朝涼

059:霧

 数時間前より落ち着いている寝息に、そっと息を吐いた。
 昼過ぎ、ここに来た時には熱が高く、そのせいなのか変なテンションになっていた。体温を測ったら三十八度を少し超したほど。もう少し高ければ問答無用で病院に連れて行くのだが、一旦様子見にした。
 眠りに落ちた加藤をそのままに、勝手に部屋を漁った。
 製薬会社の御曹司が暮らす部屋に、市販薬がひとつも置いてないはずがないと思ったからだ。一度でも飲んでいるのならば置いてあるだろうに、枕元にも、リビングにも、キッチンにも、どこにもその形跡がなかった。
 夏の薄い上掛けひとつで、薬も飲まずにいたのかと思ったら苛立ちがぶり返した。病人にその苛立ちをぶつけるわけにも行かず、かわりに乱暴に引き出しを開け閉めして必要なものを探し出していった。
「なんで、薬が脱衣所にあんだよ!」
 リビングやキッチンを探しても見つからず、後回しにして氷枕でも作ろうと脱衣所にタオルを取りに行ったついでに少し漁ってみたら見つかって、さすがに叫んだ。埃が被っていたということは、引っ越してきてから一度も触っていないということだ。
 薬って使用期限あったよなと裏側を見ると、まだギリギリ期限内。
 とりあえずはこれを飲ませようと、一緒に見つけた氷枕本体と一緒にキッチンに戻り、氷と水を入れて枕を作り市販の粥を温めて、寝ている加藤を起こして粥と薬を飲ませて、変なテンションになっている男をまた寝かしつけた。
 それから数時間、浅い眠りなのかすぐに起きてしまって、そのたびに近くにいないとベッドから這い出て松田を探すため、仕方なしにオタク部屋から金のかかっているであろうパソコンチェアを持ち出して、強制的に同じ部屋で過ごすこととなった。
 最初は一時間ごとに起きていた加藤も、現在は最後に起きたのは三時間前。呼吸も落ち着いてきたし、掻く汗も少し落ち着いた。発熱が落ち着いてきた証拠だろう。
 次に起きた時には着替えさせて、少し腹に何か入れた上で薬飲ませて、また寝かせよう。そうしたら朝には下がるはずだ。

 汗で前髪が張り付く額。起こさぬようにゆっくりと払う。
「……ばーか」
 呟く先は瞼を開けること無く静かに呼吸を繰り返している。起きたら起きたでうざいから、起こすつもりはない。
 朝、連絡が来た時、松田は準備中だった。天気予報も窓の外も雨だったから出かけるのも面倒くさいなと思っていた時で。電話口の加藤は、明らかに辛そうなのに一言もそんなことを言わずに、ただ淡々と風邪をひいたことと今日は無しということだけを伝えて電話が切れた。
 普段はちょっとしたことでも、松田松田とメールをしてきたり、電話が来たり、唐突に訪問してきたりという状態なのに。いや、風邪ひいたというのなら大人しく寝ているものだし、それが正しいのだけれど。
 ……結局こいつは、大事なことを何も言わない。
 松田が自分の全てなどと、耳当たりの良いことを言いながらも、結局のところこいつは松田に対して一線を引いたままだ。そのくせ、好きだプロポーズだと言っているのだから、言動と行動と態度を一致させてから出直してこいと言いたい。それを松田から言うのは間違っているから、言わないけれど。
 こういう時に頼ってこないということは、つまりまだ気付いていないということだ。
「だからばかなんだよ」
 薄暗い部屋は、しかしゲーミングなんとかというやつで変な明るさとファンの回る煩さがある。椅子を持ってきたオタク部屋だけでなく、この寝室にもあるパソコン。こいつ何台持ってやがると少々引いた。重なる小さな騒音のせいか、静謐とは言い難い部屋。そのせいなのか、防音がきいているからなのか、ちゃんと窓があるのに外の気配がとても遠い。

 加藤の向こう側にある窓は、カーテンもブラインドもかかっていない。
 眠らない街の、人が動いている証拠がそこかしこで光っているのに、音を届けない。
 その光も、今は霧のような雨のせいで少しぼんやりとしていて遠い。

 ――寂しくて、冷たい部屋だ。
 加藤が好きなものだけが揃っている部屋のはずなのに、そう思った。

 部屋の主がきいたら、そんなことないと否定するだろう。今なら松田もいるんだから、好きなものばっかりだ、と。そう言い切る加藤が想像出来てしまい、デコピンを食らわせたくなった。
 部屋の中身は、その人の心理を現す。この部屋のように、加藤の中は明るいようで暗くて、冷たくて、羽音のような雑音をさせて静かさを誤魔化している。
 足りていないということを知らない男は、当然自分の寂しさに気付かない。
 一緒にいるうちに松田が知った加藤の本質を、当の本人が気が付かないなんて、そんな恐怖あるだろうか。けれど実際そうなのだからいっそ笑ってしまいたい。

 寂しいでなくてもいい、つらいでも、一緒にいてでも、なんでもよかった。電話でもメールでも、何でもいい。
「言えよ、ばか加藤」
 たった一言、言ってきたらそれを理由に出来たのに。
 そう思いながらも理由も免罪符もなく足を運んでしまった松田の心の在処を、こいつは本当の意味で知るのはいつになるのだろうかと、そう思いながらため息を付いた。

の夜に隠れる