最近では、真夏は暑すぎて蝉や蚊はその時期に出てこない代わりに、夏になる直前と秋の始まりによく見るようになった。
京都の夏も例外ではなく、盆地という立地条件も重なり、暑さはかなりのものになる。じとりと身体に粘着くような暑さは、京都に来て四年以上経っているのに、未だ慣れない。東京に行くと涼しく感じるくらいだ。
自分の吐く息すら暑く感じながら、マンションのエントランスに入ると、コンクリートのひやりとした空気にほっとした。本格的な夏はこれからだというのに、今からこれでは真夏はどうなることやら。なるべく、外に出ないように生活しようと決めながら、流れ落ちてくる汗をそのままに一階にいたエレベーターへ乗り込む。オレンジ色の太陽は、狭い箱に入ってしまえば少しだけ遠くなるが、それでもドアについている小さなはめ込み窓から光を届けてきた。
目を細めながら箱から降り、自分の部屋へ。中に白石がいることは判っているので、少しだけ気分が高揚する。
ここ最近、お互いに忙しく顔を合わせる時間が少なかった。この後に控える前期試験対策。特に白石は四回生で卒論準備や、卒業後の進路も関係してくるため忙しそうだった。
手抜きですみません、と言いながら毎食準備しようとするから暫くはやらなくていいと伝えたのに、白石はそれでも一品のおかずは必ず作ってくれて、頭が上がらない。確かに忙しくなり始めた当初、白石が食事を用意しなかった時に丸一日抜いたけれど。それを知られて怒られたけれど。
「せめて一日一食は食べる!」
と、盛大に説教された上に、結局白石の負担を増やしてしまった。
そんな少し前のことを思い出しながら玄関を潜ると、何かを燻した匂いが鼻に届いた。一瞬驚き、しかしそれが懐かしい匂いだと気がついて身体から力を抜いてリビングへ。
「おかえりなさい、黒崎さん」
「ただいま」
キッチンにいた白石が、わざわざ顔を見て笑ってくれる。それに返事を返してから、匂いの先へと視線を向けた。
黒崎が住まうマンションはファミリータイプで、ベランダが広い。大きな窓が開けられ網戸になっており、その向こう側から匂いは漂ってきていた。
近寄ると、ベランダの端に緑色の渦巻きが煙を吐き出していた。しかも、まるで漫画の中のようにブタの器に入っている。そのブタも使い古されたものに見えた。
「懐かしいタイプのものを持ってきたな」
「この間、実家に帰ったら家じゃもう使わへんからって貰ったんです。電気のなら匂いはせえへんですけど、これはこれで夏って感じで俺は好きなんですよね」
自分達が小さい頃は、まだこの緑色の蚊取り線香の方が多かった。この匂いがすると、夏が始まったとそう感じるもの。
「今日はベランダで食べませんか?」
「試験日前日に余裕だな」
「前日だからこそ、です……」
料理の手を止め黒崎の隣に立った白石が、少し視線をそらしながら言う。その姿は──黒崎もだが、オレンジ色に染まっていて眩しい。白石からも黒崎は眩しく映っていることだろう。
「息抜きも大切、か……」
「……」
じっとこちらを上目遣いで見てくるその眉がずっと下がっていて、その姿が可愛くて顔を寄せて軽く唇を重ねた。
間近にある瞳が驚き見開くと、瞳孔にオレンジ色が反射してキレイだと、そう思う。
「今日の夕飯のメニューは?」
「お……おうち焼き鳥、です」
「ビールが進みそうだ」
照れなのか夕日なのか判らぬ赤い顔を間近にしながら、笑いあった。
蚊遣り香と夕焼け空