年下の恋人は、長谷川が動いても起きる気配がない。深くゆっくりとした呼吸を二呼吸数えてからベッドを降りた。
 用を足し、水分補給を行うと、眠気の残滓もすでに無い。
 リビングの窓により、カーテンを少し開けると、マンションの外灯が青白く世界を照らしていた。
 ……新月で、いつもより暗い。
 とはいえ、東京は常に明るい街だ。星も見えず、そらは遠い。それでもなんとなくいつもよりも暗く感じるのだから、太陽の光と反射はそれだけ強いものなのだろう。
 夏至も過ぎ、太陽が降りて六時間以上も経てば熱も冷める。冷房に頼らずとも涼しくなっているのだが、暑がりの片桐はまだ冷房を付けたがる。サーキュレーターで十分だろと言っても、布団と自分の身体が触れているところに熱が溜まるのが嫌なのだという。
 暑さで寝れず、寝不足になるくらいならと、長谷川自身は上掛けを追加して冷房を付けて眠ることが、最近の常になっている。今も、人工の風によって少しだけ寒い。眠っている時は、片桐の熱で以外と暖かく、快適だったりするのだが。
 ……これ言うと絶対調子乗るから言わないけど。
 じゃあくっついて寝ましょうか、なんて言われた日には面倒だ。加減をしない男は、平日だろうと長谷川に伸し掛かってくる。平日にお互いの家に寄ることがそう多いわけではないが──なにせそれぞれ仕事が忙しい──、たまにその状態になると、当然とばかりに手を出される。こちらとしては、次の日も仕事で、腰や全身がだるい状態で仕事をしたくないというのに。大丈夫大丈夫と、何の根拠もなく言ってくるのに腹が立つ。
 寝室に戻って、片桐の隣に寝転ぶ。
 薄暗い部屋の中、それでも外からの微かな明かりで完全な闇にはならず、部屋に陰影を付けている。
 片桐の眠りはいつも深く、長谷川が夜中に起きても釣られて目を覚ましたことは今まで一度もない。先に寝るし、後に起きるし、遠慮はないし、態度はでかいし。話がズレた。いやズレてないのか。どっちだ。
「寝ててもきれいな顔してるよなぁ」
 ぽつりと落とす声は、静かな空気に溶けて消える。
 美形は何をしていても美形ということだ。羨ましいという感情すら浮かばないほどに、整った顔。
 ……スカウトとか、あったんだろうなぁ。
 今度ジムで片桐の幼馴染に会ったら聞いてみようかとそんなことを思いながら、眠る片桐を見る。
 たまにこうして、寝顔を眺めていることは、長谷川だけの秘密だ。このことについて言及されたことはないから、バレていないのだろう。
 視線が合うと今でも少し気恥ずかしいし、けれど見たくないわけでは決して無い。寝ている片桐を眺めるくらいがちょうどいい。
 減るもんじゃないし、いくらでも見ていいですよ、と片桐なら言いそうだが、そういうことじゃない。じゃあどういうことだと聞かれると答えに詰まるのだが。
 片桐の顔に惚れているわけではないとはいえ、それでもこの顔を見て何も思わないわけでもなく。眺めているだけで満足感が得られる顔面というのも凄いものだ。
 そんな状態を独り占めしている──その優越感、は、正直ある。片桐にも悟らせない本音は、つまり独占欲だ。正しくありたいと思ってはいるが、生憎と聖人君子ではないので、欲は捨てられない。いい大人が恥ずかしいという気持ちと、この感情がつまりは長谷川の気持ちが片桐にちゃんと向いている証拠でもあるわけで、複雑だが否定出来ないのだ。
 こうして二人きりで、けれど一人で考える時間に思う。
 ちゃんと、恋愛をしている自分自身が気恥ずかしくて、同時に今までとは百八十度違う恋愛にこれからも苦労しそうだ、と。
 それでもいいかと思うくらいに、こうやって片桐を独占する時間に幸福を感じていることは、まだ長谷川だけの秘密にしている。

の秘事