朝涼

064:辿

 雑炊を嬉しそうに食べる加藤の視線はしっかりとしていて、気付かれぬように息を吐いた。食べさせながらも腋に挟んでおいた体温計が小さく音を立て検温終了を告げる。引き抜くと三十七度七分。まだ少し高いが、昨日よりは下がった。
「松田の手料理美味しい」
「手料理か? これ」
 チンする飯をチンして沸騰した湯を味付けて米をぶちこんで溶き卵でとじただけのものは、手料理としていいものなのだろうか。まあ加藤が満足しているのなら、別にどうでもいいのだけれども。
「食ったら薬飲んでとっとと着替えてまた寝ろよ」
 米粒ひとつ、汁ひと掬いも残さずに完食するくらいには食欲もあるようだし、明日は普通の米でいいだろう。朝の体温にもよるが、会社を休む可能性も考えておにぎりをいくつか作っておいて冷蔵しておけばいい。
 ……甲斐甲斐しく世話している自分を客観視したら叫びたくなるので、自分自身から目をそらしている。だが、病人を放ってはおけないし、たかが風邪で死ぬことだってあるのだ。流石にそうなったら目覚めも悪い。だから、そう、これは松田の心の安寧のためだ。というか何でこんなに自分に言い訳しないといけないのか。誰のせいだ。
「お前のせいだ!」
「え、何が?」
 思わず叫ぶと、加藤が着替えの手を止めて驚く。それを手で払ってから食器を置きにキッチンへ向かった。洗い物をしていると、加藤がトイレに消える気配。米を炊いてしまおうと、無洗米を三合。水を入れて炊飯器にセット。加藤が寝たらおかずになりそうなものを買いに行こう。
「卵焼き食べたい」
「リクエストは受け付けませーん」
 というか、水と酒とつまみしか入っていない冷蔵庫で、どうやったら卵焼きが作れるというのか。テメエでやってみろ。卵だって、松田が家から持ち込んだもので、冷蔵庫の中には入っていなかった。松田もだが、加藤も基本外食で済ませて家では呑むくらいだから立派な冷蔵庫はほとんど空っぽ。米があるのは、米さえ食っておけば倒れないからだ。だから炊飯器の使用頻度は高い。
「寝てろよ」
「喉乾いちゃって」
 言いながら、自分で冷蔵庫を開けて水のペットボトルを取り出し呷り始める。半分ほど空にした加藤は、は、と一度息を吐いてから松田を見て笑った。
「……んだよ」
「松田がずっといてくれるのが嬉しい。風邪の時、こんな看病してもらったことなかったし、その初めてが松田だからもっと嬉しい」
「大げさな……」
 看病というほどのことはしていないというのに、それに心から喜んでいる様子の加藤にそれ以上のことが言えなくなる。
 ……御曹司の家の事情なんて知るか。
 加藤がどうやって過ごしてきたかなんて、想像しても意味がない。同情するほど、松田は加藤に無関心でもない。
「松田とずっと一緒に暮らしたい」
「はぁ?」
「だって毎日松田といられたら、それだけで俺は嬉しい。毎日一緒に起きて、一緒に仕事行って、一緒に帰ってきて、一緒に眠って。それだけでいい。……それだけがほしい」
 加藤の指が松田の指を捕まえた。冷えた水のペットボトルを持っていた加藤の指は、ひやりとしているけれどその奥の体温はまだ高い。
「四六時中一緒にいたら、うぜえだろ」
「松田相手にそんなこと思わない」
「はいはい」
 風邪っ引きの言動を真に受けるほど、松田は馬鹿ではないため繋がったままの指をそのままに寝室へと歩みを進めた。大人しくついてくる加藤は、手繋ぎを松田が拒絶していないからだろう。
「ほら、寝ろって。薬飲んだから眠くなってるだろ」
「松田、ここにいて」
「判ったって」
 昨日から何度も繰り返しているやり取りをもう一度繰り返しながら、加藤を布団の中に押し込んだ。
 加藤の言う夢物語。現実はそんなに簡単ではない。加藤だってそれに気付いていないはずないだろうに、願望を口にする。それを、馬鹿だともう、言えないけれど。少なくとも、加藤が自分の足りていないものに気付かない限り、松田が頷くことは、絶対にない。
 それでも加藤の語る夢物語を拒否するつもりもなくて。
 馬鹿なこいつが、馬鹿じゃなくなるといいなとそう願っている。

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