朝涼

063:劇

「長谷川さんは片桐さんのどこがいいんですか?」

 酒の席でなくても無礼講ないつも通りな三浦の言葉に、酒の席によってアルコールが入った頭は一瞬理解が出来ず、三浦の顔を見て沈黙してしまった。
「片桐の……何だって?」
「えーだから、長谷川さんは片桐さんのどこがよくて付き合ってんのかなって」
「……言わない」
 興味を隠そうともしない三浦の声から視線を逸らして、ビールグラスを傾ける。酒の肴になる気も、今後のネタになるつもりもない。沈黙は金。
 片桐早く帰ってこないかな、と手洗いにいった方向を見るが、まだ戻ってくる気配はない。
 いつものように仕事は残業で、夕飯がてらの居酒屋へ行こうかと片桐と話していたら「俺も!」と名乗りを上げて三浦が付いてきた。あからさまに嫌そうな顔をした片桐だが、それより先に三浦がさっさと店を予約してしまったがために長谷川が諦めた。会社から出ると片桐と三浦はお互いに対して遠慮がなくなり、その被害は長谷川に降って来やすいため、実のところこの二人と一緒にいたくない。何せいい思い出が何もない。
 スペインバルは、平日のど真ん中だというのにほとんどの席が埋まっていた。
 長谷川や片桐では選ばないような店を選ぶ三浦のセンスは嫌いではないし、片桐もそこにおいて文句はないのか、特に何も言わない。
 二人に向けられる女性陣の視線は相変わらずで、会社の上司という立場である意味長谷川も慣れてしまった。これで長谷川の性別が違ったら面倒になるのだろうが、どこをどうみても上司のおっさんとしか見られないため女性陣の視界からはスルーされている。まさしく他人事に、二人とも大変だなぁと思うばかりだ。
 そんな視線を総スルーする二人は、それぞれ好きに飲んで食べて、弾んでいるのか喧嘩しているのか微妙なやり取りを繰り返していた。とはいえ七割三浦が喋っているのだけれど。
 その途中で片桐が席を立って姿が見えなくなった途端に先程の言葉に繋がる。
「何でですか! それくらい教えてくれてもいいでしょ。ねーねー!」
「嫌だ」
 何で自ら肴になりに行かねばならないのか、と顔を近付けてくる三浦を掌で遠ざける。
「相変わらずガード固いなぁ」
 唇を尖らせながらむくれる青年に対して、肩を竦めておく。三浦には片桐とのあれやこれやを見られている上に、部屋で押し倒されたりと黒歴史しかないのだが、普段の三浦の態度があまりにもあっけらかんとしていて忘れていられる。
 それは有り難いのだが、ふとした時にこうして蒸し返してくるのだ。
「生憎と、自分のことを喋るのは苦手なんだ」
「なら、片桐さんはどんな存在ですか?」
「――――」
 だからもう振るなと続けたかった長谷川を見越したかのように、三浦が食い込み気味に質問を変えてきた。
 どんな存在か、なんて。
 脳裏に浮かぶだけで目を細めたくなる、強烈な存在感。仕事は完璧で、気遣いも出来て、上司にも部下にも慕われて、取引先からの覚えもいい。
 公の部分でいったら、片桐が部下でよかったと思うくらいになんの文句もない。
 では、私の部分はと言えば公の部分と正反対で最初は驚き、受け入れ難かった。そのくせ何故かぐいぐいと長谷川の私生活の中に入ってきて、居座って。

 最初は恐怖しかなかった。それが変わったのはいつだったか。
 キスされることに違和感を感じなくなったのはいつだったか。
 抱きしめられることにほっとするようになったのはいつだったか。

「あいつは……」
 長谷川の今までの人生の中にいなかった。出てきたと思ったら強烈で、鮮烈で。いつだったか誘蛾灯と称したこともあるが、あれは対人間という意味で間違っていないのだろうが、長谷川はむしろ遠ざかろうとした方なので今回は当てはまらない。
 一度の物事で何かを変えるほどの、存在を何と言えばいいのだろうか。
 自分の思考に沈む長谷川の視界に、ふと片桐が入ってくる。長谷川と視線が合いふと微笑む姿に、片桐をみていた女性陣が色めき立つ。その声を無視して戻ってくる姿を見ながら、ふと頭に浮かんだ単語。
「片桐さん帰ってきちゃう、早く教えてくださいよ長谷川さんっ」
「お前の童貞合計日数教えろって?」
 三浦が焦ったように促すが、長谷川が口を開くより片桐の帰還のほうが早かった。三浦の首根っこを掴んで体勢を戻させつつ、長谷川の隣に座った。
「それは知ってるんで聞く意味無いでしょ。そうじゃなくて、長谷川さんにとって片桐さんはどんな存在なのかって聞いてたんですよ。片桐さんも気になるでしょ?」
「全然」
「えー!? 何でですか!」
 たこわさを食べながら一刀両断する片桐に、三浦が残念がる。
「なら言わないでおく」
「俺の疑問なのに!」
 片桐に乗るように長谷川の言葉に乗れば、三浦がガンガンと机をたたき始めた。片桐を眉をしかめながら机の下で三浦の脛を蹴り飛ばす。無言で悶絶する三浦に苦笑するしかない。

 容赦ないところは、いっそ清々しい。
 鮮烈で強烈。ひとつで何かを変化させ、それは時に毒にも薬にもなる。
 その作用は片桐はブレずに本人を中心に、展開される。
 長谷川もそれに巻き込まれ、ここにいる。片桐に変えられた一人ということだ。
 それを称する単語は、長谷川だけの秘密として、心に仕舞っておいた。
 変化したことは嫌ではなく、受け入れていること。ただ、その最中にいると翻弄されるから自分が自分でなくなる感覚がどうしても怖かったのだと、今なら思える。当時はそんな余裕どこにもなかったのだけれども。
 恐ろしいほどに強烈な人間。

 片桐は、

劇薬のような男だと、そう思った。