元々バイト先でよく見かけていた。いつも一人で食べに来て、口数は少なく。会計時に少し声を聞くくらい。
白石の不注意で車に傷をつけたというのに、修理費はいらないと言ってくれたときには、意味が判らなかった。どうしてかと問えば、
「君が誠実な人間だということは、あの料亭で見てきたから」
わざとでないのなら、修理費はいらないと言った静かな表情に、恋に落ちた。
修理費はいらないという黒崎に、せめて奢らせてほしいと一緒に飲みに行って、学部は違えど同じ大学の先輩なのだと知れた。そこから学校でも話すようになり、話足りないからと黒崎の住まうマンションに入り浸るようになるのも早かった。勉強を教えてもらったり、東京のことを教えてもらったり。
京都のことを教えたり、テレビを見ながら一緒にクイズを解いたり。
黒崎の交流関係はとても狭くて、教授と同期の人と、あと数名。その中に白石が入ったことが純粋に嬉しかった。
会うたび、話すたびに、好きになっていく。
ストレートの人を好きになったところで、報われるわけがないという理性を押しのけて、この人なら拒絶せず白石自身を見てくれるのではないかと願望が叫ぶ。
懐に入れているという優越感は、恋という自己満足と化学反応を起こして自分を大胆かつ傲慢にする。
春が近づいてきて、けれどまだ肌寒い夜。いつもよりもハイペースに缶を傾けたのは、自分への景気付けと緊張からだ。
拒絶されたくない、けれど触れたい。
受け入れて欲しい、けれど恐怖がある。
相反する思いを、酔っ払ったからという免罪符を掲げて押し殺して触れる自分を見ないふりして、隣に座る黒崎の太ももに触れた。
疑問の空気を感じるが、何も言われない。顔をあげられないけれど拒否もないと、こくりと喉を鳴らして中心に向かって指を這わせながらソファから床へと尻を落とした。
「……ホッジ君?」
「――……」
前を寛げると、流石に何をしようとしているのか気づいたらしく、黒崎が身体を揺らす。それでもまだ拒絶はない、とそれを後押しにして顔を埋めて熱の籠るそこに触れた。
嗅覚と味覚と触覚。三つの感覚を刺激されて体温が上がるのを感じながら必死になる白石の、頭をゆっくりと撫でる指。
驚き、口を離して仰ぎ見るとアルコール以外で頬を少し赤くした黒崎の姿があった。
感じてくれているという事実に嬉しくなり、先程よりも大胆に動けば、息を詰める気配。
口の中に広がる苦味を、必死に飲み込んでから口を離した。
「飲めるものなのか」
「まあ、……美味くはないですけど」
そこかい、というツッコミをするとやぶ蛇になると話に乗りながら、黒崎の服を整えた。ソファに背をつけて座り新たなビールを開ける。顔が見れない。とりあえずここまで拒絶はなかったけれど、出したら冷静になるのが男だ。この後、何を言われるのかが恐ろしくて、沈黙のまま口の中を洗い流すように缶を呷った。
そんな白石の頭に、もう一度優しく触れる指。
促されるようにそちらを見るが、離れていかず、けれど言葉は何もなく。
ああ、それでも許されたのだと、空気で判る。
――拒絶されなかった、その事実だけで今の白石は十分だった。
免罪符