黒崎は、口数が少ない。
基本喋るのは白石で、それに対して時折ぽつりぽつりと言葉が返ってくる。割合としては白石:黒崎で七:三だ。ほぼ白石が喋っていると言ってもいい。テレビを見ながらだったり、思い出話だったり、今日の出来事だったり。たとえ同じことを話しても、黒崎は無下にしない。ぽつりぽつりと相槌を打って、時折言葉を返してくれる。
とはいえ、研究第一の人だ。頭の中は数学が殆どで、論文を読んでいるか書いているかナントカの定義について考えているか数式を展開しているかという時間が多く、白石はそんな姿を見るのも嫌いではないので、邪魔はしない。集中すると飲み食いを忘れるので、近くにいる時は定期的に摂取を促すようにはしている。最近は、朝から大学に行く日は弁当を作って持っていってもらっている。
一緒の弁当。最初は気恥ずかしかったが、別に一緒に食べるわけではなく、“一緒の弁当”だと気づかれることなどないのだと判り、動揺は抑えられるようになった。学食で食べている時、黒崎も今これを食べているのだろうかと考えて、緩みそうになる口元を米を噛むことで抑えられるくらいだ。
「白石最近ずっと弁当やな」
「節約せなあかんもん」
「苦学生やもんなぁ、お互いに」
目の前の席で笑う同級生は、米だけ家から持ってきて、学食でおかずだけを買って食べている。曰く、米炊くだけで精一杯、らしい。
「お金持ちになりたい」
「それな」
くだらないことで笑いあって、学食の前で別れる。研究室に行って卒論を少しずつ進める。まだ時間はあるが、普段バイトばかりしている身だ。時間があって頭がはっきりしている時に進めておかないと、後で泣きを見ることになる。
隣に資料を詰んで、書いては消し消しては書き、唸っては崩れ落ちを繰り返す白石に教授が声をかけたのは、一時間ほど経ってからだった。
「借りていた本を返しに行ってほしいんだよねぇ。まあ三年前に借りて、返せって言われてないから向こうも忘れているだろうし、研究室の中に置いてきてくれたらいいよ」
いやそれはあかんやろと教授にツッコミは出来ず、理学から徒歩一分の数理解析研究所へ。受付で学生証を出して用件を伝えると、中に入れてくれた。
教えてもらった研究室をノックするが、応えがない。出かけていないと受付の人は行っていたから、この建物の中に入るはずなのだが、さてどうしたらいいものか。
●
先程とは別の部屋。ノックをして扉を開けると部屋の中には二つの姿。
「失礼します……」
「どうぞ、白石君」
そのうちひとつが黒崎で、ほっとして身体を室内へと滑り込ませた。どうしようかと迷った白石が黒崎に電話をすると、ならここにおいでと誘われ、入ってすぐに理由が判った。もうひとつの姿は探し人の教授だった。恐らくは普段黒崎が座っているであろう椅子に座り、黒崎は入り口に背を向ける形で座っていた。
「黒崎さん、すみませんありがとうございます」
「この人だろ」
「はい」
黒崎との会話に首を傾げる教授に、預かってきた本を差し出した。
「うちの教授が……三年前に借りた本をお返しします、と」
「ああ、そういえば貸してたね。部屋の中に置いといてくれてよかったのに」
本を受け取り、中をパラパラと捲りながらの言葉は、うちの教授と同じもので、本当にそれでええんかいとこっちにもツッコミたくなった。本の貸し借りについてアバウトすぎる。
「白石……あ、この子か」
バイト先でも何度か接客したことはあるし、顔見知りではあるけれどそれ以外に接点はとくになかったため、教授のその反応の意味が判らず首を傾げる。
「さっき自慢されたよ、君の作る弁当は美味しいと」
「教授」
「……えっ」
教授の言葉に制止の声を出す黒崎の態度を見て、それが本当のことなのだと判り、一気に頭に血が上った。
「黒崎君が食べないのは心配だからね、これからもちゃんと食べさせてやってくれ」
「は、はぁ……」
立ち上がり、白石とすれ違いながらの教授の言葉にはそんな曖昧な返事しか出来ないが、気にすることなく出ていく背中を見送った。後に残されたのは、部屋の主と白石だけ。
「ちょうど食べている時に教授が来て」
「そうなんですか……」
黒崎が、他の誰かに白石のことを話しているという事実に、上がった体温が下がらない。
まさかそんなことがあるなんて、という驚きと、内容に関しての照れ。そんな風に話題を出されるなんて、思ってもいなかった。基本的に数学のことしか考えていなくて、教授としたらなおさらそのことばかりだろうと、そう思っていたのに。
なんと言えばいいのか迷い、言葉が出てこない。いつも、白石ばかりが喋っているから、こちらが何も言わないと沈黙の時間が長くなる。いつもは気にならない沈黙だが、今は少しだけ気まずい。
「美味しかった。……ありがとう」
「や、……その……」
なにか言わないと、と焦る白石の耳に届いた声。
顔を上げると立ち上がり白石の目の前に立つ黒崎が、こちらを見ていた。その目元に自分と同じ赤色を認め、一気にキた。
恥ずかしさと、もどかしさ。
叫び出したい気持ちやらなんやらで、キャパオーバーしそうな思考回路。
喉の奥で言葉が蠢き、けれど何も音にならない。
そんな白石を見下ろす黒崎は指先で、赤くなった頬を撫でる。言葉はいらないと言われているようで、少しだけ息を吐いて視線をあげた。
合わさったそこから、何を望んでいるのかが判り、近付いてくる気配を受け入れるために目を閉じた。
致死量