朝涼

055:理

 すぐに自分の頭の中の世界に没頭してしまう黒崎を、現実に連れ戻すのが白石の仕事になってきている。数学のことばかり考えている人ではあるものの、そうじゃない時にはちゃんと人間している。ただ、数学のことを考えている時間が多すぎるというだけで。
 今日も今日とて、朝からずっと論文を読みふけり、草稿を書いたり悩んだり。覗き見したところで、何が書いてあるのかさっぱり判らない。
 邪魔だと思ったことはない、と言われているから気にしないようにしているが、さりとて邪魔をしたいわけでもないので基本的に黒崎に干渉することはしない。だが、放置すると二十四時間座ったまま動かず、動くときには仮眠を取る時――それすら、その場で寝転がるだけだ――という事態になるため、空腹で倒れぬように食事時だけは声をかけるようにしている。
「三食食べろとはいいませんが、せめて一日一食は食べてください」
 付き合い始めた当初の行き倒れ事件と追加の説教によって、一日一食はちゃんと守っている黒崎だ。正直に言えばもう少し動いて欲しいし、食べて欲しいのだが、そこまで強く言えない。
 だからせめて、と白石は台所に立った。
 卵三個を卵黄と卵白に分け、卵白を冷凍庫へ。卵黄は冷蔵庫に保管。
 冷凍庫で卵白が少し凍るまでの間の時間を使って、百円ショップへ出かける。今は何でも揃っているのだからありがたいと調理コーナーへ足を向けて、スキレットを二つ購入した。ついでにスーパーによって夕食の食材やフルーツとホイップ済みのクリームも購入してからマンションへ戻った。
 出かける前と全く同じ姿の黒崎を横目に、買ってきた食材をそれぞれの場所に収めてから、冷凍庫の卵白を見ると、ちょうどよいシャーベット具合だった。
 他の材料を測って、準備をしてから黒崎の横に座った。
「あの、黒崎さん」
 横腹の服を軽く摘まんで呼びかけると、黒崎がゆっくりと白石を見た。
「少し手伝ってもらってもええですか?」
「?」
 一緒に立ち上がりながら台所に入り、卵白を入れたボウルと泡だて器を黒崎に渡した。
「泡立ててもらってええですか?」
「……判った」
 受け取って泡立て始めてくれた黒崎にほっとしながら、オーブンの予熱を始め、スキレットを洗って水気を拭いてからバターを塗った。
 その後に買ってきたフルーツを洗って一口サイズに切っていく。ぶどう、バナナ、みかん。種類は少ないけれど、勘弁してもらおう。
「砂糖入れますね」
 卵白が白くなってきたところで、少しだけ砂糖を入れる。掻き混ぜ続ける黒崎は、少しだけ肩に力が入っていて面白い。
「卵白が泡立つ仕組みって、何だったか」
「起泡性とかやなかったですっけ」
 砂糖を三回に分けて入れて泡立てると、ふわりとしたメレンゲになる。そこに卵黄三つを入れ、泡を潰さぬように泡だて器からゴムヘラに変えてさらに混ぜる。
「タンパク質の持つ性質……と考えると面白いな」
「そうですね。あ、薄力粉入れますね」
 一度手を止めてもらい、篩にかけて薄力粉を落としていく。空気に攫われてしまいそうな細かい粉が落ちきってから、切るようにさらに混ぜてもらった。
「ちっちゃい頃、お母さんがお菓子作ってたん見るのが好きでよぉ見てました」
 ホットケーキ、さつまいもの蒸しパン、フルーツの入っていない生クリームだけのクレープ、まんまるドーナツ、ちょっと分厚いポテトチップ、少し固いプリン。
 ほとんどは白石が学校に行っている昼間に作られていたけれど、休日にはその作業が見れた。母の周りをちょろちょろとしているのは邪魔だったろうに、そんなこと一言も言わずに「廉もやる?」と手伝わせてくれたこともあった。
 そんな思い出をぽつりぽつりと話すと、黒崎は面倒くさがらずに聞いてくれる。
「俺の家はそういうのはなかったな」
「市販の菓子のほうが楽だし美味しいですもんねえ」
 混ざった生地をスキレットに流し込み、表面を整えてから予熱の終わったオーブンで十五分。
 その間、居間に戻ればいいのに、二人して流しに凭れかかって話し込んだ。
 昔の思い出、学校のこと、試験のこと。普段こんなに色々と一気に話すことはないから、新鮮で楽しい。
「焼けた」
 オーブンの合図音を聞いてから、黒崎が天板ごとスキレットを取り出した。キレイな焼き目と甘い匂い。
「絵本のやつだ」
「レシピ見つけて、作ってみよかなって」
 きっと誰もが一度は読んだことがある絵本。そこで作られる大きなカステラは、子供の頃一度は食べたいと思うものだろう。
「で、これ」
 絵本にはこのオプションはなかったけれど、と思いながらホイップされたクリームを絞り出し、その上にフルーツを飾ると、一気におしゃれになる。
 そんなオプションに目を輝かせる黒崎と一緒に居間に戻って、小さな机の上でのささやかなおやつタイムを堪能した。

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