朝涼

021:生

 さて、誰かと共にいたいと心から思ったことが三十年の人生の中、一度でもあっただろうか。
 先程まで一緒だったら面倒を押し付け、斉藤を困らせようと下手な画策を行う頭の悪い立場だけならば上席になる男に、結婚していないことに対して嫌味を言われ、ついでに――実情は知ったことではないが――奥方自慢をされたことが、脳の片隅に残っていたがための、この自問自答。
 自問は、即座にいなを出し同時にそれを否定する。無くて、けれど有る。否定と肯定の間に浮かぶ一つの姿に、斉藤は数秒、目を伏せた。
 馬鹿らしい、と一蹴出来ない存在を自然と受け止めている自分には苦笑し、思考を転がした。

 向こう見ずなところと、警察官として後付けされた冷静さ。
 正義と称される感情と、力と暴力で解決しようとする悪どさ。
 義理を通す清廉さと、我欲を押し通すずる賢さ。
 躾されているのに、従順ではない。

 どちらの側面も持っているからこそ面白く、そして一筋縄ではいかない。
 そんな犬は、さて何をしているのかと思い立ち慣れた操作でひとつの番号を繋ぐ。
「……はい」
 数コールの後、いつも警戒強く発音するのを面白く思っていることを、いつか言ってやろうとは思っているがまだ言っていない。その時はどんな反応をするだろうか。
「何してる」
「何って、……部屋の掃除と洗濯」
 怪訝そうな雰囲気を隠しもせず、それでも答える電波の向こう側。狭い窓から外を見ると、室内が暗く感じるほどの青空。一週間分の洗濯をまとめて行っているのだろうことが知れた。
「昼飯何が食いたい」
「は? あんた今日仕事って」
「終わった」
 スマホは使用中、ならばあとはキーケースのみを持って執務室を出る。
 土曜日なため、いつもよりは閑散としている廊下を大股で歩きながら、会話を続けた。誰ともすれ違うことなくエレベーターに辿り着き、下矢印を押す。
「元々俺がいる必要もない、単なる嫌がらせでしかない。とっとと終わらせてやっただけだ」
「……全部聞かなかったことにしていいか」
「迎えに行くまでに決めておけ」
 呆れを含ませた声を鼻で笑って流し、こちらの用件を告げて通話を切ったところで、エレベーターが到着した。
 どうせまたラーメンと言うだろうから、どこへ連れて行こうかと頭の中でピックアップしているリスト。堅苦しいところは苦手だと判っているが、人の目を気にしない性質のためか、結局どこに連れて行っても気にしていないようにも見える。
 行きは車だが、帰りは代行を頼む選択肢もあるのだから酒が美味いところでもいいか、と思考を転がしている間にエレベーターは地下へと到着した。
 薄暗く、籠もった空気を割るように自車へと近寄りながら、ただ一人のためだけにこうして考えるのも悪い気分ではないと唇を歪めた。
 誰かと共にいたいと思ったことは――なかった、と。
 過去形となる思考は、悪くないが自慢しひけらかす趣味はない上にただでさえ無自覚に男を惹きつける奴だ。害虫を増やすつもりなど全くないので、この腕の中に仕舞い込む。
 たとえ飛び出しても、きちんと帰巣本能がここを選ぶことを躾けながら。

生恋し