夕飯時、珍しく飲まなかったかと思えば、矢島が風呂から上がったら酒盛りの準備が整っていた。
ブルーチーズ、ドライフルーツ、一口サイズのケーキ。あとはこの家でしか見ることのないフォアグラとバケットまである。
珍しいなというラインナップの横にあるのは、冷えた深い黄金色のワイン瓶。
ラベルに書かれている文字と年代に既視感を覚えて、しばし凝視。
「あんた、これ……」
どこで見たのかを思い出し、同時に戦慄しながらソファに腰掛ける男に疑問を向けると、斉藤はこちらを見て眉を上げた。
「飲みたいと言っていただろう」
「言った……けど、本気で買うと思わねえよ」
テレビで見たものと同じボトル、そして年代。
……シャトー・ディケム、一九二一年もの。
フランス、ボルドー地方ソーテルヌ地区で作られる、世界三大貴腐ワインと称されるひとつ。なかでも、この年は最高峰と名高い。というのは、数週間前テレビで仕入れた情報。
――現在、日本円で百三十万超え、である。
それが、ここにある。
テレビを見ながら飲んでみたいと言った。確かに言った。けれどそれは、叶わない夢としての雑談だ。願望よりもなお薄いもの。それが目の前に現れると。
「……引く」
こちとら庶民だ。金持ち仕草されてもついていけない。
「金で解決出来るのなら、手っ取り早いだろ」
「だからこっちは庶民だっつの」
こういうところは、何度経験してもお互い噛み合わない。
最近は噛み合わないことを前提に妥協と許容を行うようになってきてはいるが、それでもお互いに「通じない」と感じてはいるのだ。
……大前提が
「まあいいか」
息を一つ吐くことで許容を受け入れ、ソファの上で胡座をかく。ガシガシと髪をタオルで掻き混ぜた後、薄く汗を掻いている瓶を指差した。
「飲んでやるよ」
「素直に欲しいと言え」
それぞれの軽口を持って、通じないものを通し、それで終了。
これが出来るようになってストレスがかなり軽減したのは、有り難いことだろう。
そんなことを思いながらも、楽しみなのは確かなのでゆっくりと注がれる黄金色に注目してしまう。
渡されたワイングラス。作法など知らない矢島だし、無作法を怒るような男ではないので、そのまま口付けた。
……これは。
「あ、っま」
ベースは白ワインだから、赤ワインのような渋みは元々少ないのだろうことは判っていたが、だとしても甘い。
葡萄を濃縮した甘さは、喉に絡みつきながらも胃の中に落ちていく。それが鼻孔に抜けるのを感じながらブルーチーズを口の中に入れると、味が相乗しチーズの口当たりが良い。
「酒なんて、酔えりゃいいって思ってたけど、高いのはやっぱ違うな」
「ワインはそれこそピンからキリまであるからな」
言いながら立ち上がった斉藤は、キッチンまで歩きそこで冷蔵庫から何かを取り出して戻ってきた。
ガラスの器と、バニラアイス。スプーンごと冷やされていたそれを矢島の前に置く。
「お前はこっちのほうがいいだろ」
そうしてシャトー・ディケムの瓶を傾けバニラアイスにかけた。
「貴族のデザート……」
思わず呟いてしまうくらいに、贅沢な一品だろう。
これだけでいくらだろうかとそんなことを考えながら水分で溶けた一方、アイスの冷気でシャーベット状に固まった端をすくい取り、一口。
「味は全然違うんだけど、あれっぽい。……はちみつかけのアイス」
「お前の感覚は独特で判らん」
いや、普通だろう。アイスにはちみつかけるのはと思うが、斉藤がそれを食べる図は思い描け無いのでキャラということにしておく。
「アイスが冷たいから、甘さが抑えられるってよく考えると不思議だよな」
「冷たいと感覚が鈍るからだろう」
となると、溶けると甘さ倍増。それはちょっと試してみたいと思ったので、あえて溶かすことにする。
「色んな試し方出来るのはいいな」
ビールの苦味は好きだし、日本酒の飲みやすさ、焼酎の味だって好きだ。アレンジがしやすいのはワインの特色だろうか。日本酒もそうだが、味が主張しすぎない一方で、癖がなく独立しているからこそ、様々な材料に合わせやすい。
テンションが高揚するのを感じながら、グラスを呷る。
そんな矢島を、斉藤が酒のつまみにするのも慣れたもので、特に何も思わない。
静かな空間で、時折会話をしながらの酒盛りは、休日前として、一番の贅沢だと思った。
貴腐ワイン