朝涼

015:羽

 どうしていいか判らない、ということが黒崎といるとよくある。たまにでなく、よくあるのだ。地域性の違いかと思ったこともあるが、宇佐美相手には起きないのだから、違うはずだ。
 だからつまり、黒崎の特性。……違う、性格だろう。
「あの、黒崎さん」
 酒を入れずにそういうこと、をするのはどうしたって恥ずかしい。酒の勢いという言い訳が効かないからだ。その言い訳はもういらないと判っていても、あればそれだけ自分の安堵に繋がる。防御は大切。
 とはいえ、一緒に暮らし始めて一ヶ月。黒崎は白石が酒を飲んでから、ということを阻止するようになっている。
 別に忘れるほど酔っ払うわけではなく、景気付けというか、初動を得たいというだけなのだが、「駄目」と言い、冷蔵庫に行くより前に腕を取られてしまう。ならば、黒崎が見ていないところで一杯――と、何故かよく判らない状態になっている。
 今のところ勝敗は四割。負け越している。
 ……いやいや、勝ち負けちゃうけど。
 恥ずかしいからというこちらの理由を、黒崎は真正面から受け止めてはくれる。ただ、聞き入れてはくれない。
 その上での今だ。
 慣れないのなら、慣れたらいい。と、そんな理屈で現在白石は黒崎の足の間に収まっている。背後の黒崎の体温と気配、視界には彼の足。
 左腕が腹の上にゆるく置かれており、身体を離すことが出来ない。離れようとすると押し止められるのだ。
 さらに、背後の黒崎は右手で白石の髪を弄ったり、首や鎖骨までを撫でてくる。爪先で軽く引っ掻かれると、それだけで肌が粟立つ。
 触れる指は優しく、けれど。
「……、っ、……ぅ」
 擽ったくて鈍い汗が出る。
 いやちょっとこれは、と自分に否定を入れながら逃げを打つ身体は、黒崎によって引き戻されるという塩梅で、どうしようもない。
「ホッジ君は人見知りだな」
「白石です。いや、そんなことは……」
 ない、と言いながら上半身を少し前に倒すが、黒崎の左腕が胸に当てられ戻される。同時に、右肩に黒崎の顎が乗せられた。
 ……ち、ちかっ!
 色々とキャパオーバーで、自分の視界が狭まっている。黒崎の体温と気配に包まれて、それより外に気が向かない。
「ち、近いです」
「白石君が慣れてくれるため」
「う……」
 他人とこんなに近いということが実質初めてで、しかもそれが好きな人と来たら逆に緊張するものじゃないのだろうか。世の恋人達はこんな距離にいるのが普通なのだろうか。統計を知りたい。
 思考を飛ばそうとしても、黒崎の気配が近すぎて上手くいかない。
 白石の肌を撫で、時折うなじに口付けがなされる。
「く、黒崎さんがこないなキャラやって、知らなかったです」
「……俺も知らなかった」
 けど、とこちらの顎の下をゆるりと愛撫する指は止まらない。
「好きな人には触れたいと思うのは、当たり前の感情だろう?」
 言葉には熱が籠もっていて、それはつまり黒崎も照れがあるということだ。
 その事実に更に体温を上げると、黒崎の指が額に当てられた。
「汗がすごい」
「それは、まあ……」
 うなじの髪を持ち上げられると、風が通って涼しさを感じるほどに、熱を持っている。

「髪を括るもの、持ってるか?」
「え? あ、はい」
 突然の問いかけに疑問を持ちながら、ポケットからゴムを取り出し黒崎に渡した。
「うん」
 ゴムを受け取った黒崎の小さな頷きのあと、髪が少し引っ張られた。
 つむじから順番に頭皮に沿うように指が通り、うなじにかかる後れ毛やもみあげも丁寧に掬われていく。
 不器用で、けれど丁寧。たまに、小さく疑問の唸りが入るのが面白い。
 けれど白石はあえて何も言わずに、黒崎に全てを任せた。
 ほとんど不精で伸びたようなもので、丁寧な手入れも、括る時だって邪魔にならないようにと雑にしている。それを知らない黒崎は、白石の髪を丁寧にまとめていくのだ。
「母が、今は短いけれど昔は長くて……さっとひとまとめにするのが子供ながらにすごい技術だと思ったけれど」
 ゴムを左右にねじりながら、締めていく。その最中にある黒崎の言葉に耳を傾けた。
「実際にやってみると、やはり難しい」
 言い終わりと同時に、両手が髪から離された。
 うなじの少し上でひとつに纏められた髪。ゴムが少し緩くて外れそうだが、それは口にせず、根本から毛先を指で撫で、背後を振り返った。
「出来は何点ですか?」
「……十点」
 シビアな点数に、肩を震わせ笑う。
「なら百点になるまで、……また、お願いします」
「勉強しておく」
 ただ抱きしめられるより、何か目的があったほうが白石の気も楽だから、と提案すると、黒崎は至極真面目に頷いた。

羽繕いのよう