朝涼

074:隠

「松田より先に死にたい」
 金曜日のチェーン店の居酒屋は満席で、滑り込めたのがほぼ奇跡。とりあえず生で乾杯して、お通しを口にしつつ好き好きに頼んだものが届いた後。さて、腹を満たすかとホッケを口にしたところだった。場にそぐわないしトークの初手として選ぶセンスも最悪。よくこれで営業やっているものだ。しかも松田より成績が良い……いやいや、それは偶然でしかない。タイミングが悪かっただけで、決して松田が劣っているわけではない。
 塩気が旨い白身魚を三口食べてから正面を見ると、加藤は加藤でだし巻き卵についている大根おろしに醤油をかけていた。声から判ってはいたが、まったく深刻な様子はない。
「なんだよ」
 突然のプロポーズだの、唐突な話題変換だの、変にこじらせた思考だの。
 慣れたくもないのに、加藤と一緒にいると慣れてしまって動じなくなってきたのは、良いことなのか悪いことなのか。
「姉ちゃんとこの子供が、幼稚園で同じクラスの子と一生一緒に遊ぼうねって約束したらしくて。松田と一生一緒にいるつもりだからこそ、松田がいない世界を一秒たりとも体験したくないなって」
「――……」
 何でこいつはこんなに馬鹿なのだろうか、が最初に浮かんだ感想だった。
 片手で足りる年齢の子供の約束など、一週間後には忘れているような軽いものだ。大人はそれに可愛さを見出すが、誰も本気になどしない。加藤の姉とて、自分の子供のそんな可愛い自慢エピソードをしただけのことだろう。
「それに、先にあの世に行っておけば、松田をすぐに捕まえられるし。先に松田が行っちゃったら俺の事待っててくれないだろうし、また女ナンパしそうだし」
「…………」
 ――こいつの中の俺は、どんだけ歪んでんだ。
 確かに待つ義理などないし、待たないだろうけれど。
「ばーーーーーか」
「――……」
 肺の中に溜まっていた二酸化炭素を全て吐き出す勢いで、言い切る。そうして新鮮な酸素を吸い込んでから、加藤の前にある皿からだし巻き玉子を拝借し、口に放り込んだ。優しい出汁の味が気持ちを沈めてくれる。これが無かったら怒鳴り散らしていたのだから、加藤はだし巻き玉子に感謝すべきだ。
 驚いた表情をする加藤は、それはつまり松田の反応を意外に思っていたということで、その事実にイライラとする。だから、思ったことを思ったまま、唇を歪めて睨みつけて言葉にした。
「俺の方が後に死ぬ予定だけど、てめぇとの縁はこの世に全部置いてくことに今決めた」
「なんで」
「判んねーなら一生悩んでろばーか」

隠り世