「あー疲れた」
普段スーツで動いているため、制服を着るだけで肩がこる。数年前はずっと制服だったというのに、人間楽に慣れるのは早い。ぐ、と背中に力を入れたあとに息を吐くと気持ちがいい。
「こういう時に限って内偵やら事件が入ってないって運が悪ぃよな」
「警察官としてギリギリの発言ですよ、先輩」
香川の言葉に、うっせと返しておく。誰だって面倒は避けたいだろう。
「サボる口実がねえから出るしかねえし」
「そっちは論外として、……と、すみません」
すれ違う人と肩がぶつかったのか、香川が会話を途切れさせ、しかしすぐにこちらを見上げた。
「先輩って、意外なことに遅刻ってないですよね」
サボることはよくあるのに、という言外の言葉が聞こえてきたが、耳に届かなかったので無視。
「めんどくせえだろ」
「ああなるほど……」
故に己は、聞こえた声にだけ言葉を返すと、香川もそれにちゃんと乗ってくる。このあたりはお互い様というか、空気の読み合いだ。なあなあにしておきたい。
人でごった返す中、左に森下、右は香川に挟まれながら、丸ノ内署を目指して歩きながらの会話。
「矢島さん報告書のやり直しは多いのに、訓告はないですもんね」
「お前らなぁ」
容赦のない森下の言葉にため息をつく。ちゃんと仕事はしている。
ただ、常に全力でないというだけで、全力を出すときには出す。出さない時は出さないとメリハリをつけているだけだ。
後輩二人にからかわれるのは何時ものことで、いちいち本気で食ってかかったりはしないが、後で香川にだけは一発お見舞いしてやると考えていると、ふと前方と視線があった。
ちょうど、矢島の真正面。無意識に視界に入る階級章は金色で、少しだけ気配を固くすると、両隣もそんな矢島の気配を敏感に感じ取って背筋を伸ばした。
わざわざ止まってきっちりと、という空気でもないため、歩きながら敬礼をすると、同じく返される。
歳は、矢島と同じか少し上──だろうか。あいにくとキャリア組に興味はないし普通に仕事をしているとほとんど関わりもなく、名前も存在知らない。ただ、一目でエリートなのだと判る出で立ち。そして何より、
「いま、今の方すっごく格好良かったですね……!」
すれ違ってから、森下が小声で騒ぐ。同意したくないが、同意するしかないくらいの美形だった。
「美形ってああいうのいいんでしょうねぇ、ねえ先輩」
「喧嘩売ってんのか香川」
男の美形は性格が悪いに決まっている。幼馴染の野郎とか野郎とか野郎とか思うに絶対にそうだ。つまり、今すれ違った奴も性格が悪いはずだ。そうに違いない。
「n=1を絶対にしないでくださいよ先輩」
過去にそれを香川に言ったらそう言って笑われた。だが、顔も良くて性格もいいなんて、どこの聖人か。絶対に何か欠点があるはずだ、……と思いたい。
考える矢島の背中側から、ふと、呼ばれた。
何か声が聞こえたわけではない。ただ、風が背後から吹き、いつもなら気にならないそれが響き、無意識に背後を見た。
その視線の先で、先程すれ違った美形がこちらを見ていた。
まさか、こちらの会話が聞こえていたのだろうか、と思ったが怒りの気配は感じられず、かつ向こうも驚いている。矢島が振り返ったのが信じられない、という印象を抱く驚き方。
一歩分もない微かな時間。
確かに矢島は美形のエリートキャリアと視線を合わせ──男と見つめあう趣味はないと、会釈で視線を切って顔を戻した。
何故矢島を見ていたのかは知らないが、どうせもう会うことはないだろうし、気にすることもないだろうと、矢島は署に戻る頃にはこの出来事を忘れてしまった。
風に呼ばれた