朝涼

087:紡

 一ヶ月ぶりに妹と外食となった。
 離婚してからの妹は、凹むかと思いきやそんなことは全くなく、仕事に邁進している。すぐに新しいところ見つかって良かったと笑う姿にほっとしたことは、妹には内緒にしている。
「お兄ちゃん何かいいことあったでしょ」
 ほうれん草と生ハムのクリームパスタを丁寧に巻いて口に運びながらの言葉は、疑問形ではなく断定系。そんな妹の言葉に、兄は一瞬息を呑みそれを悟らせぬようにワイングラスに口をつけた。……とはいえ、そんな小細工妹にはお見通しなのだろうけれど。赤ワインを口の中で転がしながら、思考も転がす。
 とぼけたところで妹は確信を持っているから信じないだろう。それは妹の態度からも明白。三十年以上兄妹をやっていない、それくらいは空気と過去の積み重ねで判る。だが、――嘘はつきたくない、と浮かべるひとつの顔。ならば取るべき手段は一つと、いつも浮かべる営業スマイルよりは身内寄りの、けれどある意味慣れた仮面を被って妹を見た。
「ご想像にお任せします」
「もー、すぐそれなんだからっ」
 怒る妹に対しても笑みは変えず、バケットをちぎってビーフシチューに浸してから口に運ぶ。沈黙は金だ。
「いいけど、勝手に想像して、勝手にするから」
「――……宣言されるとそれはそれで怖いな」
 苦笑する神谷に、妹は短い髪を揺らしながらプイと顔を背ける。
 彼女の頭の中では、一体どんなストーリーが展開されているのか、知りたいような知りたくないような。藪を突く気はないものの、少々の怖さは出てくるというものだ。
「妹としましては、お兄ちゃんに幸せでいてほしいのよ」
「仕事も順調だし、プライベートも別に……ああまあ、忙しいから食生活は最近乱れてるな」
「はいはい」
 あからさまに、誤魔化されてあげますよという空気でおざなりに返事をされる。神谷の内面に踏み込みすぎず、けれど手放すこともしない妹の距離の測り方に感謝しかない。きっと、色々と気づいているだろうに、それを言葉にしない優しさをもつ妹。甘えているのは神谷のほうだ。それでも、この歳になってもまだ、口にすることが出来ない事実。この弱さをどうしようもないと呆れる自分だって存在するのに、どうにも出来ない。
「そうだ、お母さんがね」
 何も言葉を続けられなくなった神谷に対して、深入りせず話題を流す妹にまたひとつ助けられた。
 弱さの部分がほっとするのを感じながらその話題に乗り、けれど頭の隅で考えるのは両親だって、妹だって、もうある程度勘付いているのだろうから、いつかはきちんと言わないといけないのだろうと、そんなこと。
 その時自分の隣は、埋まっているのだろうか。……一人きりなのだろうか。

     ●

「寒くなってきたねー。不摂生して風邪ひかないようにね」
「そっくりそのままお返ししておく」
 店を出ると冷たい風。それぞれアルコールが入っているから寒さに震えることはないけれど、それでもやはり温かな店内との寒暖差にコートの前をあわせると、ポケットの中のスマホが震えた。営業の性で相手だけ確認するとよく知った名前で、短いメッセージが見えた。その場では何も返さずに妹と会話をしながら駅へと向かう。
「仕事、慣れた頃にミスするんだから気を引き締めろよ」
「はーい、次長どの」
「茶化すな」
 道路を挟んだ反対側。
 そこに有るひとつの影を、一瞬だけ視界に入れて。
「じゃあお兄ちゃんまたね。おやすみなさい」
「志穂」
 笑みを見せ、階段を降りようとする姿を呼び止めてから、決まっていない覚悟を自覚して。
 けれど、首を傾げる妹に対して、感じる気がする視線と熱に背中を押されるように口を開いた。
「俺はだい……ちゃんと、幸せだから」
 一瞬誤魔化そうとした自分を封じ込め、きちんと言葉にすると、妹は少しだけ驚き、しかし目を細めて笑みを深くする。肩を落として身体から力を抜いて笑う妹を見て、後悔を感じない自分を自覚して、神谷も笑みを浮かべた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
 手を振り階段を降りていく妹が見えなくなるまで見送ってから、ゆっくりと振り返るとすぐに視線があう。
 何を話していたのかなど、聞こえなかっただろうに、少しだけ眉間のシワがいつもより薄いのは妹の表情が見えたから悪いものではないと判断しているからだろうか。それとも神谷の心理がそう見せているだけだろうか。
 考えながらスマホを取り出し、メッセージアプリを立ち上げる。
 さきほど受信した、駅前と一言だけのメッセージは道路の向こう側の相手のスマホで既読になったことだろう。その単語を見ながらこちらも一言だけ言葉を入力し、そのまま送信。
 こちらの行動を見ていたらしい相手はすでにスマホを見ていて、すぐに既読になった。俯いていた顔があがり、再び視線が合う。
 それでも動かぬ神谷を、スマホを仕舞った男がこちらに向かって歩いてくる。そのことに満足を覚えて知らず力の入っていた身体の芯から力を抜いて、妹に対して浮かべたものとは違う笑みを浮かべ、男を出迎えた。

紡ぐ思い