朝涼

056:末

「ここのラーメン美味いらしいんだって」
 どこに行きたいと聞いておきながら、ラーメンと言えば却下してくる男を無視してずっと行きたかったラーメン店に連れて行く。
 がっつり背脂もニンニクも入っているそこは、ギリギリ管轄内にあるラーメン屋。だがさすがに職務中に食べるわけにはいかないため、いつも匂いだけで我慢していた。今日は土曜日、ならば食べるしかないだろう。にんにく臭い斉藤誉という珍しいものも見てみたいし、という下心もあるといえばあるが。
 丸ノ内課長時代、歴代課長とは違って何故だか現場に出たがったせいで、それこそ真っ昼間からワイングラスが似合うような風貌をしていながら牛丼屋にいる、なんてことがあったせいでラーメン屋に並んでいても矢島からすると違和感がない。とはいえ、あの当時は斉藤と一緒に昼飯なんて死んでもごめんだと思っていたため、矢島が一緒に昼を食べたのは数えるほどなのだけれど。
 今はもう、昼だろうが夜だろうが、それこそ朝から一緒に食べることに慣れてしまって、なんとも思わないのだけれど。
 斉藤が注目を浴びるのはいつものことだし、ツレがそんな状態なのはそれこそ片桐姉弟で慣れている矢島は、周りを気にせず斉藤と共に列に並んだ。

 高級車をにんにく臭くするのは流石に、と一人帰路に着こうとしたのに許されず、斉藤の住まうマンションへと拉致された。
「思ってた以上にニンニクがすげえ」
 とても美味かったが、鼻が未だにニンニク臭に慣れずきちんと鼻孔に届けてくる。いっそ関心してしまうほどだ。
「あんたがニンニク臭ぇって、すっげー違和感」
 エレベーターはニンニク臭いことだろう。申し訳ない、と虚空に謝りつつ玄関をくぐる。斉藤は自分のスーツに匂いを嗅いでいて、その姿につい笑ってしまった。
「加減を知らんのか」
「そういうもんだからなぁ。けど美味かっただろ?」
「……」
 理解出来ないという顔をしながら、上着を脱ぐ。矢島としては、ニンニク臭い斉藤の反応が見られただけで目的は果たしたというものだ。
「って、玄関で全部脱ごうとすんな、せめて脱衣所行けって」
 上着だけでなく、カッターシャツも脱いで床に放り投げ、ベルトにまで手をかけたところで流石に声をかけた。捨てられた上着とシャツを拾いながら、斉藤の後ろをついていく。
「風呂入ったらちょっとは匂いマシになんだろ。クローゼット漁っていいんなら服持ってくるけど」
「ああ」
 応えながら、何故か斉藤は矢島の手首を捕まえる。洗濯機を開けようとしていたところだったため、意味が判らず斉藤の顔を見て首を傾げた。
「そのまま入れるの拙かったか?」
 その問いには答えず、斉藤は矢島の首筋に顔を近付けスンと匂いを嗅いできた。
「嗅ぐなよ!」
「お前も脱げ」
 不機嫌を隠しもしない男は、普段から矢島の匂いに執着する変人なので、深く突っ込んだら負けだと判ってはいるものの、それでもどうにもこの行動には引いてしまう。
「さっさと行けよ鬱陶しい」
「服はお前のものも含めて全部クリーニングに出すから、そっちに入れておけ」
 しっしと手で払えば、自分の匂いが気になるのか指示を出しながらも大人しく風呂場に入っていく。何時もこんなに素直なら良いのに、と思わずにはいられない。シャワー音が聞こえてから自分の服の匂いを嗅いでみると、確かに服にも匂いが染み付いている。クリーニングしてもらえるのならそちらの方が確実だろう。
 ならば、と持っていた斉藤の服と、後から脱いだものすべてをランドリーバッグに入れていく。その後に踵を返して洗濯機と逆の壁側へと向かった。
 ここにある扉の向こうは広いウォークインクローゼットになっており、寝室側にも扉がありどちらからでも入れるようになっている。いっそ衣装部屋と言ったほうが早いような面積。金持ちはすごい。
 扉を開けてすぐ左側にある棚からタオルを取って戻り、置いておく。それから戻って下着やら部屋着を取っていった。
 斉藤のものは、部屋着であってもウン万のものだったりするのだから、金はあるところにはあるということだろう。矢島の着替えも少しだけ隅に置かせてもらっているが、丁寧に洗われて畳まれているそれらを見ると、イチキュッパのもんを洗わせてしまってすんません、と顔を合わせたこともないメイドさんに謝りたくなる。
 この日本に本物のメイドさんが存在していることも、実は結構な驚きなのだが斉藤にそれを言っても通じない。生まれた時からそれが当然の中で生活してきたのだからそれが常識であり、矢島の驚きに共感出来ないのだ。
 職業の一種でしかない、と切り捨てる斉藤とは一生判りあえない。
 そんなことを考えながらも、自分の着替えを手にとって脱衣所へと戻った。腹がくちたら何だかんだで矢島も匂いが気になってきたので、風呂に乱入してやろうと思いながら。

末っ子と長男