朝涼

031:業

 目配せひとつで、意味を理解出来るようになってしまったその事に思うことはある。業務ではなく、プライベートの時間となるのだから、斉藤に従う謂れなど本来はない。
 ではなぜ自分は、毎日律儀にここに足を踏み入れているのだろうか。
 あの日、あの夜。今まで疲れなんて一欠片も見せなかった男が、矢島の前で見せた姿。それに絆されたのか、魔が差したのか、それとも別の理由なのか。自分のことなのに答えが判らない。
 流されているわけではないけれど、自ら欲しているわけでもない。
 では何だと言われると答えは見つからない。

 誘われるわけでもなく、連れ込まれるわけでもなく、自ら開ける扉の向こう側。

 日の落ちた時間、室内灯を付けなくとも外灯の明かりで真っ暗になることはない。それでも廊下との差にいつも少しだけ目を細める。
 無言で扉を閉めて、鍵をかける矢島に部屋の主は何も言わない。ただ、ここからいつも動けなくなる矢島を迎えに来て、そこからは強引に腕を掴んで来る。
 性欲などなさそうなキレイな顔をしておきながら、正反対の熱さで矢島を見る。そのことに慣れない。目をそらそうとすると顎を掴まれ、重ねられる。
 受動的ではなく、さりとて自主的とも言い難い。
 判らない、という感情をそのままにする矢島に、斉藤は何も言わない。
 言葉はないのに、毎日矢島をこうしてこの部屋に連れ込み、矢島を征服してくる。
 こちらに一歩踏み込んできた斉藤を拒否せず、むしろ一歩近付いたのは矢島だ。その記憶があるから、今更逃げ出すことを是と出来ない。斉藤はそれを見越しているのか、他の思惑があるのかは知らないが、逃さないくせに言葉がない。それ故矢島も自分自身で考えるしかなくなっている。

 あの日、あの夜。
 ――頭に浮かんだ思いは、なんだったのだろうか。
 酷く曖昧で、形になっていないものは、考えようとすればするほど形にならず霧散していく。
 男に抱かれるなんて、死んでも御免だと思っていたことを、今、受け入れているその現実。
 触れられる指先、唇や舌。視線の強さ。穿たれる熱に翻弄されている事実。
 否定は意味をなさない時間帯。
 矢島が知っている名のある関係に落とし込めない何かを、どうしたらいいのかと戸惑っているのを見透かすように、斉藤はこちらの身体を揺さぶって散らす。
 考えるなと言われているようで、考えろと視線が伝えてくる。

 判らないから動けない。
 その気持ちのまま受け入れる矢島の身体に、斉藤は毎夜自分自身を刻みつけてくる。いや、こうされるから動けなくなっているのだろうか。そらすらも、今の自分には判らない。
 考えているようで考えていない。そして斉藤は、それを許容している。
 しかし、許容しながら逃さないのは、一時の関係にするつもりがないからだというくらいは、判る。
 斉藤から提示された気持ちを、受け止められない矢島を、逃さない。
 毎夜刻まれる熱がそれを証明してくる。
 判るのはそれだけ。
 それは判るのに、自分自身についてはさっぱり判らない。

 くそ、と悪態をつく先は自分自身。
 それすら与えられる熱に流されてしまう。

 毎日毎夜こうで、答えが見えない。ゴールが判らない。
 その揺らぎを許すということは、斉藤から与えられる甘やかしだと気がついたのは、十日が経った後だった。
 それを突っぱねることも出来ずにさらに三日。
 もうここまで来たら意地なのか何なのか。判らぬまま、今日もここにいる。

後の不明な関係