朝涼

076:銀

「降ったなー」
 白銀とまではいかないものの、一夜にして見事に真っ白な世界。テレビを付けると朝から電車が遅延しているだの、通勤が大変だの、道路は渋滞しているだのとお祭り騒ぎ。毎年のことで、諦めながらも結局はこの非日常を楽しんでいる節があるすら感じる東京の街。
 今のところ、矢島の元には出勤命令は届いていない。お陰でまだ斉藤のマンションでTシャツ一枚でぬくぬくとしていられる。
 コーヒーを入れて、スーパーの五枚切り百円の食パンとは段違いの美味さの食パン、それと目玉焼きを作り、切ってタッパーに入れてくれているサラダを盛り付けて朝ごはん。矢島一人ならこんな面倒なことはしないが、部屋の作りが高級で、いつも整えられている上に冷蔵庫の中も充実していることを知ってしまっているからちゃんとしないと、と思ってしまう。庶民とは別世界のこの部屋、最初の頃よりは多少慣れはしたが、まだ緊張する。
 二人分用意してダイニングテーブルに向かい合って座り、ニュースの音をBGMに片付けていく。いつ連絡が来るか判らないため、今日一日はスマホを手放せない。面倒くさいがこれも職務だ。

「こたつ」
「……は?」
 東京の街中の惨事を何となく見ながら食パンを口に詰め込んだ矢島の耳に、斉藤の声が届く。そちらにまったく注意を払っていなかったため、反応が二拍ほど遅れた後に斉藤を見ると、コーヒーカップを傾けながら何故か矢島を睨んでいた。
 睨まれる理由が思いつかないため、若干引きながらも水を向けると、斉藤は部屋の一角を指さした。
 オーダーメイドマンションのこの部屋は、一人で住むにはあまりにも広く、そして設備も揃いすぎている。
 リビングの一角から、三段ほど段差を降りたそこには正方形の和室がある。同じく正方形の琉球畳が九畳分。和洋をミックスさせたリビングは確実に斉藤の趣味ではないだろうと思っている。シアタールームすらオーダーしたわけじゃないと言っていた男だ。全部丸投げだったのだろう。
 しかし、その正方形の和室は、きれいに整えられてはいるものの何も置かれていない。
「結局買いに行かなかっただろ」
「あの後暖かくなったからだろ」
 俺のせいじゃねえと反論する。実際、あの時点ですでに三月、こたつの時期には少々遅い。忘れたわけでも反故にしたわけでも決して無い。
「あー……途中で呼び出し入るかもしれねえけど、買いに行くか?」
 何を望まれているのか、流石に判るというもので。窓の外側を見ると白銀の世界ではあるが、空は晴れている。呼び出しがと言ったものの、正直招集がかかるとは思っていない。斉藤も同じように窓の外を見て、鼻を鳴らした。
「これならすぐに雪も溶けるだろ」
 元上司も同じ判断となると、午前中は気が抜けなくとも、午後なら問題ないだろう。
 昨日の晩、目の前の男にあれやこれやとされて、まだダメージが少々残っているため午前中はゆっくりしたい、そう伝えると斉藤も渋々ながらも承諾した。
 ……こいつ結構出かけたがるよな。
 休みが重なるとどこか行きたいところはないのか、と聞いてくる。ただでさえ激務なんだから部屋で惰眠貪っていろよと思うのに、毎回聞いてくるのはなんなのか。
 とにかく、寒いしダメージ回復に専念したいと、朝食の片付け後に寝室から毛布を持ってきた毛布に包まって床に座り、タブレットを起動。ソファに座る男に見えるように通販サイトでこたつを検索した。
「どんなんがいい? 同じのが店舗にあるとは限らねえけど」
「物があれば今日中に設置まで行けるか、なら今から外商に繋ぐ。それはお前の好きなものを選べ」
「…………そういやてめえ金持ちだったな」
 課長時代から今でも、矢島に付き合ってそこらのチェーン店に普通に入って飯を食べるため、たまに忘れるが、矢島とは住む世界の違う金持ちだ。
 上位数パーセントの顧客が落とす金でデパートは回っているとはよく聞くが、なるほどこういうことか思う。
「身体つらいんだろう」
「出かけられねえほどじゃねえよ」
 出かけて買いに行くのではなく、外商をわざわざ呼ぶのは矢島のためだと言われたら強くも出られない。視線を逸しながら言えば、斉藤はソファの上から腕を伸ばし、後頭部から首筋をゆっくり撫でていく。ぞくりと肌が粟立った。
「まあけど、寒いしこんな日はあったかい部屋ん中でごろごろするのが一番だよな」
 それを誤魔化すように少しだけ声を張って言い切り、斉藤の掌から逃げるように身体を撚る。そんな矢島を見て、斉藤は怒るでもなく笑うのだから居た堪れなくて、毛布を頭から被って視線をシャットアウトさせた。

一夜明けて世界